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人間解放の実践のために [2/4]

―― 人 間 解 放 の 実 践 の た め に ――
序文 -- 人間解放の実践のために
▶ 「理想工場」の射程 -- 小林茂の理念と実践 ◀
「マネジメント・ゲーム」の射程 -- 会社を奪還せよ
「人間主義」の射程 -- マルクスを超えて


「理想工場」の射程 -- 小林茂の理念と実践

真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設

井深大「東京通信工業株式会社設立趣意書」

 ソニーの設立趣意書に刻まれたこの文言は、今や世間に広く知られている。「理想工場」が有名になったのは、それが理念として魅力的だっただけでなく、それが現実の工場で実践されていたからに他ならない。この論考では、ソニーの厚木工場を「理想工場」に再生した立役者である、小林茂の理念と実践に焦点をあてたい。


小林茂の理念 -- 人間こそが労働の主人公であれ

 小林茂の理念を一言で表すとすれば、「人間こそが労働の主人公であれ」が良いだろう。彼が思い浮かべているのは、まるで意志を持たないロボットのように扱われる労働者たちである。工場は、労働者たちを生産ラインの部品として扱う。彼らは、機械のリズムに従って、退屈な作業をずっと繰り返す。これでは、機械が労働の主人公になってしまう。

さて、労働が真に人間形成に役だつものとなるには、もちろん労働の場において、人間が中心にならねばならない。

近代産業につきものといわれる人間疎外的労働体制のもとでは、労働は人間を破壊するだけである。目先だけの生産性向上のために、人間が機械や組織や規則の奴隷となっている現生産体制を、いかにして改革し、人間が労働の主人公となるようになし得るであろうか。どうしたら、人びとがみずからエンジンを回転させ、生甲斐にみちて自発的に労働するような体制をつくることができるであろうか。

小林茂『ソニーは人を生かす』p. 74

 以上の引用文に、小林茂の問題意識がはっきりと表れている。「人間疎外的労働体制」という硬い言葉が使われているが、これは要するに、人間が人間として扱われない労働体制のことである。1960年代は、社会のあちらこちらでマルクス的な言葉が飛び交う時代であった。

 労働するということ、何かを作り出すということは、ほんとうは生甲斐にみちた歓びの営みであるはずなのに、現実においては人間を苦しめている。人間こそが労働の中心で躍動するべきなのに、実際に躍動しているのは機械や規則で、人間はひたすら消耗していく。この状況は、どうにかして改革されなければいけない。この理念とともに、小林茂は厚木工場長に着任したのである。


少年少女の「砂利意識」 -- 透徹した現状分析

 序文で述べたように、人間解放の実践のためには、理念だけでは充分ではない。透徹した現状分析が必要である。この点についても、小林茂は抜かりなかった。

 工場長となった彼が直面したのは、女工たちの「非行」である。トランジスタの専門工場だった厚木工場には、全国から集団就職の少女が集まり、小林茂が着任した当初においても500人を超えていた。彼女らの勤務態度はきわめて悪く、トイレットペーパーや上履きの盗難がたびたび発生した。ソニー創立15周年記念日のストライキは、厚木工場の女工たちが主力だったようである。

 小林茂をのぞく幹部職員たちは、女工たちの非行や反抗について、もともとの不道徳が原因だとしていた。そうであれば、工場スタッフは、規則と罰によって彼女らを縛りつける他はない。規則も罰も与えたくないけれども、女工たちがどうしようもなく不道徳なので仕方がない、というのが幹部職員たちの主張だった。

 これに対して、小林茂は真っ向から異を唱えた。女工たちはもともと不道徳なのではなく、工場で人間性が否定されていることによって、不道徳にさせられている。彼女らの非行や反抗は、彼女らの不道徳ではなく、幹部職員たちの態度が原因となっている。

 小林茂が女工たちに見出したのは、深い絶望と劣等感から生じる「砂利意識」であった。彼女らは、ひとりの人格としてではなく、ただの労働力として扱われる。日本再興の象徴たるソニーに希望を抱いて就職した少女たちは、工場でも寮でも人間性を否定されてしまう。彼女らは「生きた機械」であって、寮での食事やレクリエーションは、機械に油をさすことと違いはない。

 人間は、人間として扱われることによって初めて人間的になる。だから、人間性を否定され、歯車として扱われれば、とうぜん人間性は失われてゆく。人間としての尊厳を否定された「砂利意識」は、彼女らを非行や反抗に駆り立て、さらに規則や罰が厳しくなる。人間性の否定が、非行や反抗の原因でもあり結果でもあるという、地獄の無限循環に少女は囚われてしまう。


小林茂の実践 -- 人間解放のために

 理念と分析がそろえば、あとは実践あるのみである。ここでは二つの具体例を紹介するにとどめるので、詳細は小林茂の著作をあたっていただきたい。

 彼の工場改革の象徴は、何といっても「無人食堂」であろう。もともとは売り子が食券と引き換えに食事を提供していたが、これだと時間がかかって仕方がない。そこで、食堂を無人スタンドにして、誰の監視もないままに各自が食券を入れて食事を取ってくる方式に変えてしまった。

 もちろん、無人食堂にはたいへんな困難がともなう。監視がないので、食券を入れずに食事をタダで取ってくることができるからである。女工たちを不道徳だと見なす幹部職員たちはみな無人食堂に反対したが、小林茂はそれを押し切って導入した。彼の分析によると、女工たちを尊厳ある人間として認めれば、彼女らは尊厳ある人間として行動するはずだった。そして、現実にそうなったのである。

 もう一つの例として、「作業標準」の自主制定を紹介しよう。現代的に言えば作業マニュアルの自主制定である。もともと作業標準は、専門スタッフによって制定され、その手順どおりに作業することが求められた。スタッフは新人研修も担当し、規則通りに手を動かすよう指導した。すなわち、労働の主人公はスタッフと作業標準であり、女工たちは頭脳の存在を否定され、ただ手を動かすだけの機械として扱われていた。

 彼女らがふたたび労働の主人公となるにはどうすれば良いか。彼女らが作業標準を制定すれば良いのである。現場で効率的な作業方法が新たに発見されると、それは直ちに作業標準に取り入れられて、工場の生産性が向上していくようになった。専門スタッフよりも現場の女工のほうが、工程についてはよく知っているのである。また、新人研修が現場で行われるようになったことで、新人の習熟が大幅にスピードアップした。

 効果はそれだけにとどまらない。作業標準を制定するにあたって、女工たちが勉強会や交流会を開くようになると、自分たちの工程の意義を理解できるようになって作業意欲が高まった。また、現場での新人研修では、先生役となる先輩が自信を強め、人間としての尊厳を回復していった。そして実際に、これらの複合的な作用の結果として、十数種におよぶ全タイプのトランジスタ生産の歩留まりが、毎月のように新記録を更新し続けたのである。

 こうして厚木工場は、ソニーを体現する「理想工場」となった。労働の主人公は現場の女工たちであり、彼女らはまさに人間として働いていた。生産機械の高度化にともなってトランジスタの女工たちは姿を消したけれども、小林茂の理念と分析、そして実践は、現代においても輝きに満ちている。

[ 続 ]



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