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イマイチわかりあえなくても一緒にいられるのが「家族」

今月から、子どもたちが保育園に入園した。
上の子の妊娠から数えると5年ぶりぐらいの、独り身生活が始まる。

幼稚園から転園させた兄4歳と、初めて週5で通う娘もうすぐ3歳。
始まる前は「保育園」という言葉が出るだけで嫌がっていた二人だったので、馴染めるかかなり心配で、半年はかかるかなぁなんてネガティブめに覚悟していた。ところが、開けてびっくり。入園式が終わって帰宅した瞬間に「保育園また行きたい」とUターンを要請するほど気に入った様子で、今朝も泣くこともなく元気に夫と登園していった。

どんな状況になるのか不安だっただけで、安心できて楽しい場所だとわかったらすぐに受け入れられたんだなあ。その順応力の高さに、本当に感心する。

息子は前の幼稚園も気に入っていて、お友達もたくさんいたので、寂しがるかなと思っていたのだけど、今の所そういう言葉は聞かれず。「寂しい」という表現を知らないのか、それとも目の前が楽しければいいという人なのか、お友達はご近所さんが多いからお休みの日とかはまたいつでも遊べるとわかっている(?)からなのか…。
3歳前にしてすでに感情を言葉で巧みに表現し訴えてくる娘と違って、息子はそもそも感情があまりぶれないタイプなのか、感じるのが苦手なのか、表現するのが苦手なのか。かと思えば、すごく周りの変化や細かいところに気がついたり、急に過剰反応してパニックになることもあって、「鈍感」という片付け方も違うし、いつもなかなか理解しがたい人である。

ついつい、彼が感情表現やコミュニケーションが下手なことにイライラして怒ってしまうのだけど、それはいつも私が夫に感じていることでもある。というか、むしろ私が、とくに「家族」におけるコミュニケーション、分かり合うことに対してトラウマがあったり、「言葉による表現」に並々ならぬ情熱があるから、子どもに対しても厳しくなるし、それをないがしろにしているように見えると腹が立つのだろう。

言葉による表現やいわゆるコミュニケーションとは違うやり方でも、信頼やいい関係を築いていくことは可能なはずなのだ、本当は。むしろ、言葉で言い表せない空気感や安心感、信頼感、そちらのほうが実は大きな要素かもしれない。だからこそ、10何年も口下手な夫とともにいられているのだし。

言葉にしなくても、イマイチわかりあえなくても、安心してそこにいられる場。そういう家庭、家族であればいいのかもしれないな。そんな基本的なことに、ようやく気がつけるようになってきた。

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