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「イエス」って言えるから

『普通』って、なんだろう。
そんなことを思った。

インスタでニューヨークコレクションの動画や写真を見るのに、最近は忙しい。
最近というかここ数日。
色々なブランドのショーの動画が投稿されていたり、モデルさんたちのオフショットが掲載されていたり。

近年の傾向として、コレクションモデル=スキニー体型、という図式が薄れつつあるな、と感じる。
実際、誰かの目には『太っている』と映るモデルさんが、ランウェイを歩いている、堂々と。

そこで考える。
『普通』って、なんだろう?
或いは、『標準』。

『普通』ってゆうのはたぶん、大多数の人が該当する、という基準でしかなくて、『標準』ってゆうのは、その大多数の人の統計的平均値でしかないんだと、あたしは思う。

そこで思い出すのは『標準体型』という言葉、そして概念。
もちろん、遥かに標準を超えていて、所謂『肥満』の状態は、良くないことは分かる、病気とか様々な面で。
でも、『標準体型』という言葉で表現される『標準』って、なに?

殊、日本という国では、スキニー体型=可愛い又はかっこいい、とされている。
けれどもそれは何百年も前からそうな訳じゃなくて、歴史的に見れば本当に、ごく最近の話。
でもまあ事実は事実だ。
受け入れよう。
あたし自身、ダイエットをしまくってスキニー体型だった時期もあったし…。

けれども!だ。
もうそろそろいいんじゃない?
みんながみんなに合わせるの。
って、思った、ニューヨークコレクション関連の投稿を見ながら。

たぶん、一番大事なのは、『自分を自分で誇れるか?』だ。
イエスであるのなら、そのままでいいとあたしは思った。
そしてあたしはイエスだった。
ここ1ヶ月位、ダイエットをしてたけど、そしてまだ途中だと勝手に自認していたけど。
あたしはあたしのボディに対して、今、イエスだと言える。
あ、もうちょっと筋肉欲しい部分はあるけど…(笑)
だけど、モデル体型でもないけど、あたしは今のあたしをイエスと言える、肯定できる。
それってたぶん、大事なこと。

ファッションやメイク、お洒落といったものは、一部の誰かに限られた特権なんかじゃない。
年齢、性別、人種、国籍、体型、等々。
あらゆる人が当たり前に享受できる自由だ。
そして自己実現の一形態でもある。

もちろん似合う似合わない、みたいな細かい要素は出てくるけど…。
自分の好きな格好をして、悪いわけがない。

という事で、あたしのダイエットは1ヶ月で終了。
体型維持に努めます。

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