何のために仕事をするのか
「仕事が手につかない」
そんな一日だった。
自分は、「相対的に優れていることが人間の価値」という考えを受け入れられない。
絶対的な価値観がないからこそ、わかりやすい相対価値を求める、といった行動も構造として理解はできるが、惹かれない。
そんな価値観の自分は営業会社に勤めている。
2年前以前の自分は、人生、幸福に対するに対する考えを一切持っていなかった。
とにかく評価されることに奔走し、評価をされると嬉しかった。
人生観や哲学的な考えがないからこそ、思考停止して目の前のことをがむしゃらにできた。
モチベーションどうこうで仕事をしていなかった。
だからこそ結果も出て、その度に喜び、結果が出ない時は劣等感に憂いた。そして努力した。
営業成績を残すものが輝く相対社会の中では、最適と思えるスタンスだ。
そんな自分も1年前から、相対的な価値よりも、何もないことでも感じる幸福や、自己受容、being思考に魅了され、絶対的に大切にしたい価値観が芽生え始めた。
その価値観のもと生きる人生は、とても幸福であり、自分のありたい姿も明確化した。
これからもずっと大切にし続けたい、ブレたくない考えである。
とはいえ、現状はありたい姿を実現するために自分がするべきことを思考するが、実現できていない。
生きていくためには仕事をしなければいけないわけで、変わらず営業マンとして働き続けている。
そこで、困ったことがある。
「仕事が手につかなくなってきた」
大切にしたいという考えが芽生えたことで、
・会社に評価されたい
・相対的に優れていると思われたい
と感じることができず、ましてやそれに向けて奔走する周りの考えに疑問を感じてしまうようになった。
相対社会での正義と、絶対的に大切にしたい価値観の混同。
とはいえ、会社はやめないし、やめてからしたいこともまだ明確でない。
とても中途半端な状態ができあがってしまった。
相対社会の中でしか生きられないのに、絶対的な価値観も大切にしたいからモチベーションは低下する。そんな中途半端な状態で今の会社に在籍している自分が受け止めきれなくなってきた。
では、どうするか。
一日考えて、今の自分に腑に落とせる考えを整理した。
結論、「公私を完全に切り分ける」という考えだ。
今の自分は絶対的に大切にしたい価値観(私)と、相対的な正義、仕事(公)が混同している。
とはいえ、私の価値観は絶対にぶらしたくない。
だからこそ、私の価値観は私の時間で大切に育みつつ、公の時間は私の感情を介入させずに、ひいては感情を排除し愚直に取り組む。
未来的に、絶対的な価値観(私)を仕事(公)として取り組むとすれば、その手段として相対的に優れた能力は必ず必要になるから。
今の自分は、絶対的な価値観を仕事として体現できる能力が乏しいにも関わらず、その価値観が先行しているがゆえに、中途半端な状態だ。
仕事と感情を切り離し、プロフェショナルとして愚直に目の前のことに取り組む。
逆も然りで、
社内での評価や名声を得ることが目的となり、自身が一喜一憂することも、公私混同である。
私を大切にしたいからこそ公を切り離す。
公私混同しない。
やるべきことが明確になり、霧が晴れた。
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