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おばあちゃんだいすき

先日、祖母が亡くなりました。
100歳でした。

祖母は、誰も真似出来ないくらい、凄い人でした。

戦前に生まれ、戦中、戦後という、激動の時代を生きた人でした。
小学校の先生をしながら、二人の子供(あたしの母と叔父)を育てました。

自分の事より人の事。
自分のためより人のため。
誰かのために身を粉にして動く、そんな人でした。

あたしは、祖母に怒られた記憶がありません。
子供が物を壊すのは当然の事、謝る心があればそれでいい。
子供が服を汚すのは当然の事、元気な証拠。
子供だったあたしのする事を全肯定してくれる、そして温かく見守ってくれる。
優しい祖母でした。

祖母は「疲れた」と言わない人だったと、母から聞きました。
確かにあたしも聞いた事ないな、と。
どこかでは、弱音も吐いていたのでしょう。
ですが、自分の子供や孫の前では決して弱い所を見せない。
それもまた、祖母の優しさでした。

あたしが高校生の頃、進路を考えていた時期。
あたしは当初、心理学系の職に就きたいと考えていました。
ですが祖母は「えまちゃんは人一倍優しいから、カウンセラーになったら寄り添い過ぎて、えまちゃんが心を傷つけてしまう」と言っていたそうです(後に母から聞きました)。
結局、あたしは心理学系の道には進みませんでしたが。
別の事由で心が傷つき、精神科系の病気になりました。
ああ、祖母はそんな所まであたしの事を見ていてくれたんだな。
本当に、祖母の偉大さを感ずるばかりです。

優しくて、たくましくて、いつもニコニコ笑っていた祖母。
もう会えない祖母。

かなしいよ、おばあちゃん

祖母の生き方は、新しい女性の生き方そのものでした。
高校を卒業し、女性が大学に通うのは珍しい時代に大学へ入学。
小学校の先生として教壇に立って数年後、「もっと勉強がしたい!」と言い、大学院へ進学。
そして再び教壇へ。
今の時代だったら特に珍しい生き方ではないけれども。
祖母が生きた時代を考えるととても珍しい生き方で。
その生き様は、あたしの憧れです。

あたしは祖母にはなれない。
祖母のようにはなれない。
でも、憧れるくらいいいでしょ?おばあちゃん。
大好きだよ、おばあちゃん。
ずっと、ずっと、憧れさせてね。

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