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太一とヤマ空の三角関係について考えてみた!誰がどう転んでも誰も幸せになれない泥沼の三角関係

昨日書いた『デジモンアドベンチャー02』の25年後について、角銅博之氏から適当に作ったものではなくきちんと話し合いや議論を重ねてたどり着いたものであることが示されていました。
その記事で私は太一のことを「太一ってミミの件といい空の件といいタケルと並んで女心がわかってない奴の筆頭だった」と書きましたが、今回はこの部分をもう少し深掘りしてみましょう。
俗に言う「太一とヤマ空」ですが、当時は「02」で突然太一と空ではなくヤマトと空がくっついたかのような描写に見えたので、太空派も含む無印信者はだいぶ衝撃が大きかったようです。
とはいえ、無印をきちんと正確に見直して人間関係を正しく理解していけば太一ではなくヤマトとくっつくのは自然な流れだといえますし、個人的には違和感が全くありませんでした。

実際角銅さんをはじめテレビシリーズのスタッフはあくまでもヤマ空を推していくのが既定路線で、太空は最初からなかったとしていますから実際にそうなんでしょう。
しかし、劇場版「ぼくらのウォーゲーム」「ディアボロモンの逆襲」ではその辺りの設定伝達・共有がなされておらず連携が取れていないため、変に太空を匂わせるような描写がありました。
そのことが余計にファンの混乱を招いていましたが、まあ大体デジモン恋愛のやらかし担当はチーフプロデューサーの関弘美と報われぬ片思い大好きな吉田玲子のお花畑ズですから仕方ありません。
とはいえ、「ぼくらのウォーゲーム」「ディアボロモンの逆襲」もよくよく見ると言うほど太空でもないなと思うので、今回もタケル同様キャラの心理描写からこの3人の関係性を論じてみましょう。

とは言っても、ここでは「なぜヤマ空か?」ではなく「なぜ太空ではなかったのか?」という観点から論じて行きましょう、ヤマ空に関してはそれこそ放送当時から色々論じられてきたと思うので。
逆に「なぜ太一じゃなかったのか?」に関する論考はあまり見られないので、この2人ではないのかを中心に三者の関係を論じていきますが、結論を言っておきますとタイトルにも書きましたが誰も幸せになれない泥沼の三角関係です。
いわゆる火曜サスペンス劇場や昼ドラ的なことというよりは、彼らの性格と能力に基づく相性から判断していますのでご注意ください。


冷徹な合理主義者の太一とアダルトチルドレンな空の埋められない溝

まず無印全体を見ていきますが、そこから判断できる個人的見解は合理主義者と愛情欠落した人間の埋められない溝であり、この2人の関係性は深掘りすればするほどどこにも「ロマンス」の要素はありません
確かに太一と空は同じお台場小学校のサッカーチームのチームメイトであり、ある程度気心知れた幼馴染として描かれており、冒険に来る前から光子郎辺りとも関係性がありました。
また、紋章から見ても「勇気」と「愛情」なのでそこだけを見ると確かに王道主人公と王道ヒロインのロマンスっぽくも見えますが、2人のズレが最初に露呈したのは太一が暗黒進化する16話です。
「太一ってひとりで突っ走るタイプに見えるけど、あれでけっこう周りの状況を冷静にみてるんだ。それが今は紋章を手に入れてからの太一、なんだか人が変わっちゃったみたい」と空は言っています。

しかもその後空が士気が落ちてる全体のことを盛り上げようと「サッカーしない?」って提案しているのに、太一はそれを「こんなときにサッカーなんて、よくそんなことやってられんな!!状況を考えてみろよ!!」と一蹴します。
はい、この時点で明らかに太一と空の呼吸がズレています、合理主義者でとにかく先を急ぎたい太一と全体に気配り目配り心配りをしながら行く空、果たしてどっちが真のリーダーなんでしょうね?
次のポイントは19話と20話、ここで暗黒進化のトラウマから立ち直った太一ですがまだ「勇気」と「無謀」を履き違えていて、空をナノモンの人質にされるというやらかしが発生してしまいます。
そのことから太一はボッキリと心がへし折れて涙を流しますが、まあこれに関しては20話できちんと挽回したので大きな過失にはなりませんが、これで太空になるかというと所詮「吊り橋効果」でしかないでしょう。

そんな2人のフラグが決定的に折れたのが空が超進化する26話、ここで空が自分の紋章の意味を知って苦悩を抱えますが、ここで太一は「へぇー。愛情だなんて空らしいじゃん」「だ、だってよ…空はいつもみんなの事を考えて…」と言っています。
太一としては励ましの言葉をかけたつもりなのでしょうが完全な逆効果でかえって空の地雷を踏んで「本当の私のことなんにも知らないくせに、勝手に決めつけないでよッ!!!」と返されていて、これに関しては完全に太一が悪いです。
普通ここまで心が弱って今にも折れそうな相手に対して気休めにもならない正論をかけることで無自覚に相手を追い詰める合理主義者としての太一の顔と声が空をそうやってどんどん追い詰めていきます。
空は今風にいうならいわゆる「アダルトチルドレン」であり、彼女がお母さんのように振る舞うのは決して生来のものではなく母親の愛情が欠落していたことの裏返しであり、そういう「条件付きの愛情」をどこかで「悪」と思っていたようです。

