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【短歌一首】 同窓の円居(まどい)にたゆたふ時の河開会の辞は物故者を告ぐ

短歌はノスタルジア。

ちょっと前に高校の同期会があった。すでに高校を卒業してから35年以上の歳月が経っており、同じ学年のメンバー全体で集まる初めての大きなイベントだった。

高校生の頃には携帯電話も、スマホも、インターネットも全くない時代。以前なら連絡網のアップデートもとても大変な作業だったが、今やSNSなどを駆使して企画・連絡・開催することがだいぶ楽にできる時代になった。すでにネットで繋がっている同期生も沢山いるのだろうが、リアル参加でここまで大規模な集まりは高校卒業後初めてのこと。

同学年には、9つのクラスがあり、ひとクラス約40人いたから、単純計算でも同期生は360人くらいということになる。そのうち参加したのは180人ほど(+何人かの先生)。来る人、来ない人、来たくない人、来られない人、連絡がつかない人、行方不明の人。 360人それぞれに、卒業後何十年の間に人生がいろいろあるだろう。当時の先生たちの半数くらいはすでに亡くなっていた。

ちょっと驚いたのは、開会の挨拶の最初に司会者(同期生)から卒業後に亡くなった人(物故者)の名前が読み上げられたこと。その数は、15人くらいいたと思う。(開催の事務局がトレースできた人たちだけだから、実際にはもっと多いかもしれない。)この中には、私が幼稚園、中学、高校で一緒で、高校のラグビー部でもバックスで一緒にプレーしていた40代で病気で亡くなった友達も入っている。20代〜40代で亡くなった人が多い(らしい)。

物故者それぞれの亡くなった詳細については知らされてないが、自ら命を断った者も何人か含まれている。(少なくとも、私は3人は知っている。)

それにしても、高校卒業してからずいぶんと長い時間が経ったもんだ。早いような、そうでもないような。同期生の一人一人にいろいろな人生、いろいろな事情がある。

猫間英介


【余 談】
同期会でよく話題になったのが、インターネットも携帯電話もスマホもSNSもない昭和の時代に、いったいどうやって友達や彼女、彼氏と待ち合わせをしていたのか、ということ。

あらかじめ日時・場所を決めておき、なかなか来ない時には、相手の自宅や自分の家の固定電話に電話をして家族に動向を確認する。何らかの事情で行かれなくなったときには、自宅か相手の家に公衆電話から電話をかけ伝言しておく。彼女の家で親父さんが出たりすると不機嫌な上に、全く情報を持っていないので埒が開かない。
(一度、夜の9時くらいに電話をしたことがあったら、相手の父親から「うちの娘は夜鷹ではない。君の住んでいる場所とこちらでは時差があるのか。」と言われてしまった。ひどい言われよう〜。)

自宅や相手の家に電話をかけても相手の動向が分からないことや、単に(大幅に、いい加減な性格ゆえに)待ち合わせに遅れているケースも多々あり。 当時、駅の改札口には黒板とチョークが置いてあり、待ちぼうけののち帰る時にはその黒板の空いているスペースに伝言を書いていた。

なんという不便、不効率。(それでも文のやりとりを他者に託して持って行かせた平安時代よりもはるかに便利だろうけど。)

【前に投稿した2首】

「1時間待った、帰る」と改札の伝言板にピンクのチョーク

「ケータイの追尾無きゆえ解放と疑念に二人揺れゐし昭和」



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