ただしエスナはLv.2

小4の夏はことさら特別なものだった。
私が生まれて初めてRPGに出会い、そして、呪いを受けた夏だったから。

私にはひとつ年下の従兄弟がいて、東北の真ん中くらいに住む彼に、お盆と正月にだけ会うことができた。その夏、従兄弟は持っていたファミコンで、どこまでも美麗なグラフィックが広がる、世界地図のようなゲームをプレイしていた。
「それはなに?」
「エフエフだよ。」
と答えた気がする。記憶がおぼろげだけれどおそらく2だった。
「どうやって遊ぶの」
「敵と戦ったりするんだよ。見てて」
従兄弟はそう言ってコントローラを握って、フリオニールを操作した。もう飛行艇を手に入れていたから、ゲームの後半だったと思う。
しばらく側でその様子を見ていた。前後の話もわからないのに、戦い、倒れ、仲間と助け合い、ドラマが生まれていくそのゲームに、私は釘付けになった。
翌日から、従兄弟にせがんでずっとFF2を見せて貰った気がする。
マリオやツインビーしか遊んでいなかった私にとって、RPGは驚異的なゲームだった。天野さんの美麗なキャラクターと、植松さんのドラマチックな音楽は、一瞬で私を見知らぬ美しい世界へ連れて行ってくれた。

そしてその日。昼食の後、私たちがフィン王国を旅している途中、叔母が私たちを呼んだ。
「出かけるよー」
「はあい!」
休みの間、午後になると頃合いを見て叔母が私たちを近所のプールや湖やお祭りに連れてってくれる。思い出すだけで夢みたいな日々だ。
しかし車に乗り込むと、いつもは叔母と子供だけの車内に、なぜか神妙な顔をした私の母もいた。
「今日はどこに行くの」
「ちょっと」
運転席に座った叔母はどうにも歯切れが悪い。どうやら楽しい場所ではなさそうだった。
「どこ」
従兄弟が不満げに食い下がる。
「神社」
「神社? なんで?」
「まあ、いろいろ」
市街地を抜けて、山道に入り、見たこともない場所を走って、何時間も車に揺られた。私は車に弱いので酔ってしまって途中、休憩で寄った店のトイレで吐いた。
「ここから先は車で行けないから、歩いて」
山の中で私たちは車を降ろされて、女郎蜘蛛が巣を張り、蛇がうろうろする獣道を、ひいひい言いながら30分ほど登ったように思う。
いい加減登山に疲れ果てたころ、山頂付近で、小さな鳥居と、古い木造の小屋が見えてきた。鳥居は木が腐って黒ずんで、小屋はしめ縄が飾ってあるものの、傾いて崩れかかっていた。
「これだわ」
叔母が小屋の中を覗き込む。どうやら、ここが我々が目指していた神社らしい。こんな? 崩れかかった廃墟みたいなところが?
「ああ、あった、刀だ」
叔母が声をあげて、私たちも端から覗きこんだ。
すると、そこには古びたボロボロの短刀が一振り、場違いな感じで飾ってあった。
よくテレビや博物館なんかでみる立派なものではない、刀身は短く刃こぼれして、柄はぼろぼろになっていた。
まったく由緒あるようなものではない。村の誰かが手慰みに持っていたようなものだろう。
「ああ、書いてある」
叔母がため息のようにいった。
「なに」
「あの、刀にね、墨で字が書いてあるでしょう」

家……ロ……兄……

よく見ると、刀身の部分に黒くのたくったようなものが這っていた。
「なにあれ」
「呪い、なんだって」
「はあ?」
のろい。
ホラー映画や漫画以外で、そんな言葉は聞いたことがない。日常生活の中で聞くその響きはなんだか滑稽なものだった。
「なんて書いてあるの」
すると、叔母はまるで天気でも告げるように言った。
「××家、末代まで呪われし、って書いてある」
××家、とはまさに、私の家の苗字だ。
小4なので自分の苗字の漢字くらいはわかる。果たして言われてみればそう書いてあるようにも見える。でも、なんで?
「なんで???」
叔母も母も答えない。
それから、奥から中年の男性が出てきた。どうもどうも、と叔母となにか少し喋っていた気がする。今思えば、その神社の宮司か何かだったのだろう。専業ではなく、普段は会社員か何かをしているような男性だった。
しばらく叔母は男性と話し込んで、戻ってくると、刀に向かって手を合わせた。一緒にやりなさい、と言うので仕方なく形だけ従った。

