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2040年 生命の旅 (広島死闘編)

たった二週間ほどだったが、

こんなにも話が合う”おじさん”だと思わなかった。

「じゃけんのう」

語尾にそうついていたので、別に広島に縁があるわけでもないのだが、親しみを覚えた。(山口生まれだそうだが・・・)

図面師として活躍されていたそうだ。

いい時代もあった。

ゴルフに興じていた時代もあった。会員権の時代もあった。

ドラフターと格闘していた時代もあった。

この人の情報取集能力は凄かった。

看護師から、掃除のおばちゃん、病院の事情・実情。

あらゆる情報を集め解析していた。

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「ワシはAB型やと思ててん」

「へんこやし」

嫁はんが倒れるまで、自由気儘にしてたわ。

それから、二年介護した。

苦労かけたからな。

先に逝ってまいよったけどな。

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それからが、わしの悪業が出よった。

腸にも胃にも、膀胱にも、あちこちに散らばり寄った。

足も麻痺してきよった。

ステージ4やさかい。

そんな風に見えなかった。

若い看護師に気に入られ、いつも冗談をいいやっていた。

急に容体が悪くなっていた。

横に寝ているいるのがつらい程だった。

血糖値が300を超える日もあった。

動けぬおじさんに代わりに、

病院のコンビニにお粥を買いに走った。

この粥美味しないから、味ついてないやつと味ついてるやつ買うたろ。

廊下でやかましいジジイがおったからおじさんの代わりに怒鳴りに行った。

「ワシこの病院から出るわ」

「広島の娘の近くにでも住もかな」

良くなるわけでもなく、悪くなるわけでも、おじさんは知っていた。

自主退院された。

杖を持っておられなかったので、予備の折りたたみの杖をあげた。

「患者間の貸し借りはやめてくださいね。」

ある看護師が言った。

そんな杓子定規な。

病院を出た直後に倒れるかも知れんのに。

握手をして別れた。


「希望を持って”生き抜いて”ください」



ええかげんな奴じゃけ
ほっといて くれんさい
アンタと一緒に
泣きとうはありません

どこへ行くんネ
何かエエ事 あったんネ
住む気になったら
手紙でも出しんさいや

季節もいくつか
訪ねて来たろうが
時が行くのもワカラン位に
目まぐるしかったんじゃ
人が好きやけネー 人が好きやけネー

さばくも さばかんも 空に任したんヨー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

何かはワカラン
足りんものが あったけん
生きてみたんも
許される事じゃろう

自分の明日さえ
目に写りもせんけれど
おせっかいな奴やと
笑わんといてくれ

理屈で愛など
手にできるもんならば
この身をかけても すべてを捨てても
幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー

選ぶも 選ばれんも 風に任したんヨー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

心が寒すぎて 旅にも出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー

行くんも とどまるも それぞれの道なんヨ
人が生きとるネー 人がそこで生きとるネー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー







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