見出し画像

学習とは愉快と見つけたり(見つけてない)『ブッダが教える愉快な生き方』

やあ、僕だよ。
コテンラジオでブッダの回を聞いて以来、気になって気になって仕方なかったんだよね。

元々僕は色んなものに囚われ、激情と沈鬱の間を一日に何度も行ったり来たりし、「焦らなくていい」だの「落ち着いて」だのよく言われる生活を送ってきた。

そんな言葉をかけられる度に「何故周りの人は落ち着いていられるのだろう?」と不思議に思ったものだ(僕の場合見た目や声色が落ち着いているから余計に目立って見えたのかもしれないが)。

前の会社では瞑想が奨励されていて、例のごとく素直にやってみたりしたのだけれど、忘れちゃったり途中で集中力途切れちゃったりして全然マインドフルネス出来てる気がしなかった。

それもこれも僕の生きる姿勢がそうさせてたんだなってこの本を読んで気づいたよ。
確かに、この本が僕にとって全部「正しい」とは言えない。でも「こういう見方もある」って新しい視点を得られたのは結構ラッキーだったんじゃないかな。

さあ、今日も始めようか。君も楽しんでくれたら嬉しいな。

本作あらすじと感想

禅のやり方や、生活で気を付ける具体的な提案等のハウツー本ではない。
「ブッダ」の学びの歴史を紐解いていきながら、「自ら学ぶことの楽しさ」や学校的学びではない「オーガニック・ラーニング」(生きることそれ自体からの学び)について書かれている本である。

これを読んだからといって、ゾウが導いてくれたり、大富豪が教えてくれたりしないので、外側から見た生活が変わることはないだろう。

だが、人によっては内側が変わるかもしれない。

 ブッダが教えたのは、仏教の教義というよりも、むしろ自己をどう学ぶか、人生というテキストをどう深く読むかという、広い意味での学び方だったのではないでしょうか。

前述した「オーガニック・ラーニング」を「赤ちゃんが何も知らずに行っている学び方」に似ていると著者は繰り返し記述していて、書物を読んで学ぶのではない、体験からなる学びは「愉快」だとも言っている。

しかもその「愉快」はすなわち「生を全うすること」に他ならない、と言い切っている。

わかりみが深い。
連日こんなことばかり記事にしていたから、心のどこかでこの結論に辿り着いていた気がしていて、それを先んじて言語化されたような心持ちになった。

マインドフルネスはすでに事象に反応した激情や沈鬱を手を入れて調整する感じがするが、禅は全ての事象をまずはまるごと受けきってしまって、それに対する反応を意識的に小さくするみたいな感じ。
マインドフルネスは対症療法的なのに対して、禅は予防療法的。

僕はどちらもバランスよく使っていきたい。
そしていつか凪の心(波風立たない穏やかな心のこと。僕が勝手に呼んでる)を手に入れたいものだよね。

英語全然面白くない

この女子会でつい「僕、UoPeople入りたいんだよね」なんて見栄を張ってしまったから英語の勉強してる。
前々からやってはいるんだけれど、最近本当にモチベーションが下がってた。全然面白くない。眠いし、つまらない。

今の時間、ペットと遊びたいし、本読みたい。映画観たい。
美味しいおやつ食べて暖かいお布団にくるまって眠ってしまいたい。

こんなことばかり考えて(あるいは口に出して)テキストに向かってる。

たまに「めっちゃ面白え!」ってなる時があるのだけれど、一週間に一回くらい。
7回の内1回しか面白くないものを続けるなんて僕にとっては狂気の沙汰だ。

コテンラジオのヘレンケラー回

相変わらず家事のお供はコテンラジオである。
今日はヘレンケラー回を聴いていた。

最近の僕は、あまりに英語が楽しくないので朝一番に英語の勉強を始めて、一時間経たないうちに飽きて家事をする。
家事一区切りついたらまた勉強を再開し、飽きて残りの家事(あるいはちょっとした仕事やnote)をする。

繰り返し言うが、あまりに英語が楽しくない上に家事をしている合間はコテンラジオを聴けるので正直家事の方が数倍楽しい。

そんな僕が今日もウキウキで皿を洗っていると、「サリバン先生が体験さえしていれば言語習得はさほど難しいものではないって言ってる」と深井さんが教えてくれた。

言葉先行で覚える(文法や目で見た単語、書き取りなど)僕らは言葉ありきで体験をするけれど、ヘレンケラーの場合は体験が自分の中に蓄積しきった状態で後からその表現を覚えるから、その覚えが尋常じゃなく速く、またものすごい面白く感じられるということらしい。

英語の勉強が楽しくないのは英語を使ってないから

強烈な体験と音や匂いが記憶に深く焼き付けられるというのは、生きている中で実感している原則だ。

赤ちゃんが生きているだけで成長できるのはそれが全て「初体験」だからだと僕は思う。
初めてものを口に入れ、目を閉じ、触り、聞く。毎日毎日新しい気温と湿度、匂い、「世界」自体が強烈な体験となって体の中に蓄積される。

しかも、ヘレンケラーより赤ちゃんの方がさらに衝撃が続く。
何せ、視覚も聴覚も日を経るごとにクリアになっていくからだ。

人間が自分で十分に食べられるようになるまで時間がかかるのは、この衝撃を長引かせて学習能力を爆発的に伸ばすためなんじゃないかと勘繰っている。
でないと、人間の育児がこんなにも大変である必要がない(僕らの周りにいる馴染みの動物たちは遅くても半年でほぼ成体と同様の動きをする)。

ということは、僕もそのように生活に根差した学習方法かつ「初体験」を意識して英語を取り入れれば、ペラペラになれるはずだ。

一日中英語で独り言を呟いてみる(予定)

家事中はコテンラジオを封印し、BBCかABCニュースを流す。
さらにインコに「How do you do?」「Hi,my kitty.」などと話しかけつつ午前中を過ごす。

午後は字幕なしで全編ハリウッド映画を観て、英語でnoteに感想のような日記のようなことを書き殴り、夫の帰りを「I love sweet,xoxo」と迎え、2ページしか進んでいない『WONDER』を読んで眠る。

これで夢の中まで英語なら最高の体験になるだろう(外資系企業に勤めてた頃、まかり間違って本社のWEB会議にぶっ込まれた際にトラウマで英語の夢を観て以来の快挙だ)。



…全然想像しても楽しくないんだけど!
ああああああ英語勉強したくないよおおおおおおおお!!!!!



#日記   #エッセイ #毎日note #スキしてみて
#読書   #ブッダ #学び方
#藤田一照  #ブッダが教える愉快な生き方 #81日目
#理解が浅くてもとりあえずやってみ  #体験と学習 #英語学習
#英語嫌い  #アメリカ人かオーストラリア人と付き合うチャンスあった
#あの時付き合っとけば

この記事が参加している募集

スキしてみて

いつもサポートありがとうございます。頂戴したものはnote活動費としてじゃぶじゃぶ使わせて頂きます。ぐへへ。