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「本来の責任」が人権トラブルを解決する(その1)〜「正義」から「責任」へ(その10)

前回、人権トラブルを解決するためには、解決の観点を「正義(正しさ)」や「義務としての責任」から「本来の責任」へと切り替えることが必要だと書きました。それは実際にはどういうことなのかを、今回は職場におけるパワーハラスメントを例に考えてみたいと思います。

一般に人権侵害や差別というものは、「強い立場」の人が自分の「正義(正しさ)」にもとづいて、「弱い立場」の人を自分の力で無理やり動かそう(変えよう)とした時に起きるものです。今回、パワーハラスメントを例として取り上げるのは、人権侵害や差別が起きる基本構造が一番、よくわかるのがパワーハラスメントだからです。(パワーハラスメントと個々の人権侵害や差別との関係については、「高校生のための人権入門」などをご覧ください。)

パワーハラスメントが起きる過程

パワーハラスメント(パワハラ)は、職場における「強い立場」の人が、自分の思うとおりに「弱い立場」の人が振る舞っていないと感じるところから起きます。職場でパワーハラスメントをする「強い立場」の人とは、ふつう管理職とか上司と考えられていますが、それだけではありません。非正規職の人に対して正規職の人、後輩に対しては先輩、それ以外にも実績を上げている人や、周りからしっかりしていると見られている人なども、すべて「強い立場」の人になります。

ふつう「強い立場」の人は、最初は常識的な範囲で自分の持っている「強い立場」(つまり、力)を使って、「弱い立場」の人を自分の思うとおりに動かそうとします。それでうまくいっている間はもちろん問題はないわけですが、いつもそのように「弱い立場」の人が思いどおりに動くわけではありません。動かなかった場合に、「強い立場」の人が自分の持っている力を見境なく使って、相手を無理やり思いどおりに動かそう(変えよう)とすると、パワーハラスメントが起きます

力で人を動かすことはできない

パワーハラスメントの具体的な例について考える前に、人権問題を考える上できわめて重要なことをひとつだけ確認しておきます。それは、そもそも「力で人を動かすことはできない」ということです。一見、力で動かしているように見える場合もありますが、それは「強い立場」の人がその力で「弱い立場」の人に脅威を与え、「弱い立場」の人が自分の利害にもとづいて「強い立場」の人に従うことを自ら選択している場合だけです。考えてみればわかりますが、「強い立場」の人が「弱い立場」の人を、いくら自分の力で動かそう(変えよう)としても、「弱い立場」の人がそれを無視したり、断固として拒否したりすれば(つまり脅威や脅しに屈しなければ)それで終わりなのです

ちょうどそれは、イソップの「北風と太陽」のお話のようなものです。北風が激しい風を起こして旅人の外套を吹き飛ばそうとすればするほど、旅人は外套を飛ばされまいとさらにきつく身にまといます。旅人に外套を脱がせるためには、旅人に「そうしたい(着ている必要がないから脱ごう)」と思わせるしかないのです。力(強制、強要)でそう思わせることはできません

パワーハラスメントは、「力による脅し」が失敗したケース

パワーハラスメントや人権侵害とは、いわばそのような「力による脅威や脅し(強要、強制)」が失敗したケースだと考えることができます。しかし、パワーハラスメントや人権侵害にはまり込んでしまった「強い立場」の人は、決してそう思いません。北風と同じようにさらに自分の力を振り回し、苦痛を与えてでも相手を後悔させ、反省させようとして結局うまくいかず、一層、パワーハラスメントや人権侵害の泥沼にはまり込んでいくのです。

以前にも何度か書きましたが、そのような泥沼状態になってからパワーハラスメントを解決する(加害者と被害者がなんらかの形で納得や合意を持ち合う)ということは、ほぼ不可能です。逆に早い段階であれば、「強い立場」の人に「本来の責任」を自覚させることによって、泥沼状態に陥ることを防ぐことができます

