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『ONE PIECE』のゾロとサンジの違いに見る「男が憧れる男の格好良さ」と「女が憧れる男の格好良さ」の違い

現在『侍戦隊シンケンジャー』論を推敲中なのだが、不思議なところは小林靖子脚本には「ギンガマン」の時からそうだが「男と女」という性差の壁を意識する瞬間はあまりない
もちろんこれは小林靖子が同性愛作家だとか恋愛に興味がないとかいうことを言いたいのではなく、女史の中でそもそも「男と女」で区別する感覚や意味がないということなのだろう。
彼女が女性脚本家でありながらこれだけ特撮ファンに愛され受け入れられている理由の1つは「性差の壁」を意識するような瞬間がゼロではないにしてもあまり存在しないからである。
以前に誰かが書いていて「確かに」と思ったのだが、小林靖子は決して「男だから」「女だから」といった性差を持ち出すことはないのが不快感の少ない理由なのかもしれない。

それというのも、実は昨晩に弟がXのスペースで『ONE PIECE』について話をしていて、その中で「ルフィは万人受け、ゾロは男性受け、サンジは女性受けがいい」という話が持ち上がったからである。
以前に『鬼滅の刃』の劇場版をこっぴどく扱き下ろした時に「『鬼滅』は所詮女が憧れる男の格好良さ」だと書き、それを理由に「お前のいうヒロイズムとは「マッチョイズム」ではないか?」との指摘があった。
ある意味でその指摘は正しい、何故ならばそもそもヒーローとは「圧倒的な力」があってこそ成立するものであり、力なき弱者が理想論を唱えたところでそれは所詮「綺麗事」でしかないからだ
その「力」が果たして「マッチョイズム」と同義かどうかはここでは問題にしないが、尾田栄一郎先生は『ONE PIECE』という作品の中で意識的というか意図的に「性差の壁」を描く場面がある。

だが、その中でも決定的だったのは有名な空島編の序盤のベラミーの件とCP9編を終えた後のウソップの件であり、ゾロ・サンジ・ナミを通した価値観の違いがそこで描かれている。
例えばベラミーの件でルフィはゾロとナミに「この喧嘩だけは何があっても買うな」と船長命令を下すが、女のナミは何故この2TOPが喧嘩を買わなかったのかを全く理解できない
いわゆるビビリなウソップを別として、ここにもう一人サンジがいたとしてもおそらくゾロ同様ルフィの命令に従ってベラミーの喧嘩を買うような真似はしなかったはずである。
その後に物資運びをするシーンでゾロとナミの細かいやり取りがあるが、このちょっとしたやり取りの中に「性差の壁」のようなものがさりげなく描かれていた。

ゾロとナミの考え方の違い

この時点でゾロとナミの決定的な違いが浮き彫りになっており、そもそもゾロとナミは本当に顔を合わせて一対一になると口喧嘩になることが多いくらいに相性が悪い。
それはそうだ、ナミはあくまで「航海士としてまだ見ぬ世界にルフィたちを導く」ことが目的なのであって、生まれ持った強かさと金へのがめつさ以外は割と一般的な女性性の持ち主だ。
だからルフィやゾロが根っこの部分に強く持っている「男の意地・浪漫・けじめ」といった「誇り」のようなものが彼女にはさっぱり理解することができない
理解できないという感情を表す語彙力に乏しい彼女はゾロのことをどこぞのアスカよろしく「バカ?アンタ」というが、これこそが正に「向こう見ずな男を大人ぶってガキ扱いする女」の典型である。

そう言えばワノ国に先に行くと決めたゾロが息巻いているのを「ハイハイ」と後ろから頭撫でて眺めていたが、ナミにとってゾロはおそらく「手のかかる大きな少年」なのであろう。
そんなナミにある意味一番近く一番遠いのがサンジなのだが、サンジはゾロと違って女性に対する気配り・気遣いといったサービス精神が旺盛であり、初登場時から(女性限定で)紳士的な存在として描かれていた。
まあナミやロビンのような本物の美女を前にすると理性が崩壊してしまい鼻の下を伸ばしては好感度を地の底まで落としてあしらわれてしまうという難点はあるのだが。
彼女と同等かその下にいるウソップやチョッパーが女性性の強い男として描かれているのだが、とにかくナミはルフィ・ゾロ・サンジの三強にここぞという場面で置いてけぼりを食らう瞬間が多々ある。

