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応援する気も共感も微塵も起きないヒカルと林尚弘の東大受験を利用した金儲けビジネス

真面目に勉強する人間を散々後ろ指差してバカにしている人間のクズと違法賭博をやらかして書類送検された元塾の経営者がタッグを組んで東大受験応援とか何の冗談だ?
しかも同居中のホスト上がりの経営者は家庭を蔑ろにしてその2人とズブズブに癒着した結果奥さんから愛想尽かされて離婚、やっぱり所詮ヒカルも令和の虎の連中も根本の人間性がクズなんだなと。
憎まれっ子世に憚る」というが、震災のへずまりゅう然りあんだけ世間に迷惑かけまくった人間が今更改心して世のため人のために貢献しますというのは薄ら寒すぎて吐き気を催す
唾棄すべき邪悪とは正にこのことであり、ヒカル信者は彼のそんな行為を「大人になった」と絶賛しているようだが、それでも散々勉強を頑張る人間をバカにしてきた奴らを応援する気なんてサラサラない

動画内で自信がかつて「東大行っても全然凄くない」と言った発言が炎上したことに関して今更ながらにその真意を否定していた、私が以前に記事で取り上げたこの件だ。

で、あんだけ「そんな何万人も入ってるようなところ行って何が凄いん?みたいな」と言っていたが、彼の真意はこうである。

ヒカル「なんか僕の中では、受かって安心する人が多すぎて受かることがゴールだと思っていませんか?という僕なりのメッセージだったんですよ。そこからでしょ人生はってことだったんですけど、冷静にこう受かるだけでも凄いっちゃ凄いんですよね」
林「まあね、わかりやすく言えば東大受かって年収低い人と中卒で年収高い人だったら、ぶっちゃけ年収高い人の方が最終的に凄いってなっちゃうよね」
ヒカル「ある種その年収が偏差値みたいなもんっすよね」

このあとヒカルは「俺がもし勉強の才能があって高学歴だったとしたら、もっと俺世の中に認められてると思うんですよ」と言っていたが、根本の部分で「勉強」「学歴」「学力」というものに関してズレを起こしているなと残念な思いだ。
そもそも「東大・早稲田・慶応みたいなとこ受かって何が凄いん?」といったあの発言のどこに「受かって安心する人が多すぎて受かることがゴールだと思っていませんか?」なんて解釈をする人がいるというのか?
せめてヒカルが大学受験を必死に頑張って合格して卒業した上でのことならわからなくもないが、そもそも難関大と呼ばれるところに合格した人たちはそんなことをまず言わないだろう、wakatteの高田ふーみんを除いて(笑)
んで、林尚弘に関しても「わかりやすく言えば東大受かって年収低い人と中卒で年収高い人だったら、ぶっちゃけ年収高い人の方が最終的に凄いってなっちゃうよね」という発言にも首を傾げる。

そもそも林尚弘自体も出ている大学自体が偏差値52.5〜57.5の学習院大学で必死に勉強なんかしなくても入れるようなところだし、結局ヒカルも林も「年収」という物差しでしか人のことを判断できないような薄っぺらい人間なのかと思えてならない。
高学歴は確かに社会に出れば1つのステータスにはなるが、大事なのは「どんな大学を出たか?」以上に「その大学で何を学び身につけたか?そこで得た思考法を卒業後も活かせているか?」である。
大学時代に私の恩師がかつて言っていた「大学は決して金儲けの為に行くようなところではない。あくまでも学問の世界において真理を身につけ、その上で人格を陶冶することが最も大切だ」という教えが今改めて私の中で響く。
私が通っていた大学の理念は「大学は学問を通じての人間形成の場である」であって、学力と人間性は不即不離でバランスよく調和しなければならない、どちらかに偏りすぎてもダメなのだということを叩き込まれた。