あるパワーハラスメントのケース

次に挙げるのは、職場でのパワーハラスメントをひどく単純化した一例です。実際のパワーハラスメントは、さまざまな事情(職場の環境、当事者の経歴や性格、相手に対する思い込み等)が複雑にからみあっています。そのことがパワーハラスメントの原因を見つけたり解決したりすることを、一層むずかしくします。そのため、ここでは起きていることの本質を見えやすくするために、あえて単純化した例にしていることをご承知ください。

ある職場のトラブル

ある職場の係長のAさんは、部下のBさんに強い不満がありました。Bさんに仕事を頼むと、その時は「わかりました」と言うのですが、実際は締め切りが守られないことが多く、ようやく出てきたものもAさんの考えとはひどく違うことが多いのです。Aさんは今回、Bさんに頼んだ仕事(ある企画の計画案)もどうなるか心配だったので、それとなくBさんの仕事の様子を見ていました。すると、去年出された分厚い調査結果を調べ直して、それを新たに資料にまとめ直しているので、頼んだ仕事はまったく進んでいないようでした。

Aさんは、これでは今回も間に合わないと思ってBさんを呼び、今なにをやっているのか聞きました。思ったとおり、去年の調査結果をまとめていますとの返事だったのでAさんは、「そんなことはどうでもいいから、わたしが頼んだことをさっさとやりなさい」と言いました。ところが、Bさんはむっとした態度で、「この仕事をするためには、去年のデータをまとめ直しておかなきゃならないんです」と言い返します。Aさんは、その態度にカチンときて、「だから先日言っただろう。去年の調査の分析はもう済んでるんだ。それに基づいて、課長や補佐とも相談して、今年はこの企画はこうした形でやることにしたと君にも説明したはずだ。君に頼んだのは、わたしが話した今年の企画の案を文書にまとめることだ。なに余計なことやっているんだ、おまえは」と叱りつけました。Bさんは、これはパワハラだと思いました。

トラブルが起きた直接の原因

なぜこんなことが起きるのでしょうか。この単純化したケースの場合、このようなトラブルが起きた直接の原因は、係長のAさんが、Bさんの特性を理解していなかったことにあります。おそらくBさんはASD(自閉スペクトラム症)の傾向を持っているために、口頭でどんどん説明されてもその場で充分理解できない傾向があるのです。一般にASDの人は、耳から入ってくる情報(聴覚情報)は受け入れにくく、目から入ってくる情報(視覚情報)は細部まで正確にとらえられる傾向があると言われています。さらに、ASDの人は、自分のストーリー(やり方、段取り)がきちんとあり、そのストーリーにそってものごとを進めないと納得ができない傾向(こだわり)があるようです。Bさんの考えでは、去年の調査結果をまとめた上でなければ、今年の計画は考えられない(考えるべきではない)のです。

トラブルが起きたもうひとつの原因

今回のトラブルが起きた直接の原因は、たしかに係長のAさんが、このようなBさんの特性を理解せず、必要な対応(たとえば、話の要点をメモに書いて渡し、それについて説明する等)をしていなかったことにあります。しかし、もしそのようなことを上司から注意されれば、Aさんとしては、「ほかの人にも同じように口頭で指示をしているけれども、なんの問題も起きない。なのに、なぜBさんにだけそんな特別なやり方をしなければいけないんだ」という思いが起きるでしょう。

つまり、今回のトラブルが起きた原因としては、Bさんが職場の多数派と違って、ASD(自閉スペクトラム症)という少数派の傾向を持っていたこともあるのです。そう考えると、今回のトラブルが起きた原因は、AさんにもBさんにもそれぞれ違った形であることになります。(このあとを読んでいただければわかることですが、「原因(がある)」ということに、わたしは非難や批判のような意味はまったく込めていません。ここでは単なる出来事の「因ー果」関係を述べているだけです。)

念のためにつけ加えますが、先ほどの例はあくまで単純化したひとつのケースです。ASDのあらわれ方は人によってすべて違います。また、パワーハラスメントの背景には、ASDなどの発達障害が必ずあるなどと言いたいわけでもありません。このような単純化をあえて行うのは、単純化することによって現実のさまざまなパワーハラスメントに共通するものが、見えやすくなるからです。

