感動はフタをした本心を知るきっかけ

とても当たり前のことであり、同時にその当たり前のことを忘れてしまうこともある、そういった内容です。


気付かないうちに本心に沿った行動から外れていても、無意識にはその乖離に気付いていて、そこから生まれる不安やモヤモヤを感じることがあると思います。

もし、自分が本心で感じている事や、直感的に感じたことと、言葉での理解や、意識している納得が一致している場合は、行動も気持ちも一致するため、その食い違いによる問題は起こりません。

しかし、日々を過ごす中では、「これは気持ちとしては納得できない」と言うことがあっても、そこを理屈で抑え込んで我慢してやり遂げる必要がある場合もあります。


例えば、本当は「この道は自分が進みたい方向ではない」と分かっていても、「みんな同じようにしているから」、「これまでもずっとこの方法だったから」、「違うやり方で問題が起こったら責任が取れないから」などの言葉で自身を説得したとします。

しかし、その説得は本心からの説得ではないので、意識上で理屈を作って本心の違和感にフタをするような行為となります

すると、そのモヤモヤを抱えたまま行動することになるため、どこかでその食い違いによるしんどさが生まれてくるでしょう。


こうしたしんどさに対して「本心に沿っていた行動こそ、あるべき道なんだ」と信じられるには、一度でも、そうした心底本心に沿った行動を経験したことがあるかどうかが大きいと感じます。

例えば、そのひとつは、何かから受けた感動でしょう。

誰にも伝わらなかった自分の本心を見抜かれて救われたような感動。
言葉には一度も出来なかった想いを形になっている理想を見たかのような感動


そうした感動を一度でも経験すれば、そこで実感した「本心に対して偽りの無い感覚」と比較することで、今どのような状態なのか、これからどうしたいのか、を考えるきっかけが生まれます

感動をきっかけに、騙せない自分の本心を知ることが、言葉による理屈ではない「これでいいんだ」と感じられる実感に繋がり、自然な在り方に繋がるならば、それはひとつの具体的な幸せの形なのだと考えます。

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