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ジェンダー論と生存バイアス

私は、近年のジェンダーに関する議論に言い知れぬ違和感を感じていました。
今回は、その違和感について考え続けてきた結果、いったん一区切りつけても良いかなと思う考えに至ったので記事にしてみました。

前提

まず、こういう大きな概念について思考を始める上で私が大切にしている事は、思考のスタートラインです。スタートラインはできるだけ根源から始めるのがよいと思います。理想は宇宙の始まり、ビッグバンから始めればよいのですが、あまりに関連性が低いところから始めてもしんどいので今回は「生物とは何か?」から始めます。次にバイアスの破棄です。今回は生物についてなので生存バイアスの破棄です。生存バイアスとは、生き残ったものだけに注目し、それを基準としてしまう偏りの事ですが、今回は「進化」といった生存バイアスを持つ概念を意識的に破棄します。

生物とは何か?

それでは思考開始です。今、私たちが目にしている生物は、環境の変化に適応し、生存競争を勝ち抜き、生き残った種だけです。なので、結果的に今いる生物はおしなべて「種の保存」能力が高いです。この事が生物各種の目的は「種の保存」と言われる理由だと思いますが、これこそが1つ目の破棄すべき生存バイアスです。種として見たとき生物各種には「目的」などなく、たまたまそのように行動する遺伝子を獲得し、結果的に生き残っただけです。なので、ここでは、今いる生物(「種の保存」の能力が高い生物)を以下のように記述します。
「生存競争に勝ち残るために十分な「種の保存」を目指す方向に行動する遺伝子と「種の保存」の確率を上げるために行動する遺伝子を偶然獲得できた生物」
そして、この生存競争が厳しい競争である事も重要な事実です。現に今でも年間4万種がこの生存競争に敗れ散っていっているわけです。有限の資源を奪い合うわけですから、当然です。

進化は結果論、あるのは自然淘汰だけ

次に偶発的遺伝子の獲得を「進化」と呼ぶ事ですが、これが2つ目の破棄すべき生存バイアスです。「進化」とは遺伝子のランダムな変化の中、当時の環境下で有利だった個体が生き残る「自然淘汰」の結果に過ぎず、生き残った個体だけに注目した概念です。言い換えれば、すべての遺伝子に意味など何一つ無いが、「種の保存」にたまたまつながった遺伝子は「進化」と呼ばれ人間が勝手に意味を与えただけです。今回の思考において、このずれは致命的なので「進化」という概念を破棄します。

一般的に性別とは何か?

次に、性別を持つ生物と性別を持たない生物との違いを考えます。この違いは、一般化すると同種の中に機能の異なる2タイプを持つのと全機能持った1タイプを持つのかの違いです。こう言われるとAll in Oneの後者が良さそうです。ここで、さらに視野を広げて同種の中に機能の異なるN個のタイプを用意する生物について考えていきます。生物で3つ以上の機能の異なるタイプを用意している種類はアリなどいくつも存在しますし、雄雌両性の3性別を持つ生物も存在しますが、こと生殖に関して3つ以上のタイプが必要、つまり3タイプ以上が合わさって初めて子孫を残せるような生物は調べても出てこないです。という事から3タイプ以上が合わさって初めて子孫を残せるような生物は自然淘汰の対象だったという仮説が有力かと思います。まぁ確率で考えれば明らかで、3タイプ以上で合わさって初めて子孫を残せる生物は、そもそも全体数に対する可能な組み合わせが急激に少なくなります。すると集団行動が必要な事はもちろん、集団内の性のバランスも極めて重要になり、少しの偏りがいきなり全滅の危機につながりかねないと思います。この事から生殖は単体もしくは2種類までで行える必要があったと言えるでしょう。ただ、逆に生殖以外の機能の違いを複数持つことは比較的自由度が高く、この事が即「種の保存」に影響するとは一般的に言えないでしょう。

ヒトの雄雌の差とは?

では、いよいよ「ヒトの雌雄の差」に切り込みます。さっきの話で性別を語るのなら生殖機能とそれ以外の機能で分けて話すのが良さそうだったので、まずは生殖から。生殖における男女の差は、精子と卵子の差です。この意味は、2種類以内に抑える事で「種の保存」に貢献したといったところでしょう。
次に生殖以外の機能です。さっきの話では一般的な意味は見いだせないわけですが、ヒトのような大型生物に絞ると雄と雌で機能差を持ち、役割分担の習性をもつ動物しか存在しない事に気づきます。すると一つの仮説として、生殖以外の機能も雌雄で差を持った種の方が「種の保存」に適しており、結果的に数百万年の生存競争に勝ち残る事に貢献した可能性があると言えるのではないでしょうか。

ジェンダー論で議論している事とは?

そろそろ終盤ですので、これまでの思考を振り返ってみます。
まず、今の生物についての記述をしました。
「生存競争に勝ち残るために十分な「種の保存」を目指す方向に行動する遺伝子と「種の保存」の確率を上げるために行動する遺伝子を偶然獲得できた生物」
これは、ヒトにも当てはめる事が出来まして、平たく言えば、ヒトは交尾にたどり着くまで生きようとして、交尾しようとするという事ですね。
次に、雌雄の生殖以外の機能差ですが、機能差故の役割分担が結果として数百万年の「種の保存」につながっていた可能性がありましたね。
さて、これがヒトの遺伝子であり、ヒトの雌雄差の根源なわけですが、これを現代社会という歴史の浅い切り口から語り始めるジェンダー論はいったい何を議論しているのでしょうか?数百万年間の「種の保存」の成功の鍵かもしれない男女の機能差とそこから発生する役割分担の歴史を無視した男女平等は何をめざしているのでしょうか?
これらの議論はすべて、人間は当然「種の保存」が出来るというとてつもない生存バイアスのかかった議論になっていないでしょうか?
おそらく私の違和感はこういった疑問から来ていると感じました。

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