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短編小説「青銅色の鍵と夕暮れ」

 これは私が体験した不思議な出来事について話そうと思う。

 ある日、私は友人に呼び出された。友人の名は真壁。何の仕事をしているのか分からないが、度々私に骨董品などを見せてくれたりする。私にとっては”得体のしれない物”への入り口となってくれている存在だ。きっと次の記事のネタになるのだろうと内心うきうきとしていた。

 赤桐町あかぎりちょう内にある真壁の事務所に着き、呼び鈴を2回鳴らす。少し間を空けた後、大きめの足音が近づいてくる。
「少し早かったな、入ってくれ」
 ドアを開けて真壁がそう言う。部屋の中に入れば煙草臭く、段ボールや本が散らばっている。相変わらすと言えば相変わらずだ。

「今日は何を見せてくれるんだ?」
 気がはやる私に、真壁は応接椅子を勧めてくれた。対面に座る真壁は優しく諭す。
「そう浮足立つな、ゆっくり話そう」
 煙草に火を付けて一服。窓の光で、煙草の煙が余計に白く見え、天井へ登っていく。
「君は奇怪なモノが好きだろう? 今回もそういう類の話なんだ」
「ああ、そういうのを待っていたんだ。是非見せてほしい」
 そう言うと真壁は難しそうな顔をする。
「落ち着け、今回は依頼だ」
「依頼……。一体何の話なんだ?」
 真壁は何も答えずに茶封筒と小さなトランクケースを出す。
「報酬と遺物だ」
「はあ、これを開けても?」
 私はトランクケースを指さす。真壁の頷きを確認した後に恐る恐る開けてみる。

 ――1本の鍵があった。

 それはしばらくの間、私の思考を止めた。
 青銅色で細かく装飾が施されているウォード錠の鍵。見ているだけで悪寒がするそれは、恐ろしいほど魅惑的で、狂おしいほど冒涜的な何かに包まれている感覚を部屋一帯に拡げた。

「――どう思う。きっと悪い意味で面白いことが起きそうだろう?」
 真壁の言葉ですっと我に返った。
「あ、ああ。異様な物であることはわかったよ」
 全身の血の巡りを感じた。私はあの瞬間、心臓が止まっていたのではないかと錯覚するほどに。
「話はここからなんだ」
 真壁の言葉で私は冷静になり、彼に向き直った。
「この遺物が見つかった場所で少し調査をしてほしい」
「何で私が?」
「君なら行ってくれそうだと思ってね……」
 真壁は再び難しそうな顔をした。
「この遺物はここ、赤桐市の北部、山奥の洞窟で見つかったんだ」
 私は何も言わずに真壁を見つめる。
 真壁は絞り出すように言葉を吐き出す。
「……調査隊が全員撤退したんだ」
 その言葉は流石の私でも驚きを隠せない。
「な、何があったんだ?」
 私の言葉を聞き、真壁は重い口を開ける。
「正直に言うと、わからない。皆調子が悪くなったり、嫌悪感を抱くんだ、その洞窟自体に」

 私は呆然として、何も言えなかった。しかしそれと同時に別の感情が湧いた。

「ある者は洞窟へ入る前に嘔吐、そしてある者はしばらく進んだ後、足が前に動かなかったと聞いている」

 私のこの感情は何だ。とても焦るようなこれは。

「ただ、君なら面白がって調べてくれるだろうと思ったんだ。どうか、この依頼を受けてはくれないだろうか」

 逡巡した。しかし勝てなかった。私を狂わせている人知を超えたそれに。

「わかった」
 私の言葉に、真壁は安堵したようだ。そして私に封筒を差し出した。
「これは前金だ。洞窟の最奥に何があるかを教えてくれ」
 私は、真壁から調査隊の資料と鍵の入ったトランクケースを受け取り、帰宅した。

――――――――――――――――

 調査隊の資料を見る限り、おかしなところはない。強いて言うなら、少し前の地震の後に見つかったということ。そして、その地震が山が崩れる程の震度ではなかったということだ。
 洞窟の場所は、あまり山奥ではなく、町と隣接しているとも言える。
 そして、一番重要なこと、なぜかあまり人を近寄せない雰囲気があるとのこと。資料によると、個人差はあるが、洞窟に近づくに連れて体調不良を訴える隊員や生理的に受け付けないといった声もあった。周囲の住民は無意識にその洞窟を回避して生活していると記載がある。
 私の中で、何かが疼く。
 私は明日、この洞窟に向かおうと決心した。

