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これさえすれば東大は必ず入れる!

これさえすれば東大は必ず入れる!
記事のタイトルを見て読み始めた皆さんには・・・
ごめんなさい・・・
騙すつもりはないんです。

実際にこの記事が、他の記事よりもあきらかに見られていれば、やはり世間はこのような内容に興味があるのだ、という証明になると考えたのです。

仮説としては、見る人は多いような気もします。もし大して読まれなければ、私としてはむしろ嬉しいと感じることかも知れません。世間はやはり東大に入ることに大きな価値があると考えているのでしょうか?

SNSの世界には大人子どもに関わらず、「自分を良く見せたい」という承認欲求が溢れています。最近は「マウントをとる」という言葉も使われるように、場合によっては無理をしてでも人より優っている自分でいたいと必死になります。

実にくだらないことです。

我々大人が、知らないうちに子ども達にそういう誤った価値基準を伝えてしまっていることが、私はとても良くないと思っています。

聞くところでは最近の小学生は、Youtuberのひろゆき、という人が、いわゆる相手を『論破』することに憧れて友達を徹底的に理詰めし「はい、ろんぱ!」などとやっているようです。
親や先生が叱っても、「それってあなたの個人的な感想ですよね」とふざけて切り返す・・・世も末です。

東大生だけしか出られないクイズ番組があったり、多少有名な大学に行ったというだけで、あたかも人生の勝ち組だといわんばかりの立ち振る舞いをする若者「美人すぎる◯◯」、「国宝級のイケメン」・・・そういうくだらない風潮が、子ども達の純粋な心をむしばんでいることを世間の大人たちは深く反省するべきです。

人の価値というものは・・・

学歴ではない、お金持ちかどうかではない、ルックスでも、スタイルの良さでもない・・・大事なことは人間性
IB教育でよく知られている10の人物像 IB Learner Profileは、IBの理念の中心にあるものであり、それはすなわち「どういう人であるべきか」、目指す人間性を具体的に示しています。IB教育が全人教育、Whole personの教育と言われるのは、何よりもまず「人間性」なるものを最重要視しているからです。

そもそも人の知性(コンピテンシー)というのは多様です。5教科の成績で測れるものではありません。5教科で行われる受験制度もいずれ変わっていく必要があるのでしょうが(日本の大学においても、特色選抜など5教科の成績以外も考慮する選抜方式は実際はどんどん増えてきています)私の問題意識は、そういう制度のあり方もそうですが、それ以上に我々大人が子ども達に誤った価値観をメッセージとして伝えていることです。

以前、公立の学校のコンサルをしていた時に、先生達に「どういう生徒に育ってほしいか」という質問をしました。
すると、「失敗を恐れず挑戦心をもってほしい」とか「努力すれば自分を伸ばせるということを知ってほしい」など色々な素晴らしいビジョンが聞かれました。

その後、今度は生徒を集めて、「何をすると先生はほめてくれるの?」と聞きました。そこでも、「友達にやさしくした時」「頑張った時」などがありましたが、一人の男の子が「間違えずに一発でできた時!」と言いました。するともう一人が、「そうそう、それで、それをさっとやった時」と付け加えました。

何が起きているのでしょうか?教師は、「失敗を恐れずに」と願っているのに、生徒は、「間違えずにやったら褒めてもらえる」と言っているのです。
教師がいう、『【努力】とは、諦めずに粘り強く頑張ることです』にもかかわらず、生徒は『素早く、さっとやる』ことで褒めてもらえると思っているわけです。

この振り返りを放課後、先生達とした時は、みなさん「穴があったら入りたい」という雰囲気でした。もちろん、私は先生達を責めるつもりは毛頭ありません。つまりはこういう事が教師と生徒、親と子の間でありがちだと言いたいのです。

親として、教師として、満点をとることより、50点から努力をして70点になった、それが素晴らしい、より価値のあることだと思うなら、そういうメッセージを明確に、しかも継続的に伝えなくてはいけません。
本人が以前70点だった所から頑張って90点になり喜んでテストを見せたのに、「あー、後少しで100点だったね」親は励ますつもりで、褒めるつもりで言ったとしても、子どもからしたら、「やっぱり満点じゃないと褒めてもらえないんだ」とそういうメッセージを受け取ってしまうわけです。

校内新聞などで、スポーツの大会や勉強の成績でトップになった生徒を取り上げることは良くあります。それ自体がいけないとは思いませんが、もし自分の学校のカルチャーとして、価値基準として、「努力をした先の進歩をたたえたい」というものがあるのであれば、そういう伝え方も同時にしていかないと、生徒はいつまでたっても、努力することの大切さではなく、結果の優劣で自分自身を評価するようになってしまいます。

子どもは素直です。
良くも悪くも素直です。
本当に子ども達の幸せな人生を願うなら、人生における間違った価値観を伝えないようにしないといけません。


私が仲良くしているニュージーランドのQMCという女子校がありますが、学長先生と話をしていた時に、こんなことを聞きました。
その学校はウェリントンの街中にあるため、大使館関係の子息がくることがあるのですが、とある国の大使が保護者面談にきたとき、教師がひと通り子どもの様子を伝えて、「他に何かお知りになりたいことはありますか?」と聞きました。するとその大使は少し考えて、ひとこと、「うちの娘は友達にやさしくしていますでしょうか?」そう聞いたという話です。
学長先生は、その話を興奮気味に私に話してくれました。
「Isn’t that so great?」
さすが、のひとことです。

私はうちの生徒に、「勉強は得意不得意があるから、サニーサイドの子が全員勉強が得意じゃなくても全然構わないけれど、電車やバスに乗った時、自分が座っている近くにお年寄りや子連れのお客さんがきたら、その時は0.5秒で席を立って、”どうぞ”と言える、サニーサイドの生徒は全員がそういう子になってほしい」と言っています。

ぜひこの機会にご自分は親や教師として、子ども達にどういう価値基準のメッセージを伝えたいのか、お考えいただけたらと思います。
そしてお分かりだと思いますが・・・これさえすれば必ず・・・などというものは基本ありませんので。人生そんな甘いものではありません。(苦笑)

(次回:IBが目指すHuman Flourishingとは)

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