いちのせ桃子

2003年早生まれ 都内の学生です くだらないこと、見にいくこと、年末が好きです

いちのせ桃子

2003年早生まれ 都内の学生です くだらないこと、見にいくこと、年末が好きです

マガジン

  • SOIL(2022)

    土壌を固めた年だったように思う 好きなバンドのアルバム名から拝借

  • 言葉はそばで見つめる

    平凡な生活の中の考えや気持ち

  • 記憶が薄れる前に

    良かったもののこと。忘れる前に。

  • 流れる日々を流さぬように2021

    2021年のこと、ぼんやりと思い出しながら

最近の記事

待ち望まなくても

「〇〇さんの一番気持ちが落ちる時はどんな時ですか。」 ある会社の面接で聞かれた。今までも書いてきていると思うが、私は人生トントン説的な 良いことがあれば悪いこともあるし、逆もそうであると思いながら生活を送っている。 その考えに則って言えば、一番気持ちの落ちる時は良いことがあった日の帰り道やその次の日である。 常に手放しで喜びを享受できない捻くれた性格は厄介なものであるが、ずっとそうしてきたのでもはや違和感などはない。 ただ、最近は素直に幸せだと思うことが増えた。 大

    • 選んだわけじゃないけど、その時は来るみたいだ…

      さて、2024年も4分の1が終了いたしました。 最近のことといえば、パソコンを水没させました。 手を滑らせて持っていたお湯を全こぼし。 まあなんとなく大丈夫だろうという気持ちでいましたが普通に全然ダメでした。なんとかならないこともあるのだと教えられました。中古でとりあえず買い直した、辛すぎる出費に大泣き。早く忘れるためにもまたパソコンに貼りたいステッカーなどを手に取り始めないと…。 先達が書いた記事を読み漁るところによると、データを復活させるためにかかるお金も相当なも

      • 選んでゆく

        さて、大学3年次の授業が終了しました。 年次を重ねるごとにサボり方を覚えてゆき、来たる成績表に初めてどきどきしています。 3年次が終わるということは、同時に卒業後の進路についても考え始める必要が出てくるわけでして。 高校卒業が見えてきて受験勉強をはじめる頃とは大違いな視野の広さに呆然としてしまいます。決まったことなんて何ひとつないし、「みんな」とか「普通」などの言葉の惑わせパワーも格段に下がっていますので、指標はこの身だけな感じがしています。 何がしたいのか、何はやり

        • 星野源が「なぜ」と歌うから-「光の跡」を聴いて

          自分が悩んだとき、誰かに相談されたとき、人とぶつかったとき、私はどうしても理由や起因を考えて言葉にしたくなります。自分の中で時間をかけて言語化し、そして納得します。それでひとつ終わりになったような気持ちになるまでが、自分の中のモヤを晴らす一連の流れになっています。 多分、白黒はっきりつけたい性格なんだろうな。日々の悩みの種になるような関係は切ってしまった方が楽だし、ちょっとでも行きたくない飲み会にはいかないし、自分の中で揺れる部分を少しでも減らして生きていたいのだと思います

        待ち望まなくても

        マガジン

        • SOIL(2022)
          11本
        • 言葉はそばで見つめる
          24本
        • 記憶が薄れる前に
          2本
        • 流れる日々を流さぬように2021
          12本

        記事

          テレビをつければ

          最近は、幸か不幸かあまり書きたいことがなくて、書きかけのメモも増えないままだった。 思えば、大抵何か書こうと思った時はすこし良くないことが起こった時か、暗い考えが頭に過った時だと思う。ちゃんと振り返って読むと、そんなことはないのかもしれないけど。 こないだ見たネクライトーキーのライブが良過ぎたので、ゆっくり思い出しながら感想や思いを書きたいと思っていた矢先、朝日さんとアユニの対談記事を読んだらファンの感想とか見るの好きとおっっしゃっていて勝手にドキドキして筆が止まった。最

          テレビをつければ

          師走は忙しい、街は慌ただしい (12月)

          題は連続テレビドラマ小説「あまちゃん」の中に登場する「GMT47」が歌う「暦の上ではディセンバー」内のフレーズである。 あまちゃんはリアルタイムで視聴していたため、はじめてこのフレーズを耳にしたのは2013年、つまり私が11歳のときだと思う。 12月がディセンバーであり師走であり、そして忙しい時期なのだと知ったのもこの曲があったからだ。 なにかしらの予定が詰まる12月…!と思っていたけれど、案外他の月と変わらないような気もしている。 忘年会シーズン!と思っても、普段か

          師走は忙しい、街は慌ただしい (12月)

          分かった気になって-ほぼ音楽の話

          もう話すこともなさそうな相手とだって、SNSだけは繋がっている。 SNSをはじめたばかりの頃おすすめに出てきたからと校内で一度見かけたことがあるくらいの先輩なんかをフォローしていたりして、未だにその先輩の今が流れてくる。私は先輩の声もよく知らないのに。 でも実際はそんな軽薄すぎる糸で繋がった人の今より、すこしだけ関わったことのある、何なら流れにのってみんなで一度ファミリーレストランなんかに行ったことのある人の今の方がなんだか気まずい。気まずいというか、変な気持ちになる。