――――――――――――――――

 夜、夢を見た。
 そこは、赤レンガの街並みだった。
 その町の交差点の中央に、私は仰向けに寝転がっていた。体を起こせば、活気のありそうな街並みが見える。明るさから察するに、正午ごろの雰囲気を感じる。
 辺りには人影が見える。しかし、その人影全てが、黒く靄がかかったような、ぼやけた外見をしている。声は発さず、聞こえるのは足音だけ。驚き戸惑う私に、見向きもしない人影は、それぞれ生活をしているようだ。小さな人影が大きな人影に連れられて歩いていたり、大きな人影同士が話し合ってそうにも見える。

 しばらくすると、人影が皆どこかへ隠れるように消えていった。

 静寂に包まれた。その時、それは起こった。

 ――空が剥がれ落ちていったのだ。

 私は目を疑った。先ほどまで雲一つない青い空だったが、燦々と輝く太陽が、零れるように、くすんだ灰色の欠片となって、落ちていった。
 深淵の如き闇の空が、顔を覗かせている。
 私が急ぎ、見晴らしの良い、港のような場所へ行く。
 すると、海上で暗雲が立ち込めていた。
 それを見た瞬間、不思議と嵐だと直感する。
 徐々に風が強くなり、嵐の体をなしてきたころ、暗い雲間に何かが見えた。
 おぞましく、けがらわしく、神秘的で、冒涜的な、"それ"はいた。
 本能で感じる。あれは、この世のものではない。そして、この世を歪めうる純然たる力の塊であると。
 汗が止まらない。息が苦しい。体が動かない。
 ――――だが目が離せない。

 目を覚ますとそこは自室のベットの上だった。
 全身は酷く疲弊していて、汗まみれの居心地の悪さが私に冷静さを取り戻させてくれた。
 そして、右手には、例の鍵、青銅色の鍵が、強く突き刺さるかのように、握り込まれていた。ケースを開けた記憶はなく、開けたままになっているわけでもなく、ただ、右手から生まれたかのように、それは握り込まれていた。

――――――――――――――――

 朝、私は、疲れた体を和らげるように、真壁に頼まれたあの洞窟へ向かうことにした。特に策は無く、偵察といったところだ。
 向かう先は、赤桐市の北方にある、桑原町くわはらちょうの山、桑原山くわはらやまだ。
 赤桐駅から桑原駅、そこからバスに乗り換え、おおよそ30分ほどかかった。景色は大きく変わり、牧歌的な風景を目に映す。
 私は桑原町を訪れたことがあまり無く、昔に1、2度訪れたことがある程度だと思い出した。ここは、赤桐町と比べて、言ってしまえば田舎だ。探そうと思えば畑はすぐ見つかり、逆にコンビニを探す方が難しいといった場所だ。車通りはあるものの、出ていく車ばかりに見える。
 私は、田畑の前のバス停で下車し、バスを見送った後に山へ向けて歩き出した。

 目的の山に近づく連れて、人の気配は無くなり、生物の気配も感じなくなっていく。優しく額を撫でていた風も止み、山の入り口に着くころには無風になっていた。
「ここがその山か」
 静寂を掻き消すように発した言葉は、木々の影に吸い込まれるように消えていった。
 入り口は特に整備されておらず、ほぼ獣道だと言えよう。

 ――覚悟がいる。ここから先は、普通ではない。調査隊が撤退した、その異常が襲ってくるはずだ。

 いや、異常なのは私の方かもしれない。真壁から調査隊の話、今朝の夢を見たというのに、あまり引く気になれない、この私自身が、既に何かに魅せられているのだろうか。

 そこで思考が止まる。

 私は足を踏み出す。覚悟を決める前に、"体が勝手"に。
 頭は動揺している。しかし、何かに導かれるように体は歩き出す。
 一歩、また一歩と、歩くたびに、何かを得ている感覚、心地よい感覚がする。
 貰った資料を見ずとも、わかる。直感で感じる。あの洞窟の場所が。
 足が徐々に軽くなる。
 暗い獣道が見える。
 呼吸が落ち着く。

