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セレンディピティと土星

セレンディピティ(英語: serendipity)という言葉がある。

「serendipity」という言葉は、
イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが
1754年に生み出した造語。
彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだものである。
(wikiより引用)

一見、意味のないようなものに対しての感性を研ぎ澄ますことで、
繋がりが生じて、
そこから、何かしらの気づきがうまれることなのだと思っている。
セレンディピティは、偶然の発見、出会いともいわれるが、
フランスの化学者・細菌学者 ルイ・パスツールの言葉で
観察の領域において、偶然は構えのある心にしか恵まれない
というのがある。

「この構えのある心」これはどういうことなのかと自分の中で問うた時に
土星がパッと思い浮かんだ。

土星=構えなのではないかという直感的解釈。

それならば、「構え」とはなんなのか。

1 造り。構造。また、家屋などの外観。「構えの大きな家」「洋風の構えの門」
2 予想される事態に対処するための備え。「和戦両用の構え」
3 即座に有効な動きができるように整えた、からだの格好。特に、武道・格闘技での姿勢。「独特の構えでバッターボックスに立つ」「上段の構え」
4 漢字の部首の一。字の外郭をなす部分で、「門(もんがまえ)」「囗(くにがまえ)」などがある。
(コトバンクより引用)

固いイメージであると同時に、時間をかけて成すことのような印象もある。
「心」といえば、実態無く移ろいやすいもの。
そこに惑わされずに、安定させるべく構造をなすための継続。
それが形無き鍛錬という日々。

いつ何時でも、そこに意識を注ぎ続けている在り方。
それが、日常の些細な瞬間の事象に意識が向かうには、
ぼーっと生きていたら見逃してしまうし、
外側の流れに自分の主導権を与えてしまっていては、見失うでしょう。

何についての偶然の発見が、
自分にとっての広がり(=充足感、意味あるもの)となるか。

それは人それぞれである。
その方向性を示すのが、その人の土星なのかもしれないということ。

土星が指し示すものを自覚した生き方が、
セレンディピティを起こすのかもしれない。


そうやって、様々な偶然な発見、気づきを受け取り続けることで、
その先にある宇宙の意識エネルギーが注がれる器、人格者(=土星)となり
過去から手繰り寄せる思考では思いつかない
自らの使命に繋がっていくのだろう。

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