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令和の虎の歴史を塗り替えたヒカルと虎たちの伝説と引っかかった「承認欲求」という言葉

結構面白かった。ネクステ解散してからのヒカルは見ていなかったが、この回はまあ既定路線であることは承知の上でも、盛り上げ方がとても上手い。
「筋書きのないドラマ」とは正にこのことであり、令和の虎の大枠や前提にメスを入れて虎たちもヒカルもレベルアップしていく拮抗した名勝負だった。
ヒカルも、そして虎たちもこういう修羅場というか極まった状態の大勝負を何度も繰り返して今の地位や富・名誉を築き上げていたのだなと思う。
ただ、若干引っかかりというか「それは違うのではないか?」と思う箇所もあったので、そちらに関しても触れていくことにする。

まず良かった点としては、最初に上からマウントをかましていき「お前らがプランを考えろ」という持って行き方はかなり戦略的で上手だった。
「この男、即戦力」ではないが、買い手市場となっている令和の虎を敢えて売り手市場に持っていくという逆転の発想である。
しかもここまでに相当な知名度・影響力・人気・実績を残してきたヒカルだからこそできた形なのだが、一見横暴そうで実は逆なのだ。
後半に向けて真意が明かされていくが、この回におけるヒカルの本当の狙いは虎たちに自主的にビジネスをさせることにある。

「皆さんが何をやっているか知らないのに、こちらが考えたプランを提案するのは僕の072でしかない」というのは確かにその通りだ。
令和の虎もといマネーの虎は大体において志願者が「こういうプランを考えていますので出資してください」というのを出し、それに虎側が出資かNothingかを決める。
だが、それもよくよく考えたら志願者の一方的なお願いをなぜ虎側が聞かなければならないのか、虎側にどんなメリットがあるのか?という話だ。
Nothingになってしまう志願者のほとんどは自分のプランばかりを考え過ぎていて、虎側のメリットまでをも考えていないのがほとんどである。

ベン図

マネーの虎も令和の虎も仕組みとしては数学の集合に出てくるベン図であり、Aを虎側、Bを志願者側とすると話はわかりやすいだろう。
要するに虎たちのやっているビジネスと志願者の提案するプランがどれだけ綺麗に重なるかであり、そこがうまく重なった時に初めてお金が出る。
ヒカルはこの仕組みを知った上で、プランを売るのではなく自分が逆に出資する側=Aとなって「うまく重なるプランをあなた側が考えてはいかがですか?」と提案したのだ。
つまりAとBを完全に逆転させるというパラダイムシフトを起こしたのが今回のマネーの虎であり、それができたのは正にヒカルだからこそではないだろうか。

その上で1人1人への対応もうまく考えていて、例えば桑田社長は容赦無く弄るし、安藤社長を大目玉として立て、他の3人にはさほど噛みつかずに適切に立てる。
どうすれば虎たちのキャラクターの魅力と才能がよりうまく出るのかを考えた上で、正に教祖様の如くヒカルワールドに全員を乗せて手玉に取っていた。
他の志願者には到底真似できない独自の戦法はまるで横山光輝版「三國志」の孔明の大論陣を彷彿させる醍醐味が詰まっていて、1時間があっという間に過ぎていく。
トークスキルの高さはいうまでもないが、何より虎たちを相手にこれだけブレず物怖じせずにはきはきと意見できる確固たる自信と信念が素晴らしい。

また、結果的にとはいえ桑田社長と安藤社長、林社長と安藤社長の小競り合いなどもいい感じに場の空気を和ませており、最後まで飽きずに見られる。
だが、決して全員がヒカルに忖度してマンセーして2,000万ずつ出しているわけではなく、新人の女社長のみが冷静に500万という投資の仕方もよかった。
「社会貢献性」「世のため人のため」といった下手すれば綺麗事に聞こえる部分を出しつつ、決してヒカルを全面的にヨイショしないのは上手いアクセントである。
男性陣がヒカルの魅力にやられていく中で1人だけ俯瞰の位置で冷静沈着にヒカルという人間性にどれだけ投資できるかを慎重に見極めていた。

史上最高の希望金額1億というのもすごいが、これだけ凄い伝説回が出たら令和の虎自体もハードルが上がって希望金額のインフレが起こるのではないか?
こういう風に1人のカリスマがバーンと出てきて前提を崩すところからやってしまうと、令和の虎自体もハードルが上がってくるであろう。
正に「ドラゴンボール」でいうなら今回はナメック星編ばりのハイパーインフレを起こしていて、正に今回のヒカルは完全な超サイヤ人であった。
いつになく好戦的であったし、でも決して驕りもせず自分にできないことははっきり「できない」として、うまく長短をアピールしていたと思う。

だが、今回のプレゼンで引っかかったところもないわけではないので、ここからは個人的にヒカルの引っかかったポイントに関して言及する。
ヒカルに限ったことではないが、私は「承認欲求」というワードも概念も全く共感できない、なぜなら自分が生きてきた中で承認欲求なんて一回も持ったことがないから。
あとポケカに関しても「勝手に集めてろよ」と冷めた目で見てしまった、私の中には何かを集めながら生きるという感覚は全くないのである。
だから肝心要のヒカルの根幹にある部分に対して私は共感も応援も一切できず、そこがどうしても引っかかるしヒカルを応援する気にはどうしてもならない