 ――気が付くと、洞窟が、目の前にあった。

 ふと我に返った私は、資料を開き、確認する。
 ここは目的地であった。
 何の問題もない、ただ気分が高揚したに過ぎない。そう考えるしかない。

 冷静になり、辺りを観察する。そして分かったことがある。この洞窟の入り口は、山が崩落した結果、露出したわけではない。そして、地下からせり出てきたわけでもなさそうだ。ただ以前からそこにあったかのように洞窟はある。

 そこで気が付く、体調不良が起きていないことに。洞窟の入り口に足を踏み入れてみたとしても、特に何もない。資料には個人差があると記載されていたが、運が良かったのだろうか。そんな気はしない。
 昨日から、私自身に不可思議なことは起きている。真壁に会って鍵を見たとき、調査隊について聞いたとき、今朝の夢、そして山の入り口のとき。
 私は気が触れてしまったのだろうか、それとも何かに歪まされているのだろうか、何かに導かれているのだろうか。
 不安が全身を駆け巡る。しかし、ここまで来たのだ。きっとこの洞窟の奥に、その何かがあるのだろう。そのような気がする。
 私は進んだ。

 中は特に変わった様子はない。懐中電灯が無ければ前は見えないが問題はない。草木は無く湿気が少しある。道はやや下に傾いているが、滑るような地面ではない。高さも私の身長よりやや高く、横幅にも余裕がある。体調不良にもならないため、思っていたよりも拍子抜けだ。
 資料によれば、鍵が見つかった場所は、入って少し進んだ先にある岩の上らしい。この岩の天面には、少しの窪みがあり、そこに仕舞うように置いてあったとされている。まるで古代の文明のように感じる。
 岩を通り過ぎ、しばらく道なりに進む。曲がりくねった坂道を行き、どんどん深くへと歩みを進める。
 洞窟の中でも、生物の気配は一切なく、少しカビ臭い程度であった。

 歩き続けること数分、地面が水平になったかと思うと、この先から、地面の材質が少し変わり、坂道ではなく階段になっていた。
 階段を下ると水平の道が続き、奥には扉が見える。
 木製の扉のようだ。その扉は、ほとんど朽ちており、手で軽く押すだけで、そのまま扉は前に倒れた。

 一見、プラネタリウムのようだった。
 そこは小さな石造りのドーム状の部屋で、壁と天井には何かしらの模様が描かれていた。
 それは、見る人が見れば文字、人や生物、星や建築物とも見える模様が存在している。しかし、目を離してもう一度それらを見たとき、どう見ても線と点の羅列にしか見えなかったりもする。
 それに加えて、部屋の中央には台座らしきものがある。それは、腰ほどの高さで円形のテーブルのように見える。直径は40㎝ほどで、横から見た形状は円柱を少しくびれさせた、ワイングラスのようだ。
 この部屋が終点のようで、他に扉や道は見当たらない。
 私は本来の目的を思い出し、部屋の探索を続けることにした。

 ここまでの道のりの地図を簡単に描き、壁や天井の写真を撮り、中央の台座らしきものの写真を撮った。
 台座を詳しく調べていると、天面の中央に”穴”がある。丁度何かを差し込めそうな穴が。
 私は、忘れかけていたある物を取り出す。背負っていた鞄から、小さなトランクケースを出す。ケースの中にあるのは、ある意味で私を狂わせた原因である、青銅色のウォード鍵だ。
 その鍵を台座の穴にあてがってみたところ、予想通りだった。
 鍵は摩擦も無く、滑るように入る。しかし、それよりも驚くべきことが起こった。

 ――台座が淡く光っている。

 それに気が付いたと同時に、再び、心地よい感覚が私を覆う。
 これを開けた方がいい。
 これを――――
 これを開けた方がいい。
 これを開けて――
 これを開けた方がいい。
 これを開けてくれ。
 これを開けた方がいい。

 私は、鍵を、回した。

 天井が、上から、ゆっくりと、透明になって、消えてゆく。
 その向こうから見えてきたのは、夕暮れの街並み。
 どこかで見たことのある、レンガ調の街並み。
 どこかで見たことのある、交差点の中央にいる。
 外壁がより赤く染まっていく。
 台座が鍵穴を残して、外周が四方に割れる。
 割れ目から風が吹く。
 橙色と空色の塵が舞う。