それが露骨に出たのがCP9編を終えた後のウソップの件だが、ここで最も力関係が上だったのは男性性が一番強いゾロであり、「ウソップがきちんと深い謝罪をするまでは仲間として認めない」という条件を厳しく提示した。
ここでもゾロとナミ(とルフィ・チョッパー)の温度感に差があるのだが、平和主義で仲間に対して優しく甘いところがあるナミは「それならウソップが戻ってきてから言いたいだけ言えばいいのでは?」と提唱する。
しかしゾロはそれを「一味を抜けるってのはそんなに簡単なことなのか!」と一喝されてしまい押し黙るしかなくなり、それでも反論しようとした彼女にサンジは「今回ばかりはこいつの方が正しい」と窘めた。
そう、何だかんだサンジも根っこは男であり決して女ではないから「けじめ」や「約束事」といった部分に関するこだわりはゾロと同じくらいに強く、「義理と筋」をきちんと果たさない男は嫌いなのである。

ウソップにけじめをつけさせることを促すゾロ

そこまで描いた上でゾロとサンジの決定的な違いは色々あるが、やはり決定的に違うのは「女性に対して優しいか厳しいか」であろう、ゾロは基本的に「男か女か」という「性差の壁」があることを嫌う。
それはかつての幼馴染にして一度も剣の腕で勝ったことがないくいなが「性差の壁」を言い訳にしていたからという幼少期の出来事もあるが、もっと端的に言えばゾロの中では「戦いに出れば男も女も関係ない。生きるか死ぬか」しかない。
徹底して世界一の大剣豪を目指すゾロにとってそのような「性差の壁」を言い訳にすることは自信の生き様や価値観に反するものであり、徹底的に己に厳しく鍛え上げる「男」である
もちろんゾロだって女を守らないわけではない、ナミやロビンのような「仲間」あるいは「その土地で親しくなった人」を身を呈して庇うことはあるが、それはあくまで「味方」だからに過ぎない

ナミを守るゾロ
女の嘘は許せというサンジ

対してサンジはたとえ戦いの場であっても「女に対しては徹底的に優しく尽くす」という騎士道を徹底しており、たとえ女が嘘をつこうが黙って許すのが男という生き物であるというスタンスだ。
ゾロと喧嘩するのも単なる「意地の張り合い」ではなく、そもそも初対面の時点で徹底的に「自分のため」を貫き男も女も関係なく敵であれば戦うゾロとはそもそも相容れない部分があるからである。
つまり何が言いたいかというと、ゾロは「男性性」の塊であり自身の肉体も気もエネルギーも全て「自分」のために使うのであり、そのストイックな生き様が男の憧れたり得るのだ。
それに対してサンジは「男性性」と「女性性」が半々でやや「女性性」が強いので「自分」のためというよりは「他人」のために肉体や気・エネルギーを使うソフトな生き方である。

だからというわけではないが、おそらく夜の世界でどちらがホストをやって様になるかといったら間違いなくサンジであろう、間違いなくNo.1ホストになれる。
対してゾロはどちらかと言えば極道の世界に居そうな顔面凶器であり、ホストも出来なくはないのだが女性からはどうしても敬遠されてしまいそうだ、それくらい尖っているからだ。
もちろんサンジが好きな男性ファン、ゾロが好きな女性ファンも少なからずいるとは思うが、「男性性」「女性性」といった性質の違いでいえば男が憧れるのは間違いなくゾロの方である。

余談だが、ここまで書いてなぜ私がヒカルが嫌いなのかもはっきりした、彼はまさにサンジと似ていて「女が憧れるかっこいい男」だからである。
実際彼は女性のYouTuberやキャバ嬢・女性社長との縁が深いのもサンジのような「騎士道」が根底にあるのかもしれない。
私はそのような生き方には一度も憧れたことがないので、そりゃあヒカルといい「鬼滅」といい相性がとことん悪いはずである(苦笑)

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