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漫画の実写化なんて1・2割当たれば御の字、殆どがハズレなのである〜漫画家・芦原妃名子の自殺を巡るテレビ業界の構造上の闇〜

とうとう原作漫画の実写化を巡って原作者が自殺してしまうような事態が発生してしまうとは、これもまた時代の変化と受け止めるべきなのであろう。
事のあらましの説明はなるべく省略するが、簡潔にまとめると「原作者が自分の原作を勝手に改悪されて別物にされてしまい、しかもそのせいで余計な炎上に発展してしまった」という「飛んで火に入る夏の虫」だったわけだ。
これは一見テレビのことなど知りもしないのに勝手に現場に口出しした原作者に問題があるかのようだが、今回の場合は完全な例外であり、原作者ではなくそれを基に実写化した日テレの制作陣に問題がある
何故ならば原作者の芦原先生は今回の実写化に当たって事前に「あくまでも原作に忠実に、余計な改変をせずに実写化して欲しい」という取り決めをしていたわけで、それを日テレ側も了承したはずだ。

ところが、それをほぼ全部無視して原型すら留めていないくらいに設定から話の展開から勝手な改変をされて別物になってしまい、中には性別そのものが変わってしまった人物までいるという。
あまつさえ一番酷いのはそれを勝手に改変した脚本家の相沢友子が自身のXやインスタグラムなどのSNSで「自分は悪くない、勝手に最終回近辺でしゃしゃり出てきた原作者が悪い」というニュアンスの書き方をしていたことだ。
その発言がこちら。

「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」

何が「残念」なのか?原作者の要望に沿う展開ができなかったことへの力不足や反省の意味での残念なのか?それとも、自分が嬉々として手がけていた脚本を原作者に乗っ取られたことが残念なのか?

前者であればまだマシな方だが後者であれば救いようがないし、そもそもこういう制作現場の裏側に関する情報をおいそれと発信してしまっていいのか?という問題も挙げられる。
他の発言や彼女の情報を一通り調べてみたが、推測するに相沢友子はおそらく後者のタイプ、完全に自分の脚本家としての才能に酔い痴れてしまい、今回の事態の重さを分かっていないのだろう。
そもそも他人の褌で相撲を取っているだけの、虎の威を借る狐の分際でよくも図々しい態度が取れるものだと思うが、彼女のような例は別に珍しくも何ともない。
テレビ業界のお偉方をはじめこういう勘違いのクズが沢山いることは重々承知しているが、有名どころでいうとアニメ『ドラゴンボールZ』のシリーズ構成をやっていた小山高生はその典型である。

今では完全に鳥山明によってリメイクされたブロリーに関して、あくまで二次創作という立場で描かせて頂いたにも関わらず「ドラゴンボール世界最強キャラクター」などと吹聴していたらしい。
他にもベジータを散々嫌いだったことから「ベジータはギャグキャラ」「嫌いだから散々冷遇してやった」などとのたまい、しかも映画「神と神」の破壊神ビルスについても「ブロリーが上」などと見当違いの遠吠えをしていた。
まあ何せ自らを「(身長が)アジア最大の脚本家」などと称する痛い奴だったから今更だしもう関わってないから「過去」になるのだが、テレビ業界にいるのは完全にこういう謙虚さの欠片もない勘違いばかりである。
最近だと実写版の幽☆遊☆白書も賛否両論だったが、漫画の実写化には大まかに分けて「原作に忠実に再現する派」と「原作の設定を大きく改変する派」の2つがあり、そのうちほとんどが後者のタイプなのだ。

何故こうなってしまうのかというと、そもそも漫画と実写ではアルゴリズムも文法も異なるし、原作のまんまを100%再現することが厳しいという高いハードルをクリアしなければならない。
また、これはアギトの警視庁チームの対談動画に田崎監督と井上敏樹が出演した際に話題になったが、現場の空気で事前の脚本にないセリフをアドリブで足したり、余計なシーンを削ったりすることもあるという。
井上先生はそのあたりの改変に関しては寛容な方であり、むしろ「現場で自分の脚本がどう変わるのかが楽しみ」ということを言っていたから柔軟だが、芦原先生はそういうタイプではなかった
挙げ句の果てにそれをまるで自分のせいかのような空気にされて針のむしろという気分だったのだろう、ここまで滅茶苦茶に原作を踏み荒らされて気分がいい人なんているわけがない

ここまで書くと「じゃあ最初からこの話を引き受けなければ良かったんじゃないか?」という反論もあるだろうが、事はそう単純ではないのだ
原作漫画を実写化しようというからにはそもそも原作漫画の人気が高いからというのが大前提にあり、それを映像化したものを見たい人たちも沢山いる。
需要があるから実写化やアニメ化があるわけだし、それを「原作通りに作ってくれなさそうだから断ります」なんて言ったら、それこそ今後の仕事に支障を来たしかねない。
だからこそ最も大切なのは実写化・アニメ化させて貰う人達の謙虚さと尊敬であり、そこを欠いてしまってオリジナルの展開にするならば原作ものをお借りする必要がないだろう。

むしろ今までよく最悪の事態が起こらなかったなと不思議に思うくらいだが、常々私が思っていたことをいうと、原作ありきの作品の映像化は実質の二次創作、オブラートに包んでも「1.5次創作」なのである
つまり立ち位置としては「同人誌」と大差ない立場にあるのがテレビ業界で原作ものを映像化する制作陣であり、あくまでも他人の褌で相撲を取っているという自覚を強く持つべきだ。
それを忘れて自分たちこそが原作だなどと自惚れてはならない、そう思い込んでいるといつの間にか足を掬われて失脚してしまい路頭に迷うという今回のようなことになってしまう。
少なくとも脚本家の相沢友子は今後のキャリアがとてもまともな物にはならないだろう、自分のせいで原作漫画に傷をつけただけではなく原作者の自殺まで間接的に引き起こしたのだから。

もちろん脚本家だけの問題でもあるまい、日本のテレビ業界自体が構造的な闇を孕んでおり、それがもう視聴者の目を誤魔化せないほどのレベルで露呈してしまったのが今回の自殺騒動だ。
言うなれば決壊寸前だったダムがいよいよ決壊してしまい、もう日テレは今後凋落して行くこと間違いなしである、地の時代の権力・既得権益はもうこれからどんどん滅んでいくだろう。
今年は例年以上に油断が許されない状況であり、一瞬でも判断を間違えてしまうと大惨事になりかねない危険な辰年であるから、これから益々こういう出来事が頻繁に発生する。
大事なのは表面上の出来事に惑わされず、そこから何を見出しどんな判断や行動をしていけばいいかを各自が慎重に考え抜いていくことだ。

「自分だけは大丈夫」と思っている者から真っ先にやられていく、現代はそういう厳しい時代である。

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