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夫婦のかたちを自分たちで決めるのは最高にクリエイティブ

murmur magazine for menの最新号(第4号)に、「ポリアモリー:全員が合意の上で複数の人と性愛関係を築くこと」という、夫婦関係+パートナーのいる人のコラムが載っていた。

あ、うちの夫婦もこれだわ、と思った。

あたらしいパートナーシップ

コラムは高橋真澄さんという男性が書いていて、妻と3人の子どもと暮らし、パートナーが一人いるそうだ。妻である女性とは結婚前に性の不一致が原因で一度別れ、それでも好きな気持ちがあって復縁し、「お互いを大切にするからこそ、複数の人と恋愛やからだの関係があってもいいけど情報共有はこまめにしましょう」と合意したんだそう。
パートナーの女性とは「興味の方向が一致していて、お互いに学び合い、高め合うこと、そして「探求」を求めていて、継続してお付き合いしたいという思い」から二年ほどお付き合いしているのだとか。(←すごいわかる、その感じ!!と興奮)

他にも具体的な3人での取り決めなども紹介されていた。(うまく抜粋できなくて伝わりきらないのが残念なので、気になる方はぜひ読んでみてください)

夫合意でパートナーがいたけれど

私も、付き合いの長い夫との間では、私がほかの人を必要とすることへの合意がだんだんと出来上がって、同意の上でほかのパートナーと付き合っていた時期がある(今はいない)。
夫婦だとしても、100%お互いの欲求を満たせるわけではないし、その満たせない部分がほかのひととしっくりきたらその人とおつきあいしたくなる、というのは私にとっては自然なことだ。だからといって、生活をともにするのに楽しく、人として信頼していて大好きな夫と別れるのも違う。
夫も、夫婦だからといって他の人を好きになることを制限する権利はないし、お互いの自由を尊重しようという感じで、いたってクールである(本心はどこまでもわからないけど)。

でも当時のパートナーのほうは違ったのか、夫に全部話して知ってるよ~、とへらっと言ったら、怒って嫌がっていた(ポリアモリー失敗…)。夫婦の間ではすでに自然なことになっていたので、「その独占欲の根拠はいったいどこから湧いてくるのだろう」と、感覚の違いにこちらも衝撃を受けた。

夫が「寛容」だから「許されている」?

私にとっては自然なことで、とくに隠すことでもなかったので、多くの友人達にもそうした関係性にあることを話していたが、おおかたの反応は、「”自由奔放”なまやと、”底なしに寛容”な夫」という構図に収めるものだった。

夫婦の間の実際と微妙にずれる感じがして、違和感があったけれど、うまく説明できなかった。開けっぴろげであることにもびっくりされたが、自分にとっては自然なことだったので、なんでだろう?と不思議だった。

私は夫に「許され」ていたのだろうか?
私は、夫の「許し」を得なければ、ほかのひとを大切に思い、ともに成長し、おつきあいしてはいけないのだろうか?
そしてそれ自体、「寛容」な夫だからこそ許される特殊な状況なのだろうか?
自分がおかしいのだろうか、夫を苦しめていたのだろうか?

夫婦の間では合意があっても、それが「ポリアモリー」に近いものだとはまだ私も知らず、他の人からのフィードバックや旧来の「こういうものだ」という常識に、ちょっとだけ、喉に小骨が引っかかるような気持ちがしていた。
私自身、夫婦で合意の上とはいえ結局、私はアグレッシブで成長欲求が強く、夫は静の人なので、おもに私が他のパートナーを作ることが多いために、一方的な感じが拭えないために生じる後ろめたさに似た気持ちもあった。

性や生を枠になんか当てはめなくっていい

でも今日、コラムで具体的な話を読んで、「ああ、これこれ、葛藤や嫉妬はときにあるとしても、別にどちらが加害者でも被害者なわけでもなく、ただお互いを尊重して、一番幸せな形を一緒に探っているだけなんだよな」と、自分たちのかたちを肯定的に再定義できた気がする。

正確に理解されたいわけでもなかったけれど、実際の感じと違う構図に当てはめられてしまう違和感や、ほんの少しの夫への後ろめたさが、そうしたカテゴリーが存在すること、似たような考えをする人がいるということがわかって解消した。

日本では「結婚」という形や、籍を入れていなくても「一対の男女」という形がパートナーシップの典型とされ、お互いがお互いを束縛し合うことが法的にも保証されている。でも歴史的、世界的に見渡せば色んな夫婦関係・家族のかたちがあるし、その中のひとつにポリアモリーもある。

もしかしたら、自らの性や生き方を、狭い世界の常識や国のつくった制度という枠に押し込めることで苦しくなっていないだろうか。

だとしたら、みずからその枠の外側へ、足場をずらすという選択もありだ。

リスクを覚悟しても、“自然”を追求したい

もちろん、その枠が絶対と信じて生きている人たちからの反発や、国民の管理統制が存在意義である国家からみたら革命分子になりうるけれど、そうしたリスクも覚悟した上で、なお押さえられない自分のなかの“自然”な在り方を選んでいきたい。

本当の、個として、お互いを尊重して、その上で一緒に生きたい、暮らしたい人たちとともに生きる。それにはとことん逃げずに話し合う覚悟と強さ、そして信頼関係がいるけれど、とてもクリエイティブで自由で楽しいことだと思う。

今わたしにパートナーはいないけど、年齢や経験を積むことで夫婦の間で埋めきれない方向性の違いが少し出てきたかもしれないと感じている。子どもたちというメンバーも増えたのでもはや二人だけの問題ではないが、どういう家族のかたちが一番しっくりくるのか、その時々で考え話し合い、ベストなかたちを見つけていきたい。

でもやっぱり、自由にクリエイティブに生きることは最高に楽しい!!!

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