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文学フリマ東京36

 過去最多となった来場者数1万人の記録を知らせるアナウンスが聞こえないフリをして拍手しなかった人たちが確実にいたと思うんですが、そのうち一人が僕です。

 麻雀には「場荒らし」という言葉があり、何を以て「荒らし」と捉えるかは人それぞれだと思うけど、もう勝ち目がないのにカス役で早々とあがるとか、ドラを切って鳴かれまくるとか、立て続けにチョンボするとか、まぁその辺りなんだろう。僕は点数計算すらできないから、怖くて雀荘に行けない。雀魂はランクを全く上げることができず、低迷している。高い放銃率。冗談のような配牌にキレてスマホをぶん投げるスタイル。けど実際に卓を囲む場では、常に圧勝していきたいし、荒らしている人を糾弾する側でありたい。

 2023年5月21日の文学フリマ東京に出展者として参加し、序盤、場を荒らしてしまった。決められた入場時刻より5分余遅れたが、融通が効くだろと思い、ただでさえ忙しそうなスタッフの方に入れてもらえるよう頼み込み、嗜められた。何でそんなことをしてしまったかというと、文フリって相当緩いイメージがあったからだ。

 初参加したのは2014年5月。大学の文芸サークルが出るということで、当時は新入生だったから、右も左も分からないまま、ブースの席に座らされていた。売れたのは5冊くらいで、僕は他大学のミステリー研究会が出している会誌を1冊購入した。雨だったためか、人はまばらで相当ちんやりとした雰囲気だったと記憶している。僕は、場が熱狂していなければ、人は人に優しくなれると勘違いしがちだ。

 スタッフに一般入場者として並ぶよう促され、渋々向かった先は既に長蛇の列。その日は熱狂していたから、人は人に優しくなれない。そもそもこの状況でミスなく人を捌くのは大変なことだろうと思い、我儘を言ったことを深く反省した。14年と今回のカタログを見返すと、645だった出展数が1460超に増えている。午後4時頃、入場者数が1万人を越して過去最多となったことを告げるアナウンスも流れ、会場が拍手の嵐に包まれる時間もあった。カタログによると次回の11月は2000ブースの出展を想定しているらしい。

 閉塞感ある現実への批判、あるいは逃避からくる虚構や批評への期待、コロナ禍でも続いた創作活動の発露などなど、文学系のイベントが最近になって盛り上がっている理由についていくつか想像はつくが、文学フリマへの出展経験もある共同通信社の記者が文フリ事務局に行った取材によると、

"もともと仲間内で同人誌を作る文化があった短歌などの愛好者も参入。近年は、交流サイト(SNS)での情報拡散を出店者に呼びかけ、その効果も出ている"

https://nordot.app/1006112048127213568?c=39546741839462401


とのことなので、そういうことなんでしょう。

 
 文フリは、一般書店などの出版市場に決して出回ってはならないような怪文書の類に「文学」の名の下に値を付けることができた作者に対してお金を払い、それを買い取ることで、許し、受け容れることを繰り返していく、優しい営みだと、僕は思い込んでいる。そして採算度外視で不当に安い値段の冊子ほど、作品に込めた思念を社会に感染させてやろうという意志が強いと思う。この日は、生成AIに対する反論集(出典や参考文献なし)、その作者の自伝、老年女性によるエジプトに伝わる教訓の翻訳本、ほんのりエッチな恋愛小説、遠野地方に伝わるおまつりの塗り絵、未記入のため作者不明でタイトルと本文しか分からない小説(A4のペラ紙数枚など)を購入。基底現実の引用度が高く、文体も平易だが、こだわりが強く、どちらかというと理解し難く、専門家や有名な作家、著述家の権威性から外れているような作品と巡り合いたい。表紙イラストが無く、ホッチキス留めだと、なお嬉しい。求めているものを一言でいうと、魂とか、無骨ということなんだろうか。

 誰でも書ける恒例のホワイトボードの横を通ると、「マンスーンさんに会えてうれしかった」と書かれていた。オモコロってどこでも人気なんですね。「あそこに東浩紀がいるんですよぅ〜」。どこからか、若い人がはしゃぐ黄色い声が聞こえた。

 このnoteの草稿は、第2展示場の出入り口付近で書き始めた。後からだと面倒になる気がしたし忘れてしまうから、記憶があるうちに書き留めておかないといけないと思って、急いでメモ帳を起動した。1万人の中に、マンスーンさんが出店していて、さらに彼と文フリで出会えて嬉しかったことを公言する人がいたことを、後世に語り継いでやりたかった。マンスーンさんが喜ばれる世界って、ホッチキス留めの脈絡のない怪文書が「場荒らし」になってしまうと思う。だから少しでも抵抗してやりたかったのかもしれない。

 そんな僕の横で、小さな折りたたみ式の椅子を持ち込んで数プレをやってる白髪混じりで肥満体のおっさんがいた。戦利品が詰まってるのか、リュックサックはパンパン。字も汚い。正直、近寄り難いと思った。しかし「彼こそが、文フリの主なのだ」と、絶対にそうじゃないのに、そうであってほしいと願いながら、僕は売れ残った大量の冊子を片付けて撤退するべくブースに戻った。彼はきっと、マンスーンさんに会ってもうれしく思わないだろうし、文フリに来た東浩紀を見てもいちいち騒がない。その無骨さに、どこか安心したのだ。
 
 友人が出してくれた帰りの車で、盛り上がっていない文フリの方が煮詰まっていて極まっている作品がたくさんあるだろうから良いと思う旨を伝えたら、仲間から「文フリ老害」と言われた。悔しかったし、絶対に老害ではないのだが、文フリ古参の人たちって僕と同じような考えになっていませんか。市ヶ谷に差し掛かったところで、大きな胸を揺らしながら駅から走ってくるスーツ姿の女が車窓から見えたので「えっろ!」と、僕は心の中で呟いた。

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