「音楽は何も救えない」からの復活:岡城千歳「坂本龍一ピアノワークス3」がもたらす癒やし

このところ、ピアニスト岡城千歳の「坂本龍一ピアノワークス3」を繰り返し聴いている。こういう音楽を聴いていると、音楽は言葉にならない世界を扱っているから音楽なんだ、という当たり前のことを考えてしまう。

それでもあえて言葉にすると「癒やし」の音楽といえるかもしれない。といってもイージーリスニングとか、J-POPのオルゴール版みたいなゆるいものではない。たとえば、宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」のあるシーンを思い出すようなアルバムだ。

魔のスクリャービン沼に引き込まれる

岡城千歳(おかしろ・ちとせ)は日本ではあまり知られていないが、ニューヨークで活躍する日本人女性ピアニストだ。すさまじいテクニックの持ち主として知られるが、ユニークな選曲と個性的な表現も特徴だ。

いや、個性的という言い方は軽すぎる。ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のピアノ編曲版など濃厚でロマンチックな曲を選び、危うさを感じさせるほど音楽に没入するピアニストである。ショパンが大好きな日本のピアノファンからすれば「重すぎる」と感じられるかもしれない。事実、ショパンはほとんど弾かない。

最初に聴いたのは、1997年にリリースされたアルバムだった。マーケティング上の配慮か「亜麻色の髪の乙女」というタイトルが付けられていたが、1曲目がいきなりスクリャービン、それもピアノソナタ第5番だった。決してメジャーではなく、分かりやすいともいえない曲だ。

物憂げな横顔の若い女性がジャケットだからソフトな演奏かと思ったら、何が起こったんだろうと思うくらいの勢いで音が疾走し、ピアノの弦がビンビンと金属音を鳴らしている。強靭な打鍵がなせる技だ。

構成が分裂的で散漫になりがちなこの曲を、彼女は考え抜いて必然性が感じられる表現として自分のものにしていた。その決然としたスタイルに魅了され、繰り返し聴いているうちに「魔のスクリャービン沼」にひきづり込まれてしまった。

燃え盛る炎に身を投じる「悲愴」

2000年にリリースされたチャイコフスキーの交響曲「悲愴」のピアノ編曲版も繰り返し聴いた。各種のオーケストラ版を合わせたのと同じくらい聴いたかもしれない。オケ版よりも音楽の骨格がはっきりしていて、作曲家の言いたいことが直截に伝わってくる気がした。

特に魅力的なのは後半だ。第3楽章で崩れ落ちそうな崖っぷちを猛スピードで疾走したと思えば、第4楽章の冒頭で悲しみのあまり絶叫する。

そしてロ短調の暗い響きから、5秒ほどの間をあけて、ニ長調の美しいメロディを歌い上げる。人生が幕を閉じる間際に、たった2分間だけ現れた、つかの間の愛しい思い出。なんと美しい時間だろう!

ピアニストというのは、孤独な存在である。その一方で、作曲家と何の妨げもなく一体になれる完全に満たされた存在でもある。岡城千歳はチャイコフスキーの孤独をひとり引き受けて、全身全霊で演じる。

イージーリスニングでもないのに、鑑賞者はそれを聴いて、なぜ心が癒やされるのだろうか。おそらく雄大な自然を眺めるときのように、自分がちっぽけな存在であることに清々しく気づくからに違いない。

悲愴の最終楽章の演奏を聴くと、燃え盛る炎に自らの身を投じ、喜びと絶望が入り混じった恍惚の表情を浮かべるピアニストが頭に浮かぶ。

鑑賞者は、心身を削りながら燃え尽きて灰になる表現者の姿を、いけにえのように眺める。その壮絶な姿を見ながら、作曲家やピアニストの孤独や絶望に比べて、自分の悩みはなんとささやかなものかと気づくのだ。

音楽の深淵を覗き込んだ岡城

こんな演奏を追求していたら、人間は持たない。だからプロの音楽家といわれる人たちは、往々にして患者と付かず離れずの関係を保つ精神科医のように、シラッとした演奏をして済ます。

そんな「関与」の手加減ができない岡城千歳は、果たして壊れてしまった。ロングインタビューの中で、彼女はこのように答えている。

実は活動休止中にクラシック音楽を全く聴けない、受け付けない時期がありました。音楽の存在意義に疑問を感じて、故意に避け悩んでいた時期もあり、シリアスなクラシック音楽は“苦悩の押し付け”として身体が受け付けない、拒絶反応が出てしまう時期が長く続きました。クラシックのなかでも、私はチャイコフスキーの〈悲愴〉やマーラーなど暗い音楽が好きだし、存在を問いかけるような曲を取り上げて、掘り下げていくことこそが自分の強みだったし、得意とさえしていました。でも、本当につらい時には“自分はクラシック音楽を受け入れられない”、という事実が、自分自身にとっても衝撃的なことでした、自分がそれまで信じてきたものが聴けなくなったわけですから・・・。その時感じたことは、「音楽は何も救えない、自分さえも救えないのだから」ということでした