そうして、やっと神社を後にすることになったが、その頃には、すっかり日が暮れていた。
薄ぼんやりした山の宵闇は、薄暗く蝉の声だけが響いている。
いざ下山する、という段になって、叔母が真面目な顔で言った。
「山を下りる間、絶対に振り返っては行けないよ」
「どうして?」
「どうしても。喋っても行けない。黙って、前を向いて、決して振り返らないで、山を降りるまで。あの人がそう言ってたから」
なんだか釈然としないまま、私たちは粛々と、山を降りていった。
びゅう、と風が吹いて、背中から追い立てられるようだった。
正直、とても怖かった。
山はすっかり暗くなって、足元も見えない。
あかりのない山道を降りたことがあるだろうか。本当に、なにも見えない。世界が真っ暗なのだ。
見渡す限り闇しかない、不確かな闇の中に踏み出した足を沈めなくてはならない。
「喋っても、振り返ってもいけない」
その言葉通り、母も叔母も従兄弟もまっすぐ前を見て、ずっと無言だった。
私も黙って叔母の背中を追いかけていたが、段々むしょうに腹が立ってきた。
なんでこんな場所に来なくては行けなかったのか、従兄弟とFF2をしていたはずなのに。
呪いだかなんだか知らないが、そんなものに振り回されるのは、なんかすごく馬鹿馬鹿しいという気分だった。
なので私は挑むような気持ちで、山を降りきる、もう少しというところで、
こっそりと、少しだけ、山頂を振り返った。

山が、大きくそびえていた。
ごおおう、という大きな音がして、まるで何かが纏わり付いてくるような、暑くてぬるい、イヤな風が吹いてきた。それが私の身体を強く押し出した。

そして、見た。山の頂に。
黒くまるっこい、影か、獣のようなものが。
確かに、微かに動いた。
その隙に、刀のしまってあった小屋の戸が。
ばたん、と大きな音を立てて開いた。
ひっ、と声が出かかって、私はすぐに前に向き直り、精いっぱい麓を目指して走った。心の中で、やっぱ今のナシ、ナシ! うそうそ! と叫びながら。

鼓動がおさまりきらない帰りの車内で、叔母から呪いの中身を聞いた。
私たちの曾祖父あたりが、人間関係であれこれと恨みを買ったそうで、とある女性が神社に刀を奉納し、あのクソ男の家を末代まで呪ってやると言って、そのあと心を病んですっかり頭がおかしくなって憤死したらしい。
神社の方も、勝手に処分するわけにもいかずに預かっているのだという。
なぜそんな経緯が明らかになったのかは分からないが、叔母がどこからか聞き及んできたのだそうだ。彼女は少し、そういうオカルト的なものにかぶれていた。

それが30年ほど前だ。さて。それから長い月日が経ったけれど、果たして呪いはどうなったのか?
これが、残念なことに、ばっちりと効いている。

その後、叔母の兄弟姉妹たちは、ひとりはアルコール依存症になり、優しかった叔母は精神を病み統合失調症になり、もう1人いた叔母も心を病み、私の両親を含め親戚一同はまるで滅茶苦茶になり、裁判沙汰にまでなって崩壊し尽くした。
まるでオチも何もなくて申し訳なくなるくらい、すっかり一家は駄目になった。愛読書が京極夏彦である私をして「スゲえな、呪いまじ効くんだな!」って言わせるくらいに。
あの日の帰り、私が振り返って、あの妙なものを見てしまったせいだろうか、と少し考える。考えても、解らないことだけれど。

ともあれ、あの日も山から帰って、従兄弟とFF2の続きをしたように思う。
「呪いかあ嫌だなあ」
と呟く私に、従兄弟は言った。
「平気だよエスナを覚えればいい。Lv2になれば呪いをとけるよ」
なんと。そんな画期的な呪文があるなんて。私の陰鬱な心に光明が差す思いだった。
「まじで? 頑張ってエスナを使えるようになろう」
「使えるようになろう」
「なろう」

崩壊した一族は互いにもう会うこともないのだが、従兄弟には数年前、誰かの葬式で一度だけ顔を合わせた。私は大人になっていて、東京のゲーム会社で働いていた。
「今はゲームを作っているんだよ」
と言ったら、一緒に色々やったねえ、と懐かしそうに少しだけ話しをしてくれた。
従兄弟はあの日横でコントローラーを握っていた時みたいに笑った。まるで呪いも、一族の面倒なことも、何もなかったみたいに。あのとき、私はほんの一瞬だけエスナを使えたような気がする。一瞬だけ。

でも、それでも私のエスナはまだLv.2だ。パーティの全員に、戦闘中にエスナをかけるにはLv.4くらいまであげなくてはいけない(確かそうだよね?)死ぬまでに習得できて、一族にかかった、ややこしい呪いを解けたらいいのにと思う。
従兄弟とまた、笑ってゲームの話をしたい。あなたのおかげでRPGの楽しさを、誰かとゲームを遊ぶことの楽しさを知ったと。叔母に、とても楽しい夏休みだったと感謝を伝えたい。
でもそれまでは、過去のモニュメントのように。
ばつぐんに楽しく幸せで美しかったあの夏のことを思い出すことにする。
こんなに美しいものを持っているのだから、呪いなんかなかったのかもしれない、とも思う。
どんな呪いも誰も、それを私から奪うことはできないのだから。


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