 音が消える。
 色が消える。
 空気が変わる。
 空が割れる。
 空が剥がれる。
 灰色の塵が舞う。
 街の明かりが消える。
 空が黒くなる。
 徐々に風が強くなる。
 風が辺りを全て吹き飛ばす。
 風が嵐になる。

 笑い声が聞こえる。
 優しさを感じる。
 暖かさを感じる。
 恐ろしさを感じる。
 痛みを感じる。
 悍ましく感じる。
 穢らわしく感じる。
 神秘的に感じる。
 冒涜的に感じる。

 見えた気がする。

 神が、見えた気がする。

 音が戻る。
 自分が叫んだ声が聞こえる。
 色が戻る。
 自分の手が血まみれだと気付く。

 私は無理やり、鍵を逆に回し、引き抜いた。

 そこは、石造りのドーム状の部屋だった。
 壁の模様も台座の形も、何も変わらない。片手にはあの青銅色の鍵を持っており、手には血の跡すらも残っていない。
 何が何だかわからなかったが、あのままではあの街が、あの世界が、この町が、この世界が、全てが無くなっていたのだろう。そう感じた、そう考えることしか出来なかった。
 私は、鍵をケースに仕舞い、急ぎ早に洞窟から出ることにした。

――――――――――――――――

「――そして、これが報告書だ」
 私は真壁に全てを話した。そして、その日の出来事をまとめた報告書を手渡した。
 この煙臭い事務所も、段ボールや本が散らばっていることも、今回の出来事と比べたら安心すら感じる。相変わらすと言えば相変わらずだ。
「な、なるほど。全く現実味のない話だ」
 引き気味で唸る真壁は、煙草を吸いながら言う。
「だが、君が言うならその通りなんだろう。これまで嘘をつかれた記憶もない。一応信じてみるよ」
「それは良かった。心身を削って調査した甲斐があったというものだ」
 痩せ我慢をする私に、真壁は真面目な顔する。
「その話が本当なのだとすれば、例の鍵は厳重に保管した方がよさそうだ。こちらで保管するがいいかい?」
 真壁の差し出す手を、あのトランクケースで押し潰すように乗せる。
「もちろん、是非とも引き取ってくれ。出来れば二度と見たくもないし触りたくもない。ついでに洞窟も塞いでおいた方がいいだろうな」
 私の言葉に、真壁は安心するようにため息をつき、笑う。
「今回はすまなかった。危険に慣れている君でも、危険すぎた案件だったようだね。報酬は増やす。何より、君が無事に戻ってこれて良かったよ。」
 「いや、私が行きたいと言ったから依頼を受けたんだ。真壁のせいじゃない。まあ、無事に帰ってこれて良かったのには同意する」
 真壁の心配を笑ってやった。

 しばらく話した後、私は報酬を受け取り、事務所を出ようとする。
「また、こういう類の話は必要かい?」
 真壁は呆れた優しい顔でそう言った。
「ああ、今回は記事になりそうにない話だったみたいだからね」

――――――――――――――――

 私はなぜあの洞窟へ調査したいと思ったのだろう。
 今は全く行きたいとは思わない。何が私にそうさせたのかはわからないままだ。

 私の中の何かが、好奇心を膨らましている。





 あとがき

 著者の風城ふうじょうと申します。
 まずは、読んでいただきありがとうございます。
 読んでいただけるかどうかわかりませんが、一応読んでいただけたのなら感謝の意を伝えようと思い、書いております。
 この小説は、いつか書こうとメモ帳に温めていた、アイデアを頑張って膨らませて書いた、ネット上では処女作となります。
 稚拙な文章、誤字脱字、設定の不完全さ、言葉遣い、その他の違和感、あったでしょうがどうかお許しください。
 何か作りたい、何かを描きたい、そういう創作意欲が飽和したので、思い切って鍵を叩いております。
 この小説の目指したところは、クトゥルフ神話の小説ような、狂人と常人の狭間を描くことです。読んてくれた方にその”狂”を感じていただけたならば幸いです。主人公の”私さん”の記述が少ないのもその理由です。
 今後も創作意欲が飽和したときに小説を書こうと思います。そのときはまた読んでいただけたなら幸いです。

 最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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