昨今だとTwitterしかりTik TokしかりInstagramしかり特にその傾向が強いが、SNS自体がそもそも承認欲求の温床みたいなところである。
もちろん承認欲求自体は誰しもが多少なり持ち得るものだからそれが悪いとは言わないが、承認欲求というのは所詮「自分軸に見せかけた他人軸」でしかない。
それがヒカルの健全に見えて不健全なところであり、そんなチヤホヤされる国なんか作ったところで、それこそ単なるヒカルの072でしかないだろう。
むしろ世界全体で見ると、今世界で求められる人材は承認欲求ではなく自分軸でしっかりと拘りと美学を持って生きる人たちが求められている。

ヒカルは相当にビッグマウスなことで知られているが、その背景には学生時代全くうだつの上がらない日々を過ごしていたという忸怩たる思いがあった。
それこそ、最近コラボしたジョーブログとの動画の中でもこの「承認欲求の塊」であることは散々言っているので、ポジショントークでも何でもなくヒカルの本心なのだろう。
だが、私に言わせればへずまりゅう・ガーシー・マホト辺りのような迷惑系YouTuberのように「憎まれっ子世に憚る」の意味を履き違えた連中とヒカルは正直大差はない。
じゃあ何が違うのかといえば、その承認欲求をコントロールする術に長けているかどうかであり、ヒカルだってかつては情報商材を売っていた詐欺師だったのである。

承認欲求には限りがなく、「あなたは正しい生き方をしてます」とファンや世間に言われてチヤホヤされたいという気持ちは私にはよくわからない。
だってそんな生き方疲れないか?誰かの期待に応えるための奴隷みたいになって、ニコニコ笑顔を振りまいて生きることの何が楽しいのだろうか?
それを履き違えている人が大衆向けのチェーン店で店に大損害を与えるような迷惑行為を武勇伝のようにしてSNSでアップするのではないかと思える。
自分が好きなことをするなとは言わないが、それはあくまでも「他人に迷惑をかけない」ことが前提にあるのであって、誰かが不愉快な思いをするならそれは迷惑でしかない。

目標宣言するルフィ

以前の記事で「ONE PIECE」のルフィや「NARUTO」のうずまきナルトのビッグマウスが好きじゃないと言ったのは正にここにある。
ヒカルに限らないが、ゆとり世代初期と呼ばれる人たちが今古参のYouTuberとして名を馳せているが、正にやっていることが彼らの読んできた漫画そのものである。
フィッシャーズのシルクなんてまんまYouTube界のルフィだし(ビッグマウスで無駄に自信ありまくり)、ヒカルはYouTube界の革命家ドラゴンと自称していた。
要するに何か功績を上げて名を成すことによって承認欲求を満たそうとするのが「ONE PIECE」「NARUTO」の根底にあるものだし、それに影響を受け育ったYouTuberの生き方である。

動機が承認欲求のナルト

ナルトに関しては「火影を超す」だけならまだ立派な志だとは思うが、その後の「里の奴ら全員に自分の存在を認めさせる」が承認欲求でなくて何だというのか?
しかもその承認欲求に関してそれなりにメスを入れる展開はあったものの、私はナルトのそれがそのまま実現してしまった結末が根本的に好きになれない。
なぜなら海賊王や火影といったような地の時代の権威みたいなものに縋り、それになることで承認欲求を満たそうとするのは「自分軸に見せかけた他人軸」である。
言っておくが世の中の人たちは言うほどヒカルのことなど見向きもしないし興味もない、見ていたとしたら精々が暇つぶしだろう。

そしてこれが同時に日本人の民族性でもあって、日本人は結局どこまで行こうと右顧左眄した末のみんなでGo!みたいな……自分本位で生きているようで、実は完全な他人軸だ。
承認欲求というのは精々駆け上がりの新人YouTuberがいうことであって、ヒカルのような古参のベテランクラスがいうべきことではないと思うぞ。
ヒカルほどの実績とカリスマ性と知名度と影響力がありながら、根っこの部分がいつまでも自らの小児性から卒業できていないのはどうなのであろうか?
私自身は昔からそうやって誰かに認められたいという思いで何かをしたことなんか一回もないし、この文章だって自分が書きたいから書いている。

ヒカルほどの上のレイヤーにいる人間が承認欲求なんて次元の低いところで話をしているのは個人的に違和感を覚えた。
それは同時にヒカルが自分自身で何を間違っていたかを軌道修正してもらえる機会の損失をも生んでしまうのである。
間違ったことを間違ったまま野放しにしてしまうと、本当に大切なものにすら気づけず辿り着かないまま終わってしまう。
大人になればなるほど、歳をとればとるほど自分が何を間違っていたかを指摘する人はいなくなっていくのである。

そうなると、今の自分よりも上の高いステージに行くことが不可能になってしまうかもしれない。
確かに最初の段階は誰かに認められることや評価されることは大事だが、そこに慣れてきたらいい加減賞賛や承認欲求からは身を離した方がいい
自分をチヤホヤしてくれる信者と国が欲しい?大いに結構であるが、そんなことはまず承認欲求を乗り越えて社会貢献性に目覚めてから言って欲しい。
人間最後に頼ることができるのは自分だけ、他者はあくまでも自分に気づきを与え手を差し伸べてきっかけを与えてくれるだけだ。

とても完成度が高く見応え抜群のプレゼンだっただけに、ヒカルの良くない点までもが露呈してしまったなと少し残念ではある。
まあヒカルに関しては一視聴者としてたまに見る程度なので、別にどんだけ稼ごうが成功しようが私にはどうでもいいことなのだが。
だが、令和の虎におけるパラダイムシフトを1つ起こした伝説の回であることは事実なので、それは素直に凄いと褒めておいてやろう。

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