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「おりこうさん」な子どもを先生たちは求めていない

新年度が始まって一週間が過ぎた。
もう25年以上この仕事をしているが、
昔は、入園式直後の幼稚園といえば、あちらこちらから年少に入りたての子どもたちの大きな泣き声が聞こえてきたものだ。

もちろん、今でも泣く子はいるものの、昔と比べれば圧倒的に落ち着いているようだ。
うちの場合、満3歳児クラスと言って、半年前から前倒しで始まるクラスに通っていた子が半分ほどいるので、
慣れている子が多いというのと、クラスのサイズが昔ほど大きくないことも関係しているのだろうが、実は、私のようなものからすると、
落ち着き払って「ドラマの少ない」年少さんでは張り合いがないとすら感じることがある。

先日の入園式もほとんどの子が椅子に座ってずいぶんおとなしくしていたが、
その前の年は、自由に走り回っている子がいて、その姿にわくわくしたものだ。
そういう、カオスな集団に先生たちは立ち向かい、卒園式では見違えるほど立派な姿をご家族に見てもらい、感動の涙を流してもらう、それにこそ、この仕事のやりがいがある。

ところが、親の目線はまた違うものだ。
他の子がおとなしく座っている時に我が子が走り回っている様子をみて、その姿にワクワクするわけはなく、ひたすら心配になるのが普通だ。
我が子が集団に入れずに大泣きするのにイライラが募ったお母さんが、一緒に来たお父さんに八つ当たりしている様子を何度もみたことがある。
本人たちからしたら大変な状況ではあるが、私たちからみたらそれはもう「ほほえましい家族のワンシーン」だ。

少なくとも、サニーサイドではいわゆる「おりこうさん」を求めていない。
なかなかひと筋縄でいかない子に、手を焼くことは確かだけれど、プロを自負しているうちの先生たちからしたら、そういう子をいかに成長させるかが腕の見せどころであるから。

それに、ドラマが多い方が振り返った時に思い出深くなる。こんな私にも振り返るべき子どもたちとの楽しい思い出はいくつもある。

せな君という男の子がいた。もう成人していることだろう。今頃どうしてるんかな・・・。

幼稚園児のくせに、頑固ジジイ並にかたくなな子で、ある日、お母さんが水着を入れるのを忘れてプールに入れず、いじけていると先生が言いにきたのだが、
持ってきてもらうにもお母さんが仕事に出ていたりするので、私が近くのショッピングセンターの中にある「あかのれん」というお店に買いにいった。
「あかのれん」は岐阜ローカルな人なら知っている人もいるかも知れないが、今でいう「しまむら」のようなお店で、彼に水着を渡すと、それが入っている袋をみてひとこと。
「なんや、あかのれんで買ってきたんか」
担任の先生が「園長先生にまずお礼をいうのが先でしょっ!」と激怒して、みんなで大笑いした。

私たちもとにかく手を焼いたその子が迎えた卒園式の日、彼は卒園証書をもらう先生の前まで出て行ったところで、何を思ったか急にしゃがみこみ、
「それはいらない」と抵抗した。
それをもらったら幼稚園が終わるということを彼なりに理解した上での、子どもなりのささやかな、でも必死な抵抗だった。
その姿に、担任もおろおろとしてしまい、仕方なく私が行って抱き上げて席に連れて戻った。
先生たちみんなが涙した。

せな君のお母さんは、お手紙を下さって
「先生たちがいなかったら私はひとりでこの子を育てられなかった」と感謝してくれた。
こんな自分でも人の役にたつことができる仕事なのだと嬉しく思った。
私は、幼稚園という3年間で、職員みんなで大事にしてきた子どもを送り出さなくてはいけないことが悲し過ぎて、「この幼稚園の続きを作れたらいいのに」と、その頃から「小学校を作りたい、幼稚園、小学校の一貫教育をしたい」と思い始めた。

果たしてそれが地獄の一丁目に足を踏み入れた悪魔のささやきだったのか・・・(笑)
・・・そんなことはない。
自分は生まれ変わっても、やはり教育者としての仕事を選ぶだろう。
うちの先生たちも職員室で夕方、お菓子を食べながら話している会話のほとんどは子ども達の話ばかり。好きじゃなきゃこの仕事は続きません。

ということで、「おりこうさんじゃないお子様」うちは大歓迎です。


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