ここで2人の埋められない溝が決定打となり、その溝が完全なる亀裂となったのがダークマスターズ編の45話、太一とヤマトが衝突する際に「太一!頭を冷やして!」と言っても太一が「お前ら全然わかってないんだな!」と一切止まりません。
太一としてはリーダーとしてダークマスターズとの戦いに打ち勝つために嫌われ役を買ってでもいいという覚悟なのですが、空は太一がそうなるほど逆に周りのみんながストレスを抱えることにも気付いていたのです。
そんな彼女の性格が完全に裏目に出てしまったのが51話、もはやリーダーとして完成した太一は空にとって「もはや遠くの世界へ行ってしまった=自分の支えから離れてしまった人」だったのではないでしょうか。
太一がリーダーとして輝けば輝くほど空は自分に劣等感と無力さを抱えてしまい闇堕ちしてしまいます、そんな空に寄り添って引っ張り上げてくれたのがヤマトと丈先輩だったのですから、ヤマ空は最初から既定路線だったことがわかります。

太一は確かにリーダーとしては素晴らしいかもしれないし解決能力も判断力・決断力も高いですが、一方で「共感力」や「気遣い」「気配り」「気働き」といった部分に関しては驚くほどに欠如していた人なのです。
まあそもそもカリスマタイプって大物である分礼儀が凄く雑なところがあるのが特徴的ですが、太一は良くも悪くもそういうカリスマタイプの「THE」ではないでしょうか。

最後のチャンスを逃した「ウォーゲーム」と幼馴染としての甘えが出た「ディア逆」

そして太空派もヤマ空派もこぞって困惑したのが「ウォーゲーム」と「ディア逆」ですが、個人的にはこの2つはむしろ太空派にトドメを刺した映画にしか見えません。
まず「ウォーゲーム」に関していうと、太一は空とくだらないことで喧嘩していますがその理由が「誕生日にヘアピンを送られて空が太一に怒ったから」というものです。
それもそのはず、空は自分のトレードマークであるはずの帽子を気に入っていたのに、それを否定するようなものを太一から贈られたのですからいい気はしません。
しかし太一はそういう空の微妙な女心が読めずに「ごめんってば。機嫌を直せよ」の一点張りでちゃんと「なぜ自分が悪いのか?」に関する自己分析と深い謝罪ができてないんです。

これはまんまテレビ版の26話で迂闊な失言で空の地雷を踏んでしまうのと同じことを繰り返しており、やっぱりここでも太一って「女心を理解するのが壊滅的なまでに下手くそな人」として描かれています。
まあ空に限らず太一ってミミの件でも例えば光子郎共々お風呂を覗こうとしてしばかれてましたし、ミミとトノサマゲコモンの回でも無根拠な自信を持ってかましにかかったのに大失敗してミミの地雷を踏んでいましたから。
そうなんです、空限定というわけじゃなく太一はとにかく女性関連でのやらかしが多く、これではどんなに優れたリーダーシップにカリスマ性などを持っていても好きになる女の子はいないでしょう
「太一のばーか」は確かに幼馴染として心を許している感が伺えますが、でも空は感情面にすごく敏感なのでテレビ版のことも含めて太一に散々精神面を痛めつけられた恨みもきっとあって心底は許してないはずです

それを踏まえてヤマ空が成立した「02」のテレビシリーズ後の「ディア逆」ですが、ここで空はオメガモンがやられて絶望し項垂れている太一とヤマトに「しっかりしなさい!」と檄を飛ばしています。
インペリアルドラモンが上空を飛んだ時、空は思わずよろけて太一に支えられますが、これは決して太空ではなくあくまでも「幼馴染としての最後の甘え」を描いたのではないでしょうか。
太一は確かに女心がてんでわからない、典型的な「仕事はできるが恋愛はからっきし」という「THE男の子」ですが、ここで空を受け止めたのは幼馴染としての最後の思いを尽くさせたといえます。
テレビ本編で空は太一を蹴ってヤマトに行ったのですから、そこから何のフォローもなかったら幾ら何でも冷た過ぎるでしょう、太一と空は確かに良きチームメイトではあったのですから。

