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天国のぴよちゃんがカウンセリングしてくれてる〜?!

こんにちは〜ヽ(´▽`)/

ぴよちゃんの本...Amazonページにてレビューを投稿してくださった方々、

その真摯な内容に感激!感動でいっぱいです。

直接お礼をお伝えできないので、この場をお借りしてお礼申し上げます。

お手間かけ投稿してくださり、誠にありがとうございますヽ(´▽`)/

今日は、昨日のメルマガに書かせていただいた、「この本を置いてくれませんか?」と

本屋さんに直接掛け合ってくださったクライエントさんからのご感想です。

私の気づきを遥かに超えて、読み手おひとりおひとりの感受性で、

いまここのご自身に必要なかけがえのない”ギフト”を受けとってくださること...

出版以来起きてきたこのような現象そのものが、

ぴよちゃんが起こしてくれている”キセキ”としか思えない私ですヽ(´▽`)/

それでは...Kさんからの渾身のメッセージです...❤︎


ぴよちゃんからカウンセリングをしていただいた私は

どこか、先生も一緒に私のそばで、しかもどちらかというとクライアント側で

一緒にいてくださる気持ちでした。

人間味あふれ、先生が仰る「弱さ」を全力で感じた時、

先生って本当に、「真の強さ」をお持ちだと改めて思いました。



それぞれが、家族だからこそ底力からの優しさで先生を守ろうとしたこと。

想像を絶する悲しみの中、周りを慮る先生の愛おしさ。

そのどちらも、

最も悲しみの中にいる先生を頑張らせることになってしまったかもしれないけれど

私には本当に、いつくしみ深きことだと感じました。

家族だからなんでも言える!と思って生きてきた私ですが、

えぐられるような悲しみや傷が、どれほど辛く苦しいか分かっているからこそ、

何よりも大切な家族にだけは、言えないこともあるのだと……。

家族を苦しめるくらいなら、自分が苦しい方が良い。

これも、本当に深い愛のカタチだったのではと、思えてなりません。

深い優しさに包まれていたご家族みなさんを抱きしめたいと思うと、涙が溢れました。

そして、何十年とかけて向き合うことのすばらしさも、噛み締めました。

他者の体験というのは、そのような感情を俯瞰的に捉えることができるのですね。

比較的私もずっと、悲しみや辛さから何を学ぶか・どう感じるかを考えてしまいがちで

人から「いつまでそんなこと」「ねちっこい考え」と言われたこともありました。

これまでの自分を否定されたような、私の生き方そのものにNGを出されたような感情が

ことあるごとに沸き起こっていました。(私の思考は変えられなかったですが)


でも、先生の体験から「向き合うこと、真実を求め続けること」というのは

悲しみから解放に向かい、より自分が近付きたい自分に繋がっていくんだと確信しました。

本を読み、私の心が開放され、人から言われたその言葉が去っていきました。

溢れる想いは尽きません。


・・・以上です。本当にありがとうございます!!!

Kさん、本を読みながら、カウンセリングを受けた感覚になったこと、

話してくださいました。

実は、ちょうど昨夜遅く...

何度も読み込んでくださっているという魂の友、Yさんより、

「読みながら、自分もカウンセリングしている気持ちになり、読み終わった後は、

形は違うが、私も、新たに生きようと力をいただきました」

というlineメッセージが届きました。

ぴよちゃんの本にそのような可能性があるなんて、全く予期せぬことでした。

どうしてそのようなことが起き得るのだろう...と思い巡らした時、

先月、本の取材を受けた某新聞記者さんの言葉を思い出しました。


前半の生々しい赤裸々な苦悩の記述を通して、

自分自身の蓋をしていた記憶が蘇り、当時に想いを馳せながら読み進めた。

どうにも苦しくなったが、読み進むにつれて、

著者の深い癒しのプロセスとともに、

自分が抱えてきた過去の傷も癒されていく感覚になり、

読後、清々しい気持ちになっている自分に気づいた...


このように語ってくださっていたのです。ここに、

”心の癒し”と”魂の救い”が起きる全てが詰まっているように感じられました。


通常、28年前の喪失体験について、

ここまでリアルに思い出すことはあまりないかもしれません。

けれども、Kさんが思い計ってくださったように、

当時、私だけでなく、夫、父、母、妹、義母...とそれぞれの立場で、

ひとつの小さな命を失った喪失の当事者となった状況が起きたため、

互いに、ぴよちゃん喪失にまつわるありのままの悲嘆や後悔の想いは、

それぞれの心の奥底の箱の中に、しっかりと鍵をかけてしまわざるを得なかった。

けれども、箱の中身は、決して消えたのではなかった...


けれども昨年、持病の手術の可能性が高まり、もしもの時のために、

地上の3人の子どもにどうしても伝えたい!という強く深い望みが

突き上げてきて、遺書として書き残そうと決意した!!!

遺書だから、自分が生きているうちは誰も読まないから大丈夫!!!

と思って、パンドラの箱の中身=”当時の生身の想い”を湧き出るままに綴った...

しかし、今回、人知を超えた様々なきっかけ、導きのもと、

当初の”遺書”という意図を超え、思いがけなく出版することとなった!


なぜ、天は遺書の文章を公にさらすことを望まれたのでしょうか?

そして、なぜ、自己開示を苦手とする私自身の魂も、それを望んだのでしょうか?

(意識の次元では、かなりの躊躇があったにも関わらず!!!)

それについては、最近、私自身も、しみじみと再認識している、

インナーチャイルド〜自分の中の子どもの自分(子ども心)〜

の切実な想いが、深〜く関わっているように思えてならないのです。


〜次号に続く〜


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