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昏睡を経て、走り出すな。

何をどう書いていこうか、未だ決まっていないわたしのnoteであるけれど今夜も少しだけ書き残しておこう。

私は最近、というのも3ヶ月ほど前から
徐々にではあるが本を楽しく読む感覚を取り戻してきた。これは非常に喜ばしい。中学生時代に好き好んでいた奇怪・幻想文学に触れ、あぁそうだ、私はこういう文章が好きなんだったんだ、と当時の感覚を思い出し、心地が良くなった。
ただ、あまりものブランクがあるせいで少し不安を感じている。今の私はとびきり詳しいことがないせいで人と話すことを恐れ苦を感じている。大学時代、私は図書館で本を借りるも日頃のストレスからか文字を無関心に目で追うことしかできず返却期限を迎えた。そのため、私の本好きはおそらく中学生あたりで止まっている。加えて、中学時代においても、長編で何でもない単行本ですら一ヶ月以上かけて読み終えるほど、極めて非常に大層本を読む速度が遅いため、好きなジャンルや小説家の作品を網羅するなんて程遠すぎる状態であった。わたしの読む速度というのは、いまも変わらずである。いや、もっと落ちている。それは、日常の不安が頭のあちらこちらに顔を出すせいで、集中できないからである。社会人になるまでの、残り2ヶ月間私が必死に読書したところで、いくつもある有名な推理小説、有名な小説家の作品、名作はおさえることはできないだろう。
私は生き急いでいるのか、なんなのか。どうしてこんなにも誰かに急かされているかのような考えを巡らせてしまっているのだろう、とわたしは薄々勘付いていたことを自分に問いかけた。

そうだった。好きだと人に堂々と言えるものが欲しい私は、人に読書家として認められたいがゆえに本を読もうとしているのだ。

好きだと人に堂々と言えるものが欲しい。

この感情の理由は、この2年間好きだったこと。辞め、些細な趣味のようなものが全く楽しめず廃人となった自分からいち早く脱し、人々に何か私自身の情報を尋ねられた際に、嘘偽りなく自分らしい回答をしたいと思う気持ちからだ。

今わたしは、遥か昔の読書が好きで勉強が好きで、何事にもやる気120%な自分に憧れ、また取り戻そうと必死なのであるのである。

ほんの少しでも功績を残さなくては、
大学生活がまるでなかったことと同じになってしまうのではないか。そう真剣に悩み、眠れない夜を過ごしているのだから、わたしは必死なのだ。

けれども、簡単なことではないと気づいた。
正確には、今日気づくことになった。

今日わたしは、睡眠導入剤によって早寝し、早起きできたからと、英語学習や大学の講義で使用した参考書を学び直すこと、読書などの予定を詰め込んだ。英語学習が少し捗ったときに私は感じた。今日はここで終わってもいいのではないか。無理をして全部全部やってやろうと、いまの自分に完璧をもとめるなんて馬鹿だ。早起きによってほんの少し自分を取り戻したと良い気になって一度に全てを取り戻し、得られるとは思わなくて良いのだろう。たぶん、ゆっくりで良いのだ。今こそ、焦りは禁物。2年間、近く昏睡状態だった人間が、起きてすぐなんて歩くことすらできまい。私は、自分との戦いや周囲の人々の支えがあって、ようやく長い昏睡から目を覚ました。ふつうの生活以前に、自分で歩くことすらままならないのは当然のことだ。まずはゆっくりベッドから起き上がり、歩く練習をしよう。当たり前だったような小さなことから、少しずつ。また無理をして昏睡状態に逆もどりするなんてことは怖いんだから、本当に少しずつ。自分に優しく。
それでも、焦ってしまうようなわたしだともう十分に分かっているから、毎日毎日言い聞かせる。

時の流れの速さや周囲の環境に圧倒されて、きっと永久に消えない焦燥。けれども、私が生きる私の中の時の流れは誰にも左右されない。私の中の限りある私の人生をどう生きていくかを考えたい。常に、私は私と向き合い続けたらいい。

焦ることなんてない、
私は私を生きていくだけなのだから。
これに尽きる。

なのにまた、この重要性をすっかり忘れて、もがき苦しむ自分の姿が想像するまでもないのは私が憂鬱な人間そのものだからなのか。

私の中の憂鬱は消えるのか、憂鬱の重さは変わらず共存していくのか、憂鬱を軽く、もしくは軽く感じれるように自身が変化し共存していくのか、 

そういった私の中の憂鬱を、
今後ここに記録していこうと思う。

そして、いつかそれが
私のような人にとって、何かしら救いになるといいなと思う。


3時03分

早速、早起きが心配になってきた。
深夜にnoteを書くのは今日で最後にしよう。
太陽の光が降り注いでいるうちに、起床できますように。

これを読んだ方、どうか素敵な夜を。

おやすみなさい。

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