私はそこの大学の看板学部を出ているが、結果的に卒業に時間がかかったとはいえそこで得たものは全て今の自分の血肉になっているし、よくありがちな「高学歴だから凄い」なんて陥穽にハマらずに済んだ。
決して第一志望の大学ではなかったのだが、今思えばあの大学こそが私にとっては合っていたのだと思えるし、だからこそ高学歴というものをまるで何かの物差しやブランド・肩書きにしている勘違い人間に対しては反吐が出る。
「俺がもし勉強の才能があって高学歴だったとしたら、もっと俺世の中に認められてると思うんですよ」と言っていたが、その発言自体がそもそもおかしいことになぜ気がつかないのか?
たとえ高学歴であったとしても人間性がクズだったら誰も認めないであろうし、逆に中卒や高卒でもきちんとした考えを持って勉強を続けて頑張る人だって世の中にはたくさんいる。

少なくとも私に関して言えば学歴というステータスが欲しいから大学に行ったのではない、自分が学生時代に好きだった英語という言語に多大なる魅力を感じ、よりその構造や源泉を深く知りたいと思ったからである。
言語の構造を深掘りして勉強していくことは最終的に欧米圏の歴史・宗教・社会を勉強することにも繋がるし、また語源や構造を深くまで勉強すると本質的なところでその言語を理解するのでより習得が楽になるのだ。
言語は全て統語構造と意味の連鎖によって成り立っており、形が変われば意味も変わるし意味が変われば形も違うことまで含めて4年間で徹底的に勉強したからこそ、それが今の自分の言語化能力や分析力を作り上げているのだと思う。
そしてそこで習得したものは社会に出てもいろんなところで役に立つし、だからこそ思考の抽象度が高い人にも出会う機会が増えたのだと思うのだ、大学とは正にそういう「学ぶ楽しさ」をより深く知る為に行くところなのだから。

そういう思いがあるからこそ、そういう学問や勉強に対して純粋に取り組んでいる人たちや大学受験に本気で取り組んでいる人たちに対して「東大受かったら賞金100万円」とかいうマネーゲームに利用するヒカルたちのクズっぷりには反吐が出る
受験勉強をろくすっぽ頑張りもせずにYouTubeを通して金を稼ぐことがステータスとしか思ってない人間たちによって学問の真理が捻じ曲げられ、ウケ狙いのためなら何を言っても構わないと思ってるかつてのと学会やオタキング岡田と同じだ。
正にこういう人間をこそ「曲学阿世(真理を曲げて世の人の気に入るような説を唱え、時勢に投じようとすること)」であり、横山光輝版「三国志」でも諸葛亮の過去回想でそのことに関してはきちんと描かれていた。

まあでも今回の件に関しては決してヒカル・林だけが悪いのではなく、そもそも戦後日本の受験戦争というビジネスモデルのあり方そのものに問題があって、結局勉強や学問を都合のいい金儲けに利用してしまったのは事実だ。
それこそ東大受験に特化した鉄緑会なんかもそうだろう、あれは典型的な「東大合格の為なら無茶苦茶な勉強を受験生に強いる」というもので、本来あるべき勉強・学問の楽しさというものを蔑ろにした金儲けでしかない。
また、ヒカルも触れていたが、「東京大学物語」や「ドラゴン桜」といった受験勉強を題材にしたものが妙に世間で人気を博して「俺でも東大に行ける」なんて勘違いする愚か者をどれだけ生み出してきたことか。
やっぱりヒカルにしろ林尚弘にしろ、そして桑田龍征にしろ、令和の虎の連中なんて所詮拝金主義のカスしかいないということが露呈してしまったのが今回の東大受験生応援企画に名を借りた金儲けということなのだろう。

私がどれだけ影響力や才能があってもヒカルとその取り巻きたちをリスペクトできないのはそこである、どれだけカジサックらが「ヒカルさんは本当は真面目な人間です」なんて言っても信じられるわけがない。
どこまで行こうと真面目にしっかり生きる人たちを後ろ指差して物笑いの種にして、自分より同格や格下相手にはマウントを取るが格上相手には及び腰で逃げてしまう田舎のヤンキーが財力だけを肥大化させたという典型
そこの部分のズレに気づいて根本から矯正しない限りは真の強者として認められないのだが、まあでも人間「三つ子の魂百まで」というし一生根幹のクズっぷりだけは治らないんだろうな。

学問は決して金儲けの道具じゃない!東大受験に名を借りた売名行為なんかさっさと辞めろ!


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