また、今回の例が本当に「パワーハラスメント」なのか、たとえば厚生労働省が出している基準に照らしてどうなのかと疑問をもたれる方もあるかと思います。実は、パワーハラスメントの「解決」を考える上では、それは本質的な問題ではありません。Bさんが「わたしはパワハラを受けている」と感じた時点で、すでに職場にはトラブルが起きていて、トラブルが起きた以上、職場の円滑な運営のためには、それをなんらかの形で解決しなければならないのです。

人権トラブルへの最悪の対処(その1)

このような人権トラブルの解決を、どのような方向で考えるのがよいかというのが、今回のテーマです。そのためにまず、実際に行われている解決にならない対処(悪い対処)の例から見ていきましょう

最悪の対処は、このトラブルを解決しようとして双方が、先ほど述べたような相手側の「原因」を取り上げ、それを相手の問題点(過ち)として非難することです。Aさんが、「そもそも君はわたしの話をちゃんと聞く気がないんだろ。やる気ないんだよ」と言ったり、Bさんが、「去年の調査の分析がいらないのなら、最初からちゃんとそう言ってください。(あなたのあいまいな指示が悪いんです。)」などと言ったりするのは最悪の対応です。

人権トラブルへの最悪の対処(その2)

さらに、たとえBさんがASDの傾向を持っていることを、双方が知っている場合でも、そのことにもとづいて相手の問題点を非難すれば、これも最悪の対応になります。たとえば、Aさんが、「口で言っただけではわかりにくいというなら、最初からちゃんとそう言ってくれ。『わかりました』なんて適当な返事をせずに、何かに書いて説明してほしいとお願いするのが筋だろう。給料もらっているんだから、自分の短所を埋め合わせる努力くらい自分でしろよ」と言ったり、Bさんが、「わたしにはASDの傾向があるんです。係長はわたしの上司なんですから、部下の特性についてはちゃんと勉強して対応する義務があるんです。職場での『合理的配慮』の必要性は法律に明記されているんですよ」と言ったりすることは、ひたすら問題の解決(なんらかの形での双方の納得や合意)を遠ざけます。

人権トラブルへの最悪の対処(その3)

最悪の対処はまだあります。上記のようなことが起きた時、第三者(たとえば、課長補佐)が間に入ってトラブルを収拾しようとして、Aさんを呼んで「係長、『なに考えてるんだ』なんて言い方は、今はパワハラと言われるからやめた方がいいよ」と言ったり、Bさんを呼んで、「Aさんは君の上司なんだから、途中段階でもっとよく連絡、相談をして仕事を進めなさい」と言ったりするのは、言っている本人のねらいとは逆に、相手をいら立たせ、両者の心の溝を深めるだけです

人権トラブルは泥沼化

なぜ、今述べたような三つの対処はどれも問題の解決をむずかしくしてしまうのでしょうか。どの発言も相手に「義務としての責任(あなたの立場では、こうしなければならない)」を、果たすことを要求しているからです。部下であればこうでなければならない、上司であればこうでなければならない、人であればこういう場合はこうしなければならない。そのような「義務としての責任」の要求は相手にとって、自分への非難としか聞こえないのです。非難を受けたと思うと、それはすぐにその人の「自己愛(自分に満足したいという欲求)」の傷になり、傷ついた「自己愛」は逆に相手を批判、攻撃することで、自分を守ろうとします。こうしてすべての人権トラブルは泥沼化していくのです。

問題の解決につながる道は

これまでnoteに書いてきたように、「義務としての責任(あなたの立場では、こうしなければならない)」を果たすことを相手に要求するのではなく、「本来の責任」を相手に自覚させることが、問題の解決につながる道なのです

それでは先ほど述べたようなケースの場合、「本来の責任」を相手に自覚させるためにはどうすればいいのでしょうか。そして、それを行っていく上で、起きてくる問題点、困難点について、次回、引き続き考えていきたいと思います。

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