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【読書感想文】あなたの「家」はどこですか?

昨年末、久しぶりに実家に帰省したら、家のなかが目に余るほど汚れていた。


実家には今、60代後半の父がひとりで住んでいる。

父は全く生活力がないので、家の中が荒れるのも当然だ。
5年前、母が死ぬまで家事は全部母任せだった。典型的な昭和の人間。
まぁこうなることは目に見えていた。
母が死んだからといって、突然真面目に家事をやる人間に変わる訳がない。


トイレマットが何年前から敷きっぱなしやねん敷いてる意味ないやろとツッこみたくなるほど薄汚れている。
父のスーツと使ってないネクタイ(20本くらい)をかけているハンガーラックが埃まみれ。
洗面所にかけてあるフェイスタオルは洗濯しすぎてがっぴがぴのがっさがさ。
冷蔵庫を開けたら、2019年に賞味期限が切れている使いかけのマーガリンが出てきた。


生活に困窮している訳ではないが、父は生命の維持さえできれば、最低限の生活で十分満足しているようだ(少なくとも私にはそう見える)
最初、思わず「このきったないトイレマット捨てぇや!」と言いそうになったけど、やめた。
娘として思うところは山ほどあるけど、その生活が悪いとは言わない。父の自由だから好きにしたらいい。

キッチンの棚の中で埃をかぶっている、生前、母がこだわって買い揃えた食器の数々を見て
ああ、ここはもう「私の家」ではないな、と思った。


私の家は、夫とふたりで吟味して買った、関東の家だ。
全部、自分の意志で選んで創り上げた家だ。
へとへとに疲れ、どこに帰りたいか?と考えたときに、まっさきに思い浮かぶ場所が、自分にとっての「家」なんだと思う。


あなたの「家」は、どこですか?



大丈夫、きっといつか辿り着く。ここなんだ、と思える“私の家”に──。
家族なのに、家族だから、わかり合えない。けれど、同じ家に暮らした記憶と共有する秘密がある。

恋人と別れ、突然実家に帰ってきた娘、梓。歳下のシングルマザーに親身になる母、祥子。三人の“崇拝者”に生活を乱される大叔母、道世。我が家と瓜二つの空き家に足繁く通う父、滋彦。何年も音信不通の伯父、博和……。そんな一族が集った祖母の法要の日。赤の他人のようにすれ違いながらも、同じ家に暮らした記憶と小さな秘密に結び合わされて──。三代にわたって紡がれる「家と私」の物語。

集英社/青山七恵「私の家」


家族ひとりひとりの視点で、家族について、自分にとっての「家」について語られる。

同じ出来事に対して、こんなにもズレてるのか、と笑っちゃうくらい、感じ方、認識が違っているところが、めちゃくちゃリアル。
親が覚えている印象的な出来事も、子は全然覚えていなかったり、その逆も然り。
まぁそれが普通だよね。家族といっても別の人間なんだから、同じように感じるとは限らない、そんな当たり前の事実を突きつけられる。

母の祥子に、一番共感した。こういうパワフルなおかん、いるよね
(映像化するなら渡辺えりさんがいいように思う)

祥子は梓と灯里の母でもあり、同時に照の娘でもある。

幼い頃に、母、照が体調を崩したために、祥子は長年祖父母の家に預けられて育つ。
祥子は、自身が母親になってからもずっと、それを気にしている。もっと言うと根に持っている。
照が死ぬまで、とうとう謝罪の言葉はなかった。

愛されてなかったことはないと思う。
でも、こういう、幼少期に満たされなかった気持ちは引きずるよな。
母の気持ちを理解しようと、祥子なりに幾度となく想像してきた。
家族に対するわだかまりについて考え続けるのは、とても疲れるのに。
そうしたところで、「本当の母」にたどり着くことはないのに。
「私の家」はどこなんだろうと、祥子は考え続ける。

唯一、赤い着物が愛情の形として残っていて、回り回って祥子の手元に戻ってきたのが救い。


ラスト、法事で疲れた祥子は、食べて風呂に入ってばたんと寝て、つまりいつも通りの生活をして「よくわかんないなら、自分で作ればいいな!ここが私の家!」という結論に至り、彼女なりに腹落ちできてよかったと思う。
なんだか壮快な気持ちになった。

「生きるっていうのは、埃をためることだよ!」
これはマジ名言。言い得て妙。
祥子はこれからもそうつぶやきながら毎日掃除するのだろう。

親がいなくなり、この家がなくなるということが、まだ梓にはうまく想像できない。
でも少なくとも、それは一つの合鍵、思い出の予備の鍵を永遠に失うことなのだろうとうっすら覚悟はしている。つまり親がいなければ、そしてこの家にいなければ思い出せないことを、その後はすべて自分一人の記憶のうちに見出さねばならなくなるということだ。

九章/ここにいる


家族、家に対する、この表現が秀逸すぎて唸った。
母を亡くした私は、予備の鍵を失くした。もう答え合わせはできない。
父がまだいるにはいるけど、私は母と答え合わせがしたかった。
記憶は取り返しのつかないはやさで霞んでいく。


自分自身が子を産んで親になり、また母と祖父母を亡くしたことで
「世代」についてぼんやり考えることがある。
娘として、母として、妻として、どう生きていこうか。

お母さんもお父さんもおばあちゃんおじいちゃんももひいおばあちゃんひいおじいちゃんも、その先の家系図のずーっと上の人たちもみんな、おなじようなことを感じてきたんだろうか。

家族それぞれが喜びや苛立ち、不満、秘密などを抱えて、埃を溜めながら生活を繰り返す。
どこまでも淡々と続いていく。

同じ家なんてどこにもない。
生々しくて、とても尊い気持ちになった。


たい焼き

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