          分かった気になって-ほぼ音楽の話

          ブランド知らなすぎる

          霜降りチューブのこの動画を見た。 2人ともブランドに疎いという前提で進んでいくこの物知らずダウトだが、そこで確信した。 私もブランドに明るくなさすぎる! 本当に知らん。 そもそも、みんな人生のどのタイミングでブランドのことを知っていくんですかね。特にハイブランド。正直何がハイで何がハイじゃないのかも分からないし、どこからがブランドと呼べるのかもよく分かってない。名前がついてたら全部ブランドですか? シャネルとかコーチとかはかろうじて分かる、Diorとかティファニーと

          ブランド知らなすぎる

          期待をしない ではなくて

          1.矢印の先 対人関係において、「人に対して期待をしないようにする」という自衛の仕方がある。 正しいと思う。 ただ、人と付き合っていく上で完全に期待をしないことは信頼しないことと等しいのではないか。 誰かに無意識に向けてしまった期待に応えてもらえなかったとき、今後は期待しないようにしようと思う。最初はプレゼントの1つや2つだったかもしれない。相手がノリで言ったことを実行してもらえなかったことへの不満からだったかもしれない。 「期待しないようにしてるんだよね〜」と言

          期待をしない ではなくて

          自分を馬鹿にすれば (11月)

          2022年 11月 の1ヶ月前くらいから はじめて学祭で自分の企画を持って、知らない人とやり取りをする機会が増えた。自分が怠惰になることは誰かに迷惑をかけるということに繋がるとはっきり分かった。今まで主体性を持って何かをやり遂げたことが無かったのだと気付いた日々だった。 世間の労働からしたらきっと大したことはない。ただ慣れないことは疲れるという話にすぎないのだと思う。これくらいで根をあげるなんて…所詮大学の学祭…となよなよ言いながらやっていた。 という感じで、無事学祭

          自分を馬鹿にすれば (11月)

          最年少・掛け持ちアルバイター(10月)

          新しいアルバイトをはじめた。 バイトの人に対しても福利厚生が充実した会社で、会社のお金で買ったお弁当を食べながら顔合わせをするという会があった。 もちろん初対面の人が集まればすることはひとつ、自己紹介だ。 最近流行りのMBTI診断の最初の方の質問で「他人に自己紹介するのは苦手ではない」みたいな質問項目があった気がする、そしてわたしはたしかYESに寄った方の丸に色をつけた覚えがある。 名前と年齢、大学で学んでいること、休日にやるような趣味、好きな音楽…昔からプロフィール長を

          最年少・掛け持ちアルバイター(10月)

          8/10 ロングコートダディ 単独 8/11 ルサンチマン時速36km 2マン 8/12-13 ロッキンでおバイト 良き夏を過ごしています 現場が好きだな

          8/10 ロングコートダディ 単独 8/11 ルサンチマン時速36km 2マン 8/12-13 ロッキンでおバイト 良き夏を過ごしています 現場が好きだな

          見返さない写真(9月)

          西武園ゆうえんちの花火を観に行こうとしたら、電車の遅延でスムーズに乗り換えができず花火に間に合わなかった。あの辺りの交通機関、遊園地があるとは思えないくらい貧しいな、と思うけど遊園地がある駅って大抵一本しか通っていないような気もしてくる。 行き場所を失った自分と友人が適当に西武ドームの周りを徘徊していると、耳馴染みのない音楽が響いていて、誰のライブなのか調べるとレディー・ガガだった。 花火を見に行けなくなった自分たちは、8年ぶりに来日パフォーマンスを行うレディー・ガガのラ

          見返さない写真(9月)

          コーヒー豆と餌、あとお尻の穴

          何かを思い出すきっかけは、日常の至る所に散らばっている。匂い、モノ、場所、音楽、日にち、味‥‥。「ふと」思い出してしまうことの大抵はもう二度と訪れない瞬間が多く、切ないという表現では物足りない感情になる。そら失恋ソングも多くなりますわな。好きだった人の匂いや汚い地下の部室なんてものは脳内思い出再生ボタンと名付けられてもいいほどの代物だ。 尊敬するコピーライターが「思い出すから思い出になる」というタイトルで本を書いていて、思い出さない(思い出せない)記憶は思い出とはいえないの

          コーヒー豆と餌、あとお尻の穴

          きゅうりを抜いたかっぱ巻きに、まぐろは入らない

          なにか喪失感を抱くような出来事があったあと、人は「心にぽっかりと穴が空いたようだ」と表現する。 最近はその表現に唸ることが多く、心の穴についてよく考えた。 悲しいことがある人の話を聞く。 相手はただ話を聞いて欲しいだけで、こちらにはそれ以上もそれ以下も求めていないのだと思う。 しかし、自分の口から出る言葉の隅には「助けてあげたい」みたいな余計な要素が含まれていることに気付く。 友達がわたしの知らない誰かに、理不尽に、傷つけられているとする。 わたしの知らない誰かは、わた

          きゅうりを抜いたかっぱ巻きに、まぐろは入らない

          ハンドルを握れば (8月)

          教習所までの道のりは、無料送迎バスで片道30分くらいだった。 移動の30分というのは短いようであり長く、過ごし方ひとつで熱中することも退屈することもできる。 ただ、バスの場合はまた少し異なる。 なにか映画を見ようとしても、文章を書こうと思っても、迫ってくる身体の気持ち悪さにより思ったように事が進まず… 結局、できることといえば生活圏内から少しだけはみ出した地域の生活を眺めながらひたすら音楽かラジオを聞くだけだった。 しかし、 教習所に向かうまでと、教習所から帰るま

          ハンドルを握れば (8月)