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ふっと思うこと。あるいは気付き。

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ふっと降りてきたり湧いてきたりする言葉。気付きのあれやこれや。
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嫌われるダメージ

ひょっとして、あの人に嫌われてるかも・・・ って思ったら、想像してみる。 家のトイレ、湯沸かし器、冷蔵庫、洗濯機 その手の中のスマホ それら突然一気に壊れる方がダメージ大きくない? 明らかに、困るやんね。 あの人に嫌われるダメージと 生活家電が一気にバーストするダメージ比較。 今、この瞬間、 「一気に壊れる?こっちの方が大変じゃないか」 と思えたら。 あの人に嫌われてるかもしれないことは 自分が思っているほどは 大したことないかもよ。

離れようのないもの

わたしの個人的感覚的な話 本来 離れていないもの どうやったって 離れようのないものと 離れているように感じていて 本来 一体ではないもの どうやったって 一体化出来ないものと 一体であると感じている それが 日常の人間視点なのかも と ふと思った

フツーが最強説

普通。ふつう。フツー。 カタカナ表記が一番「なんでもない」感があるから フツー、としよう。 今、自分の中で 「フツーという感覚が最強だ」説があり、 これをどうにか言葉にまとめたいと考えている。 これはまだまだその一端。 フツーが最強とは。 みんなそれぞれ、「フツー」をしてる。 自分のフツーを。 人によってフツーと捉えているものは違うから、 自分のフツーと違うフツーで生きている人を見ると 反応する。 「羨ましい」「ありえない」「変わってる」などなど。 ただ、フツ

嫌いな野菜を育てているようなもの

「自分に合っていない」 「やってて楽しくない」 仕事をしているのって、 自給自足の生活において 自分の畑で わざわざ 自分の嫌いな野菜を 育てているようなものかも、って思った。 それを食べて生きるので 育てないといけないんだけど、 嫌いな野菜なもんだから 育てたい意欲は低いし、 ぶっちゃけ育ってもたいして嬉しくない。 必要な分だけあれば良い、というより 必要以上は育ってくれるな、という。 豊作を願わないって、どうよ。 でも今のところは 育て方を分かってるし 嫌いだけ

ぶった切って逆にする

やりたいことに それをやれない理由をくっつけて やめたいことに それをしなければいけない理由をくっつける。 あれ? ぶった切って逆にしたら、いい感じじゃない? やりたいことに それをしなければいけない理由をくっつけて やめたいことに それをやれない理由をくっつける。 で、逆にくっつけた後のその理由なんてものは 自分の好き勝手で良いんです。 自分にだけ意味が通じれば良いんです。 自分以外の誰かを納得させる為の理由なんて 上手くくっつかないし、くっついたところで心

感情の純度

20年ぐらい前、自動車教習所へ通っていた。 小さい頃からの乗り物酔いが嫌で、 「車を運転できるようになったら、治るよ。」 と聞いたから。 車酔うし、バス酔うし、電車酔うし。 ついでに 自転車も長く乗ると、軽く酔う。 こんなんじゃ、遠出なんて出来んじゃないか。 運転に興味があった訳ではないので ちっとも楽しくなかったが、 目的はあったのでなんとか通っていた。 ある日、 学科テストがあって、テストの結果は即日開示。 教習所ロビーの大きなテレビ画面に、合格者の番号が映し出

大人の言うこと

うんと幼いころ 『大人の言うことは正しい』 と思っていた。 類似するものに、 『大人は何でも知っている』 『大人は何でも出来る』 『本に書いてあることは本当』(だって大人が書いているから) など。 今の自分がその頃の自分からして 主に年齢的な意味で とっっっっっっても大人になった現在思う。 いやいやいやいや。 「とんでもない間違いや!」と。 待て待て待て待て。 「そんなん信じたらあかん!」と。 ああ。ピュア。あの頃のわたし。 ピュアすぎて、 それが信じるに値する

遊ぶように仕事をする

「遊ぶように仕事をする」 なんかこれ、めっちゃ憧れるけど 分かるような、分からんような。 と思ってた。 今日、夕方の公園で 子供たちがたくさん遊んでた。 どうやら鬼ごっこをすることになったようで、 ワイワイキャーキャー言いながら 四方八方に駆け出して行った。 「楽しそうやな〜。仲ええな〜。」と 何気に見てたのだが、 ある子の表情を見て、「おお!」となった。 超真剣な顔。 逃げる時は全力で逃げ、 追う時は全力で追う。 全力。 全力で逃げて追いかけて。 全力

1秒もない

1日の予定表を 好きなこととやりたいことで埋めてみたら、 1日の終わりで 時間が足りなくなって 全てをクリア出来なかった。 それが数日続いて はっ!と気付く。 全ての時間を割り当てても 全ての好きなこととやりたいことが やりきれない。 ということは。 本当のところ 好きでもないことやりたくないことに 割り振っている時間なんて 1秒もない ということだな。

感覚オタク

自分の感覚のオタクになる。 すごいと言われている人達って結局はみんな、自分の感覚にピッタリくる、しっくりくる何かをしつこくしつこく探し当てたってことだ。 「そんな些細なことまでこだわるんですか?!」「そんな細かい差が分かるんですか??」 って、自分の感覚に従った結果、そこに行き着いただけだと思う。 分かる、出来る、は、自分の感覚に従ったその結果であるというだけだ。 その人達が本当にすごいのは、分かる、出来る、のレベルではなくて、自分の感覚ど真ん中に当たるまで止めなか

「好きなことで稼ぐ」を考える

好きなことで稼ぐ つまり、「なにがしかの好きなこと」と「稼ぐ」がドッキングされた状態なのだが、そもそも「稼ぐ」ことが「好き」でないと、苦しむことになると思う。 「稼ぐ」が できればしたくない 誰かにやってほしい という「嫌い」カテゴリーに入っているのだけれど、でも「稼がないといけない」から、「好き」と一緒なら「嫌いだけどやらなきゃいけないことを、少しは好きになれるかも」と思ってしまう。 だけど、好きなことと嫌いなことを一緒にすると、 得てして 好きなことが楽しくなくなる

循環の始発と終点

めぐり続けるその「流れ」は すべての点が始発で すべての点が終点 めぐり続けるこの「いま」は、 自分が流したものの終着点で 自分が流し始める始発点 あるものしか、ない ここからしか、動けない 流れて来てから流すんじゃなく 起きるのを待ってから動くんじゃなく あるものを、ここから流す。 やれることで、いまから動く。 もっと面白いめぐりをおこそう。

つぎまでのあいだで

トイレから次のトイレまでのあいだで  食事から次の食事までのあいだで 布団を出てから次に布団に入るまでのあいだで 何を考え 何を選び どんな行動をするのか それによって 次のトイレから次×X(かけるエックス)回後のトイレまでのあいだに 次の食事から次×X回後の食事までのあいだに 次に布団を出てから次×X回後に布団に入るまでのあいだに 自分が体験すること 自分が感じることは まったく異なるものになる ひとつ先のわずかな変化から生じる そのみっつ先の変化さえ

流れ

それを 「原因」と取るか、はたして 「切っ掛け」と取るか。 「切っ掛け」は流れ。 その流れに 自ら望んで身を投じるのか 抗う術もなく身を任せるのか。 その違いはあれど 流れゆくその先で 流れ着いた自分は 今の自分が知り得ない景色を 見ているのだ。 水の流れなら溺れるかもしれない 風の流れならとばされるかもしれない 時の流れなら取り戻せないかもしれない 「それでも」 と思えるか。 問いはひとつ。 「どうしたい?」