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歩まざるを得なかった道を振り返られるとき | 2024/03/05

ある日、「むつみさんは早くからレールから降りて、色々と経験をされてきたのですか?」と聞かれたことがあった。

「レールを降りた」

ということよりも、

「レールに降りざるを得なかった」

という言葉が、私にとって近いと思う。

今までの人生は「こうしなければならない」という状況にならないと、私は自分と向き合うことができなかったし、自分の人生を生きることができなかったと思う。

「こうしたくて、自分がこうしたいから、この選択をしていく」という感覚はどうしても持ちづらかった。

持ちづらかったというより、自分なんかが人生を選択していい存在ではないと思っていた。その思いが強すぎたのと思う。

「こうしないといけないから、この道しかないから、全力で応えていくしかない。

いつしか『いま!』と思ったタイミングがきた時、神の見えざる手を、チャンスを。見逃さないように。だからいまはスキルを磨いていくんだ。その時が来るまで待っててもいい」と。

だから10代から自分のやりたいことを見つけていて、思い描いた通り、その通りの道を歩もうとしている友達みんなが眩しかった。仕方がなかった。

将来に思いを馳せて浮き足立っている周りが羨ましかった。

強い嫉妬さえ覚えた。

何の気なしに「とりあえず」とか「誰かに勧められたから」とか。

そんな理由だけで、私が望むものを簡単に手にできる周りが、私にはなんと言葉に表したら良いのか分からなかった。

私には願っても願っても手に届くことのないもの。

歩むことを許されない。
私はこの人たちとは違う人生。

同じ道を歩むことを望んではいけない。
住む世界が違うから。

そう言い聞かせないと、生きていけなかった。

だから「レールを自ら降りた」のではなく、「レールから降りざるを得なかった」。

諦めざるを得ないことばかりで、手放さないといけなかったことが溢れていた。

諦めるには自分にとって痛く、辛いすぎると感じることもたくさんあった。

やっと、楽になってきた。

自分の得意な方向が分かってきて、好きと思えることも増えてきた。いろんな経験をすることで、自分のことが色々と分かってきたと思う。

この苦しみも、この辛いと思えた経験も。
私にとって必要な苦しみだったんだろうな。

不器用な私だけど、やっと、私らしく生きることができるようになってきた。

私が願っていたこと。
私が歩みたかった道のり。

当時の想像していた通りの鮮明なかたちで私のところにやって来たわけではないけれど、

私に合った形で、私の今に合わせて、
私の元にやって来てくれている。

言葉にすると、苦しかった時の私に小さな船を出し、いまの私が代わりに受け止めて、受け止め直している。

少しだけ、心が楽になっている。

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