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いっかいしかないじんせい、まいにちたのしくいきよう

 ほろ酔いでnoteを書いてみます。というのも、今日、中学卒業以来お会いしていなかったお友達にお誘いいただいて、飲みに行ってきたんです。なかなかスケジュール合わない中、お相手が無理やり時間作ってくれて開催が決まりました。

 中学3年生のときに本当に仲良くて、高校が離れても当たり前のように定期的に会う仲になると思っていたんです。私にとっては親友というより盟友。しかし現実はかなり違って、高校時代はおろか、成人式でも会うことはなく(相手は一方的に見つけてくれたそうですが)、気づけば7年ぶりの再会になっていました。

 本人を前にすると、意図せず蓋をしていた様々なことを思い出します。文化祭期間は学校までお互いに遅くまで学校に残って、よく一緒に帰っていたこと。とある日の放課後、些細な苛立ちが積み重なり、私の堪忍袋の緒が切れて、教室で怒鳴ってしまったこと。

 お互いの情報が中3でストップしていたのもあり、色々と過去の話をしていきます。忖度なしでお互い聴きたいことを聴く。今だから話せる話をする。お酒なしでも酔える空間がそこにはありました。あの時は子どもだったね、と色々と反省しつつも、その経験があって今があると肯定しているのも、さすがは"盟友"と言った感じで。

 そして、"盟友"の口から、私が忘れていたことを伝えられます。途中まで一緒に帰った時はいつも雨が降っていたこと。私が怒鳴ってしまった放課後を経てすぐ、"盟友"に宛てて手紙を書いたこと。そして、その手紙には、痛々しいほどストレートに、私の想いが書き記されていたこと…

 過去の話が、お酒と共に胃に入っていくこの感覚がとても愛おしくて。会っていない時間なんて全く関係がない。「再会」ってこんなにも楽しいものだったなんて知らなかったなあ。

 少し前「横道世之介」という映画を観ました。主人公横道世之介の大学時代の日常を彼の友人やかつての恋人が思い出していくというストーリーです。世之介は、まっすぐな奴で、出会った人たちに出会ってよかったと思わせる奴。誰かの人生を劇的に変えることはなくても、あんな面白い奴いてくれたなとふと思い出して微笑んでしまう存在なんです。
 この映画を観てからというもの、劇中の世之介に強い憧れを持ってしまいました。私のことを毎日思い浮かべて欲しいとは願わないけど、何かのきっかけでたまに思い出して「あんな奴いたな」「出会えてラッキーだったな」って思ってもらえたらなって。

 今宵、"盟友"にとって、私自身と出会えてラッキーだったなと思ってもらえてる気がして嬉しくて、今ふわふわしてるんだと思います。さらに、そんな"盟友"も、自分にとっても出会えてラッキーだったなと思える人だったことを確認できた。これ以上の幸せはありません。

 飲み会の終盤は、もう何を喋ったのか(かなり酔っていたので)あまり覚えていません。今をめっちゃ楽しみたい、今しかできないことを制限なく味わい尽くしたいみたいな話をしていた気がします。子どもだったあの頃からお互い自立して、いろんな経験を経ながらも、旺盛な好奇心だけはずっと持ち続けている。相変わらずです。

 別れ際、"盟友"が今一番大事にしてる言葉を教えてくれました。僕の大好きな言葉でもありました。

いっかいしかないじんせい、
まいにちたのしくいきよう

 それでは、本日はこの曲を聴いてお別れです。

 ASIAN KUNG-FU GENERATIONで「今を生きて」

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