だからテレビシリーズとの連携が取れていなかったというより、むしろテレビシリーズだと太一が可哀想だからそれを慮ってある程度のフォローをギリギリ可能な範囲で入れたということでしょう。
もう既に空はヤマトの方に気持ちが靡いています、しかし太一の方に全く思いがなかったわけじゃなく、喧嘩したとはいえお互いを憎からず思っていたこともまた事実なのです。
そこを最後にもう一押し、散々テレビで空へのやらかしが多かった太一への罰というだけではなく、リーダーとして頑張った彼へのせめてものご褒美としてスタッフが与えたものかもしれません。
解釈はいろいろありますが、太一と空の「幼馴染としての関係性」はこのシーンを持って完全に終わりを告げたわけであり、ここから2人は単なる「仲間」であり「ラスエボ」では完全に疎遠になっています

太一と空の関係性は幼馴染からの腐れ縁

以上を踏まえて太一にとっての空、そして空にとっての太一を論じますが、この2人の関係性に似ているのは「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイとフラウ・ボゥや「ドラゴンボール」の孫悟空とブルマではないでしょうか。
フラウにとってのアムロ、そしてブルマにとっての悟空はまんま空にとっての太一であり、言うなれば「わんぱくで手がかかる男の子」だったと思います、でも同時に「私が面倒見なきゃ」感もあったはずです。
しかし、そういう「幼馴染」の関係性はそれが疎遠になろうが続こうが、どっちにしても男女の関係性には発展しづらいものです、ましてやそれが「結婚」を最終的な到達点とするものであればあるほど。
実際にフラウは戦いの中でどんどんニュータイプとして化け物じみた強さを得ていくアムロに「私たちとは違うのよ……」とはっきり告げています、だから「自分と同じ側」であるハヤトと結婚したのです。

ブルマの場合はナメック星編で「孫君があんなにカッコ良くなるとは思わなかった」と言っていたように、彼がどんだけ英雄として活躍しその背中に頼り甲斐を感じても「異性」としての魅力は感じませんでした
そこで現れたのが悟空のライバル格のベジータだったわけであり、未来トランクス曰く「寂しそうな背中に惹かれた」とのことですから、ブルマとしては悟空よりベジータの方が自分に距離感が近かったのでしょう。
しかも下級戦士生まれの悟空とは違い王族としてのマナーや気品などもそれなりにあって、女心も弁えてるしヤムチャと違って浮気もせずにストイックに己の目標に向かって一心不乱ですから、惹かれないわけがありません。
ヤマトと空の関係性もこれに近いといえます、ヤマトも空も実家が凄く太くてヤマトの家は父親がテレビ局の一流スタッフで母親が一流のジャーナリズム、しかも大輔の父親とも仕事上の関わりがあるのです。

そして空は離婚こそしていませんが父親が大学教授で母親が華道の家元ですからエリートの家系なのは間違いなく、その意味でもステータス的に2人は釣り合っていたといえます。
太一は確かに外交官にこそなりましたしあのカリスマ性とリーダーシップは本人にしか持ち得ない天性のものがありますが、家庭自体は最初の劇場版から一貫して庶民的です
エリート出身の空とはそういう意味でも合わなかったわけであり、設定面から考えてもドラマ面から考えてもヤマ空が既定路線で太空が最初からなかったのも頷けます。
しかも父親の進が亭主関白なサラリーマン体質で、太一もそんな父親の背中を見て育つことを考えると太一もまた家庭を持った途端に亭主関白になるのではないでしょうか。

私が昨日の記事で「結婚して家庭を持ったところで最終的にそれすら壊してしまうイメージしかない」と書いたのは上記の理由が積み重なってのことであり、太一は家庭よりも仕事に生きたい人間です
本当に「天は二物を与えず」と言いますか、よく大輔と太一の比較で「大輔には太一のようなカリスマ性・リーダーシップはない」と言いますが、それは逆も然りで「太一には大輔のような神メンタル・仁徳はない」といえます。
神様は太一に圧倒的な「勇気」と「力」を与えた反面「共感性」「人間味」は与えなかったわけで、カリスマリーダーなんてファンからはまるで新興宗教の教祖みたく崇め奉られる太一ですが、実態はもっとわんぱくで我儘です
無印は作品もキャラも信者から過大評価されがちですが、こうして劇中の描写をもとに判断すると想像以上に太一も空も「未熟」だし「クソガキ」だしで正に「未完成のドリーマー」ではないでしょうか。

そう考えると無印組の太一・ヤマト・空の三角関係って誰がどう転んでも誰も幸せになれない三角関係であることは揺るぎない事実であり、だからあの結末はなるべくしてなったとしか言いようがありません。
それを覆してヤマ空を否定し太空を持ち上げる根拠は少なくとも私の中にはありません、太一についていったらそれこそ空がストレスで潰れて離婚する破滅の未来しか待ち受けていないでしょう。

決してヤマ空がベストカップルなどとは微塵も思っていませんが、少なくとも太空よりは「結婚」という関係性で見るなら太空よりはまあいいのではないかとは思います。

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