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【読書感想文】「門」激しい喜びも深い絶望もいらない!

「激しい喜びはいらない。そのかわり深い絶望もない植物の心のような幸福な人生。」とはJOJOの第4部のラスボス吉良吉影のセリフです。
小説の話をしているのにマンガのセリフを出すのはおかしな話だと思われますが「門」の主人公「宗介」が望んでいる事を代弁していると僕は思います。

簡単にあらすじを書き出してみますと、

略奪婚のすえに得た妻「御米」との結婚生活だが、大陸浪人になった元恋人が友人に復讐しに戻ってくるのではないかと日々心穏やかではない。公務員の職にありつけるかも不安です。
駆け落ちして実家に縁を切られているので自ら給料で生活しなくてはなりません。抱一の絵が高く売れるか心配です。

ついに心労がたまり寺に修行に行き悟りを得ようとしますが、上手くいかず寺を下ります。最後に和尚に「もっと修行すれば、悟りを得られたのに残念な事だ。」と嫌味を言われて気持ちが一層沈みます。

ところが、家に帰れば全てが好転しています。
まさに禍福は糾なえる縄の如し。

季節も春に近づいてるねと妻に言われ宗介は「でもまたいつか冬が来るね。」と答えます。

なんだかすごくモヤモヤするオチだなと思いました。カタルシスが全然ありません。どこがモヤモヤするのかと言うと冒頭で書いたように、
激しい喜びも深い絶望もありません。多分明治末期の大学を卒業した日本人が持つごく一般的な悩みだと思います。

寺に行って修行して悟りを得ないと解決できないような内容では無いような気がします。また宗介は修行しに行ったけど、修行によって悟りを得る事が出来ない事を悟り寺を下りて家に帰ったら全ての物事が好転していたけど、
宗介は大して喜んでいるようには思えないのです。

それがハリウッド映画なら苦しい寺の修行で悟りを得て喜び勇んで家に帰ったら全ての問題が解決していて、妻の御米が涙を流して喜び宗介に抱きついてキスをして、宗介と御米はそれからずっと幸せに暮らしましたという感じで終わるでしょう。

しかしこの「門」は「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」を観る様な気持ちで楽しむ小説なんだと思います。
ハリウッド的なスペクタルは全くありません。
日常の小さな喜びや残念だった事を淡々と語っていくお話なんです。
主人公宗介この小説の中で平安な日常を願っています。

僕もハリウッド映画や海外ドラマが大好きで、どっぷりとハマっています。全ての問題が解決してハッピーエンド!という直線的な時間が流れの話に慣れているのです。だから最初に「門」を読了した時モヤモヤした気持ちが残りました。しかしこの「門」の中では良い事も悪い事も繰り返すと言う円環の時間が流れているからです。

ですから、最後の宗介の「またいつか冬が来るね。」と言うセリフは悲観的な意味ではなくて良い事も悪い事も繰り返すものだと言う意味だと思うのです。だから今はこの幸せを噛み締めているという意味だとしたら、分かりにくいですがハッピーエンドなんですね。

「激しい喜びはいらない。そのかわり深い絶望もない植物の心のような幸福な人生。」冒頭で紹介した吉良吉影のセリフです。
吉良吉影も殺人鬼ではありますが、一定期間がたつと殺人の衝動がくるから殺人を犯すわけで、何かを成し遂げたかった訳ではありません。殺人以外は変わらない毎日を生きていきたかった訳です。

宗介もきっと運命を受け入れながら平穏で変わらない日常を過ごしたかったのでは無いかと思いました。

吉良吉影も宗介も「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」みたいな、円環の時間が流れる変わらない日常を望んでいたと思うとジャンルが全く違う作品の中に出てくる人物なのに共通する点が発見できて不思議な気持ちになりました。

#門 #夏目漱石 #JOJO  #吉良吉影






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