「ホテル・ムンバイ」

またまた映画感想シリーズ。そしてまた実話を題材にした作品です。映画のジャンルも前回の記事と似ていますが、これも心に残った作品なので紹介します。

ホテル・ムンバイは映画館で観ました。緊迫感と臨場感の中、ずっとずっと緊張状態の目が離せなかった2時間。映画って、家と映画館とでは全然違いますよね。

2008年、インドのムンバイで同時多発テロが発生。タージマハル・ホテルで人質となった宿泊客とその人たちを救おうとしたホテルマンの物語です。登場人物みんなに大切な誰かがいて、その人を守るために、そして生きて再び会うために生き抜こうとする姿が描かれています。

物語の中心は宿泊客とホテルマンなのですが、大切な誰かを救おうとするのはテロを実行した犯人たちも同じなのです。英雄が悪魔のテロリストから人々を救ったのではなく、実行犯たちにも人間らしい葛藤や愛があります。彼らもまた、大切な誰かを救おうとしているのです。


映画の冒頭、小さな船に乗ってインドに上陸しようとしている少年たち。その少年たちは、おそらく15、16歳ほどの成人に満たない子たちです。その子たちに、姿なき声が電話を通じて語りかけます。この声こそ、テロを指示して実行犯を操っている黒幕。この声の人物は、最後まで姿は一切出てきません。少年たちは、上陸して間もなく町中で銃を乱射し、逃げ場を失った人たちがタージマハル・ホテルへ逃げ込むのを見計らって、ホテルを占拠してテロ行為を続けます。

ホテルマンや宿泊客の行動が主に映し出される中、実行犯たちが生きてきた背景が表現されています。例えば、実行犯たちがホテルのトイレに驚くシーン。これはなんだ?という会話から始まり、排泄物を流せると分かったら「すごい!」「初めて見た!」など興奮する様子を見せます。日本に生きている私たちにとって、流せるトイレは珍しいものではないですよね。しかし、実行犯たちは流せるトイレがない環境で生まれ育ったということなのかと考えました。

そして、物語が半分以上進んだ頃、ある実行犯がホテルの電話を使って父親と連絡を取ります。内容は、「お金は入っているか?」と。訓練に参加した報酬のお金はきちんと入っているのか確かめるために家族に電話をかけるシーン。この問いに対して父親は「お金はまだ入っていない。ところで訓練はうまくいっているのか?お前は家族の誇りだ」と告げます。その答えを聞いた実行犯は、涙ながらに「愛してる」と伝え電話を切ります。

実行犯が守りたいのは、貧困地域で暮らしている家族。少年たちはムンバイにある煌びやかなホテルとは縁のないような貧困層出身で、生まれた土地以外のことは何も知らない、そして十分な教育を受けられない無知なのです。そこに、テロを企てている組織の首謀者が、「報酬を渡すから訓練に参加しないか」のような無知や貧困に付け込む言葉で少年たちに近づき、テロを実行させる。洗脳に近いような構図がテロ事件にはあります。

テロを起こしたことは、もちろん許されることではない非人道的行為です。しかし、この映画の実行犯たちは狂気的な悪魔には見えず、一人の人間として描かれています。その証拠に、凶行に及んでいる実行犯たちの脳裏にあるのは、遠く離れた土地で貧しい暮らしを強いられている家族の姿なのです。


映画の最後、映画が公開されたこの瞬間もいまだ首謀者が捕まっていないとありました。
この作品は、ホテルマンや宿泊客の勇気だけでなく、他にも事件報道についての問題や世界の格差を観る人に想像させます。

いつか、タージマハル・ホテルを訪れたいです。





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