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【短歌一首】 大家族つぎつぎ散りて唐突に末席の吾墓守となる


大家族
つぎつぎ散りて
唐突に
末席の吾
墓守となる

短歌はレジリエンス。

前日に続き、墓参り関連となりました。
先日、久しぶりに墓参りに行ったら、いろいろな感情や思いが湧いてきました。懐かしい気持ち、寂しいきもち、悲しい気持ち、温かい気持ち、理不尽な気持ち、などいろいろあります。 何年か前に墓参りに来た時も同じようなことがありました。
いずれにしても墓参りには不思議な力があると感じます。

子どもの頃は大家族で、毎回、親戚と合わせて20人近くで墓参りに来ていました。
私には兄がいて、親戚の子供たちも皆私より年上だったので、いつもおまけのような年下扱い、子供扱いをされていました。墓参りに来るというよりも、遠足のようなイベントに参加する気分で来ていました。

自分の祖父母や両親や兄弟の中で、何も考えずに、言われてるとおりにくっついているだけでした。 それが、何十年も経過し、人数はどんどん減り、さらにここ何年で次々と(世の中の平均寿命よりもかなり若く)亡くなる人が増え、いつの間にか私が墓を継ぐことになってしまいました。

全くそのようことを考えたこともなかったし、いつも家族や親戚の中ではお墓とか仏事とかいったこととは自分は一番遠くにいると思っていました。 もともと法事や親族のイベントなどはとても苦手で面倒くさく感じていたので、本当に唐突感と困惑しかありませんでした。まあ、人がいないのだから仕方がない、と思うようにしています。

それにしても、世の中が目まぐるしく変化する中で、霊園の丘から見る景色は、子どもの頃から何十年もほとんど変わっていないと思います。 これだけ変わらぬ景色というもの、それはそれで自分にとってとても貴重な風景です。(墓の草むしりや掃除や法事はちょっと面倒くさいかな。罰当たり?)

自分の頭の中はいつまでも一番年下の子どもみたいなのに、いつの間にか何十年も時が過ぎたな、としみじみ思います。

猫間英介


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