音楽を飯のタネとしか考えないピアニストであれば、こんな形で追い詰められることはなかっただろう。しかし、理想の音楽を妥協なく追求し、危うい世界に生きてきたピアニストは、バランスを崩して闇の底に転落し、音楽に絶望してしまった。

そして岡城千歳は、表舞台から姿を消した――。それが15年も前の話である。音楽を愛し、音楽に愛された天才が、音楽の深淵を覗き込んでひきづり込まれる。何と皮肉なことだろう。悲劇としか言いようがない。

正確にいえば、彼女がなぜ音楽に絶望したのか、理由は明かされていない。人間関係の問題があったのかもしれない。でも、彼女の過去の録音を限り、音楽の追求の厳しさが強く関係しているように思えてならない。

水墨画の絵巻物のような「ブリッジ」

そんな彼女が活動休止中にいつも聴き、心の支えとしていたのが、坂本龍一の「ブリッジ」という曲だった。山本耀司のパリコレのために書かれた作品。彼女はこの曲について、こう振り返っている。

「なんというか、ピアノで非常に美しく響くように繊細に書かれていて、悲哀がありセンチメンタルでありながら、淡い希望もある・・・そしてその独特の哀愁が30分間聴き手を飽きさせることなく続く。その美しさは、理論に裏打ちされた美しさであるからこそ、30分間もの間、人を惹きつけることができるし、曲に涙するように書かれていながら、“お涙頂戴”のようなクリシェには聴こえない。自分が避けたいと当時思っていたクラシックのピアノ曲ではないけれど、ポップスでありながら、クラシックの美しさも併せ持つ。重いけれど、重くない。押しつけることはしないけど、漂っているだけで心が奪われる。そういうところに惹かれて救われたんです

「坂本龍一ピアノワークス3」 の中心は、4曲目に添えられたこの「ブリッジ」で、27分50秒を占める。あるときはミニマルミュージックのように短いフレーズを繰り返しながら形を変え、あるときはセンチメンタルなメロディを歌い上げ、その間を静寂がつないでいるような不思議な曲だ。

なんとなく日本的な、絵巻物のような音楽である。といっても、色鮮やかで人間がいきいきと描かれた絢爛豪華なものではなく、大自然が描かれた横山大観の「生々流転」のような墨による風水画である。

あるいは、方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という書き出しを思い起こさせる。

「ブリッジ」の前には、3~4分のピアノ曲が2曲と、「坂本龍一へのオマージュ」という14分38秒のMIDIの曲が置かれている。「オマージュ」は、坂本の原曲では「ブリッジ」の冒頭に演奏されるプリペイドピアノ(ピアノの弦の部分に異物を挟むなどして独特の音響にしたピアノ)の部分を、岡城が大胆に構成(作編曲)した曲だ。独特なセンスが、とても心地いい。

「ブリッジ」の後には、1分前後の曲が5つ。映画「シェリタリング・スカイ」からの曲もあれば、ゲーム音楽、CM音楽などが続き、最後は拍手で終わる。そう、このアルバムは「オマージュ」以外はライブ録音なのだ。

おそらく彼女にとって、今回の15年ぶりの活動再開のアルバムの中核が「ブリッジ」であることと同じくらい、一つひとつの音に神経をすり減らすスタジオ・レコーディングではなく、ライブ録音であることの意味は大きかったのではないか。できればヘッドフォンでなく、スピーカーで聴いてほしい。

と、今回のアルバムの構成を簡単に書いてしまったが、できれば聞き手は、まずはライナーノーツなどを見ずに聴いてほしい。聴く、というか、音の流れに身を委ねる、といった方が適切かもしれない。

音楽の触手で心に再び希望の光を灯す

そういえば、なぜ「風の谷のナウシカ」なのか説明していなかった。

ナウシカは、怒り狂って集落を襲おうとする王蟲の群れにひとり立ちはだかって止めようとするが、その威力に跳ね飛ばされていちどは命を失ってしまう。王蟲はその血で衣を青く染めたナウシカを光る触手で探り、空高く持ち上げて復活させる。

「坂本龍一ピアノワークス3」 を聴きながら、このライブ録音の演奏で傷を癒やしているのは、まずはピアニスト自身だと感じる。かつてシリアスすぎる表現で自らを絶望させたピアニストは、坂本龍一の楽譜を奏でながら、ピアノから伸びる音楽の触手によって心に再び希望の光を灯す。

この「癒やし」は、かつて燃え盛る炎に身を投じながら鑑賞者に味わわせたものとは異なるものだ。帰ってきた岡城千歳が、これからどんな活動をしてくれるのか期待したい。個人的にはスクリャービンの甘くとろけるピアノソナタの4番を、YouTubeの動画で見たい。

そんな「坂本龍一ピアノワークス3」が、どういうわけか巷であまり話題になっていない。ひとりの音楽家が、15年ぶりの活動再開になぜこの音楽を選んだのか。耳を傾けてみてはいかがだろうか。

なお、彼女のディスコグラフィは、国内盤CDはすべて絶版になっているのでAmazonでは最新盤しか買えないが、輸入盤はタワーレコードやHMVですべて買うことができる(店頭にも一部あるようだ)。Google Musicなどのサブスクリプションサービスで「okashiro chitose」で検索すると聴けるものがある。


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