人の言葉に人生を賭けてはいけない(戒め)

この前あらためて知ったのですが、社会学者の上野千鶴子さんが2年前まで結婚されていたそうです。また、夫さんとは死別だったとのこと。

誠に勝手ながら、こちらのNero Reportさんのnoteを引用させていただきます。
そして、こちらのnoteで”クロワッサン症候群”というものも知りました。

ざっくり言えば、バブル時代に、結婚を否定する生き方に共感した女性たちがいたけど、その生き方を推奨していた女性作家は結婚してはしごを外し、共感した側はもう結婚しようにも適齢期を過ぎてしまった……という。寓話みたいな感じの話ですね。どうもWikiが作話的に見えるので、すべてを信用するわけではないのですが。まぁでも、あってもおかしくなかったのかな……みたいな。

上野千鶴子さんが結婚することが悪とは思いません。ただまぁ、かねてから結婚を否定したり、おひとりさまを推奨していた方なので、確かに言行不一致な感はあります。「自分はただ新しい生き方を発表しただけ」と言ってしまえば、それまでなのですが。あと、本人はたぶん批判されても気にも留めないでしょうし。
個人的に気になったのは、どこまで上野千鶴子さんのおっしゃる生き方に従って、結婚を拒否してきた方がいたのだろうか、というところです。適当に検索して引っかかった谷本真由美(めいろま)さんの記事が、多少なりともヒントになったかな、と。

92年生まれの自分にはそこまで分からないのですが、80~90年代は性に対してかなり奔放的な時期であり、その時に上野さんのような「自由な女」「強い女」というメッセージを発信している方が種々いろいろいらっしゃったそうな。谷本さんご本人も、その言葉を信じて結婚は悪いことだと思っていて、ようやく結婚・高齢出産する頃には親の介護も同時進行で発生してしまった……とのこと。
もちろん、上野さんのメッセージを受け取って、いろいろ考えた上で独身を貫いている女性もいらっしゃるでしょうし、「これらの言葉は女性の自立を促すためのものだ」という理屈もあるでしょう。同時に、真に受けてしまったがために、非正規・独身・親の介護という八方塞がり状態の人もいるんだろうなと思うとね……うん……。

あと、この話題で、近藤誠医師のこととか、ryuchellさんのことを思い出したね。

”がん放置療法”の提唱者であった近藤誠医師。あるテレビ番組で紹介された時、それを見ていた自分の父が「こういう人が、本物の医者なんだろうな」と言っていたのを覚えています。自分はどうも腑に落ちず、その当時やっていたTwitterで実体験を交えて近藤医師を批判した方のツイートを見たので、そうは思えませんでしたが。
川島なお美さんも、遺著でやんわりと否定されていたのですね。近藤医師への感謝もしつつ、しかし自分はガンを放置することが良いとは思わない……という風に。
おそらく、同じようなガン患者の方がいらっしゃったのだろうなと推察します。怪しげな民間療法が消えないのと同じで、恐怖心などで鈍してしまった人たちがすがってしまう。そりゃあ、いつになったら消えるのかと不安でたまらない中で、「放置しても大丈夫」みたいな言葉をお医者さんから聞いたのなら、安心してしまうでしょう。しかし、当然そのままにしておけば進行してしまう病気だし、現実をようやく知った頃には時すでに遅しだった……みたいなことが、あったのでしょうね。

正直、最初にryuchellさんの告白を読んだときは、どうしても理解が及びませんでした。ん?離婚するの?しない?といった感じで。
なので、ryuchellさんが”理想の夫”としてメディアに取り上げられ、そうした仕事を続けていくうちに、自分の本来の思いとは違った考えを持ち続けることに耐えられなくなった、というのを理解するのに時間がかかりましたね。そして、これを仕方ないことだという擁護があったのも、少しモヤっとしたというか。この仕事を選んだのはご本人なのに、それを周りがはやし立てたみたいになってるのも違う気がして。あと、最初は理想の夫としてryuchellさんを肯定していた人が、離婚を発表したら叩くっていうのも、ね。何だかなぁ……、と。

まぁ、上記の人たちの言葉を信じ、裏切られた気持ちになった人を、嘲笑するつもりは無いんですよ。ただ、総じて思うのは、自分の人生なのだから、安易に人の言葉に人生を賭けてはいけないのでは?ということです。自分で考えて結論を出すことから、逃げてはいけないと思うんですよ。
これまでの風潮や価値観からは違った言葉に、新鮮さや目新しさを感じる気持ちは分かります。親世代に対する嫌悪感などがあれば、「自立」という言葉はとても価値のある言葉に聞こえるであろうことは、想像に難くない。でも、それまでの価値観も、悪くないと思うんですよね。経験しないから分からないことでもあって。

それは今の自分にも当てはまるんですよ。自分が中高生の時は、工場勤務の父のことを軽視していました。給料も安く、労働時間もめちゃくちゃ長い。毎日仕事に行って、家に帰ったらお酒飲んで酔いつぶれて寝るだけ。そういう生活を見ていたので、「ああはなるまい」と思っておりました。工場勤務なんてまっぴらごめんだ!という風に。
でも、それは父なりに頑張って自分と母の生活を支えてくれていたということだし、結局今は工場勤めをしてるんですよね。しかも、現状に不満もあれど、同時に満足もしていて。若くてある種傲慢な考えがあったが故に軽視していただけで、経験したからこそ分かった。
20代のころは否定的であった飲み会も、実際にやってみたら楽しかった。お酒を強要しない人たちと一緒だったので、尚更なんですけど。非合理的だと思っていたし、そういうのやりたくないなと感じていたのに。好きなお酒飲みながら下ネタや愚痴を吐いて、好きなご飯をつつくのが、とても楽しかった。あれはまたいつかやりたいくらい。

旧来の価値観通りに生きることが良いことと断定はしません。新しい価値観や自分らしい生き方も模索することも、人生を生き抜く上で大事なことでしょう。しかし、ただ、旧来の価値観を否定してほしくないなとも思うんですよね。みんな、それぞれ何とかしながら、生きているのですから。そして、繰り返しになりますが、安易に人の言葉に人生を賭けてはいけないと思うのです。美しい言葉に乗っかっても、その言葉を放った人は責任を取りません。自分が苦しんでも、望んだとおりの生き方にならなくても、それをどうもしてくれないのです。もっと自分自身で迷うこと、経験することを、大事にしてほしいな、と。

最後に、Togetterで見かけた、ポンデベッキオさんのツイートを引用させていただき、終わりにしたいと思います。

自分も独身非モテで交際相手もいませんが、頑張ってまいります。みなさん、ネットをやめて外に出ましょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました。