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20/* 「?」を生み出す表現

面白いモノの定義って何だろうか。

僕の家には小さな頃からいくつかの絵画が飾られている。僕が多分生まれたころからあるから、僕は毎日その絵画たちを見ながら育ってきた。でも今だに、その絵画が何を意味しているのか、何を伝えようとしているかが全くもって分からない。

けど、すごく良いなと心から思う。それはもしかしたら小さい頃からみていたからこそ生まれる親しみなのかもしれないけど、今でも時々実家に帰ると、やっぱりその絵画に感銘を受ける。

そこでふと、なんでこの絵画が記憶に残っているんだろうかと考えてみた。

わからないから面白い

結論からいうと、「今だに、その絵画が何を意味しているのか、何を伝えようとしているかが全くもって分からない」からこそ、面白い。人は自分の持つ言葉や感性で理解できないものと出くわすと、それを必死に理解しようとして頭の中で様々な思考を巡らす。

例えばこれ。

これ、何に見えますか?

僕はこの絵であるものを明確に表現したけど、一見するだけではあまりわからない。そうすると人々の頭には「?」が浮かぶ。その「?」が、面白いと感じるプロセスには必要なんだと思う。

なんか変だな? これは何だろう?という「?」が、なるほど!わお!みたいな「!」に変わった時、人は面白いと感じるんじゃないのかな。

今回は抽象度を高めることで「?」を作ろうとしたけど、もっと上手に違和感を作り出すことができる人たちがいる。例えば、最近見たものの中だと、映画 『カメラを止めるな!』とか、ジョジョの作者 荒木飛呂彦さんの描く絵とか、僕が好きな写真家 瀧本幹也さんなんかも、「?」を作り出すプロだと思う。

「面白い」の賞味期限

「?」がなくても、純粋に「!」とする感情を沸き起こすことができても、面白いものにはなると思う。でも何となく、「!」だけのものって賞味期限が早い気がしている。

「!」の感情は、一方通行的に伝達されるものだから、その時は鮮烈でも、それから先には残りにくい。逆に「?」の感情は、自分の中で咀嚼するという時間が生まれるから双方向的な作用が生まれる。

やっぱり何と言っても、見たり聞いたりしただけのものではなくて、考えたり誰かに話したりしたものの方が記憶に蓄積されていくし、愛着が湧くからね。だからその分、「面白い」という感情の賞味期限は伸びていく。

僕の家に飾ってあった絵画が今でも、新鮮なまま「面白い」を訴えかけてくるのは、それだけ「?」の問いかけが強く、僕自身の中でもその「?」に向かい合っている時間が長いからなんだろうな。

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