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ロボットアニメの「影」の歴史〜『機動戦士ガンダム』(1979)は本当にアニメ史上最大のエポックか?〜

どんなジャンルでも、よく「〜以前と〜以後」という言われ方をすることがあるが、それは日本のアニメ・特撮においても例外ではない。
例えば洋楽だと「ビートルズ以前とビートルズ以後」で語られることが多いし、日本の音楽だと「サザン以前とサザン以後」で大きく分岐点として語られる。
映画史であれば典型的なのは「ゴダール以前とゴダール以後」であるが、日本アニメに関してはやはり「ガンダム以前とガンダム以後」ということになるだろうか?
スーパー戦隊シリーズでいえばやはり「ジェットマン以前とジェットマン以後」、ライダーが「クウガ以前とクウガ以後」、ウルトラが「ティガ以前とティガ以後」という分類に区別されるだろう。

しかし、それらの区分が本当に正しいのか?という疑問を様々なジャンルに視野を広げて俯瞰して見ていくことで、私の中で疑問として出てきている。
というか、これからの風の時代においてはそのような「〜以前と〜以後」という分類すらもナンセンスなものとしてなっていくのではなかろうか。
例えばロボアニメに関していうと、ネットにおいてロボアニメ批評の発掘に凄く貢献している名無し・A・一郎さんという方がいて、とんでもないロボアニメ博士だ。

ここで見てもらえればわかるように、マジンガー・ゲッター・ガンダムという「スパロボ御三家」以外のロボットアニメも古典から現在に至るまでほぼ8〜9割を網羅的にレビューしている。
これらのレビューを見て思うのはロボアニメの歴史だって決して一朝一夕に出来たのではなく、知名度や人気の高さの影に埋もれた大量の作品の一部しか我々のほとんどは知り得ていないということだ。
そして「ガンダム以前」も「ガンダム以後」もとんでもない数のロボットアニメが傑作・駄作を問わず作られ続けていたという事実をきちんと正確に把握した上でレビューしている人がどれだけいるというのか?
そういうことを考えていくうちに、『機動戦士ガンダム』(1979)は本当にアニメ史上最大のエポックか?というかつて自分も常識として刷り込まれていたものを疑い始めている。

映画史においてさえ、それこそ『殺し屋ネルソン』(1957)という、蓮實重彦が言ってくれなければ存在自体も認知されることがなかった凄まじい怪作がまだきちんと日の目を見ていない。
そしてそれは日本アニメの歴史についても、わけてもその一ジャンルである「ロボットアニメ」という分野についてすらまだまだ日の目を見ていない作品はごまんとある
そういうものをむしろ再評価し歴史の表舞台に浮き上がらせることこそ評論家・批評家のなすべきことであると思うのだが、そういう視点を欠いた「ガンダムがアニメ史上最大のエポック」という言説が正しいのであろうか?
常に批判的・懐疑的な視点をどこか心の底に持ちながら書いていない人のレビューを私は信頼していないのだが、私が「ガンダム」を世間は骨董品扱いしていると散々言い続ける理由はまさにそこにある。

例えば「ガンダムはそれまでのロボットアニメではタブーとされていた宇宙を舞台に物語を展開した」とあるが、「ガンダム」以前にも宇宙空間で戦闘を行ったロボアニメは普通にある。
それこそ「宇宙戦艦ヤマト」が代表的だが、他にも長浜ロマンロボの『超電磁マシーン ボルテスⅤ』『闘将ダイモス』なんかは大河ドラマ的連続性といった骨太な構成も含めてそういう実験を行っている。
また富野監督自身も「ガンダム」以前に「ザンボット3」「ダイターン3」で最終的には地球圏を離脱した展開だってあるし、もっといえば『UFOロボグレンダイザー』もそうなんじゃないのか?
そもそも「ガンダム」でファンたちがエポックと言われるような要素は本当に「ガンダム」が最初だったのであろうか?部分部分ではそれ以前にも実験作として行われていたはずである。

何が言いたいかというと、要するに『機動戦士ガンダム』(1979)という作品をエポックと主張したがる人たちはそういう厳密かつ網羅的な歴史の精査すら欠いた状態で作品を特権化=骨董品扱いしているのではないか?ということだ。
名無し・A・一郎さんはその点きちんと「ロボットアニメ」としてフラットな視点から「ガンダム」を評価しており、端的ながら実はあまり他のレビュアーがしていない指摘もしている。
例えばラスト1クールで話が「ニュータイプ」にシフトしてから作品自体が失速して「ロボアクション」としての面白みが削がれてしまったことへの以下の指摘は誠に正しい。

そのニュータイプ関係にロボットバトルの面白さが吸い上げられてしまった印象もあり、終盤で確かに失速した感じは否めなかった。一応最終回のガンダムの扱い方は面白かったと言えばそうなるのだが。

機動戦士ガンダム感想

これと類似した視点で「ガンダム」の欠点をきちんと指摘して評価していたのは他にラスカルにしお先生くらいだ。

さて「ガンダム」という作品を文芸面から見るとき、それが完全な失敗作であることは、これまで何度も論じられてきたし、あたしもその通りだと思う。
その問題点は、端的には、放映終了当時アニメジュン氏が月刊「OUT」誌上で述べたように、「『ニュータイプ』という『オチ』を最後に持ってくるのなら、何のための物語であり、ガンダムだ?」という一点に尽きる。

機動戦士ガンダム

いわゆる対外的事情で1クール短縮になったこととは別の欠点・悪い点をきちんと世間の評価に流されずに公平にできる人の存在は大事であり、もっとこういう評価がなされていく必要があるだろう。
そして「ガンダム」「イデオン」以後も実は数々のスーパーロボットアニメが富野監督が作るロボアニメとは別のところから作られていたことも、もっと論じていく必要がある。
最低でもそこまで見ていってようやく「ガンダム」が「日本アニメ史上最大のエポック」と評されていることの真偽や理由が見えてくるのであって、現時点でその視点に立った批評をしている人はほとんどいない。
よく「子供向けだったロボアニメを中高生向けに年齢層を上げた」ことも功績として語られがちだが、それは「視聴者層の拡大」ではあったとしても作品の評価に直結するわけでなし、どうでもいい瑣末なことだ

私は流石に自分の興味・嗜好も含めてロボアニメの歴史に今更手を出して精力的にレビューしようとは思わないし、自分にできることは精々スーパー戦隊シリーズの研究・批評が精一杯であろうと思う。
けれども映画にしろロボアニメにしろ特撮にしろ、どのジャンルでもまだ研究や批評の水準が上がっておらず追いついていないという事実を含めて、「自分が何を見ていないのか?」への自覚がない人が多すぎるなと、もちろん私も含めて。
せっかくサブスクリプションやYouTubeといったものの普及によってあらゆる作品がある程度網羅的に横並びに視聴可能な環境ができているのだから、それをもっと活用していった方がいい。
少なくとも『機動戦士ガンダム』(1979)が日本アニメ史上最大のエポックであるという言説はもはや単なる過去の逸話に過ぎず、その言説が「ガンダム」の特権化=骨董品扱いに繋がったのはまぎれも無い事実だ。

それをまず打破していくためにも、もっと色んな作品を見ていかないとものは見えてこないと私は思う。

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