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もうアウターはいらない(前編)『ファッションセンターいまさら』その⑧

WAY-OUTとは?


みなさんはWAY-OUTというブランドをご存知でしょうか?
ファッッションセンターいまさら、連載のきっかけはその①で書いた通りで、ヤフオクで買い逃したそのWAY-OUTのセーターが原因なのです。

このセーター、今から約40年前にまったく同じものを持っていて、買えなかったショックで急に服を買い漁り始めたわけです。
この「いまさら」シリーズで手に入れてきたVANやジョイマークデザインのボートハウスやキャプテンサンタ、当時も高くて買えなかったんだけど今でもそれなりに高い商品です。
ただ、高くてもまだ作っているので定番はもちろん新作も手に入ります。

WAY-OUTは1990年頃にもうなくなったブランドなのです。

今更ながらに調べたのですが詳しい経緯がわからず、素人なので間違いはあるかと思いますが簡単にWAY-OUTの歴史をまとめます。

WAY-OUTの歴史

今や服飾界の大御所であり現役で活躍されている赤峰幸生氏が1974年に有限会社トラッドを立ち上げ代表取締役副社長となる。
副社長なのは現(株)レップコーポレーションの中村氏とWAY-OUTブランドを立ち上げたからと思われる。(筆者憶測)
WAY-OUTとは体制からの逸脱という意味を込めているが、BUT CLASSICと続くことで新しいけど王道という感じだろうか。

WAY-OUT BUT CLASSIC

針と糸巻きのマークを考えたのも赤峰幸生氏だそうである。
当時一世を風靡していたVANがアメトラ・アメカジであるのに対し、英国・イタリア・欧風といったVANとはまたちょっと違ったトラッドテイストのブランドだったようだ。
赤峰氏は、ファッションとはトレンドであり、トレンドは流行であり、流行はいずれ廃れるものと言い、オールドファッションではなくオールドスタイルこそが色あせない着こなしの基本と説いている。(筆者感想)
なので赤峰幸生氏は生地素材・縫製にこだわり、当時からロロ・ピアーナやフォックスブラザーズ等の高級輸入素材でコレクションを展開して、今では考えられないほどのこだわりの強い凄い商品作りだったそうです。

そんなこだわりのWAY-OUTが大ブームになるのが1981年。
1980年のドラフト会議で、当時の読売ジャイアンツの藤田監督が一番くじで引き当てたのが現巨人軍監督の原辰徳氏で、当時は東海大学の学生でした。

当時のニュースやスポーツ新聞で報道されると、原辰徳の私服に注目が集まりました。それがWAY-OUTのトレーナーだったのです。
今のようにネットもなく、Jリーグもなく、スポーツと言えば野球の時代。
今の大谷やイチローどころの騒ぎじゃなかったと思います。
そんなエイトマンこと時代の寵児が着ている私服に注目が集まるのは当然で、ボートハウスのトレーナーなんかもこの頃からブームだと思います。

その後赤峰氏はWAY-OUTを離れ、80年代の終わりとともに消えてしまった伝説のブランドがWAY-OUTなのです。
ただ商標は(株)レップコーポレーションが現在も所有しており、いつか復活しないかなと思ってる思い出のブランドなのです。

そんなわけで、いまWAY-OUTを手に入れるのは至難の業。
メルカリ・ヤフオクで状態の良い古着を探すしかありません。
VANからオヤジジャンパーコレクターになりましたが、自分が本当に好きな服はWAY-OUTと気付き、それでも良いものが手に入りました。

WAY-OUTのピーコートにメルトンスタジャンです。
これにVANやマクレガーのジャケットあるからもうアウターはいらない。

と、思ってたら本当にアウターもういらない!と言うものが!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

次回、後編に続く

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