在るという事

最近アイデンティティとは何かという事を考えさせられているのですが、一つ出た結論があります。
「在る」という感覚がアイデンティティの全てなのではないかと感じたのです。
自分という存在が「在る」という事を感じられる事、これこそがアイデンティティなのではないだろうか、と。

※アイデンティティについては1月に入ってから何度も記事を書いています。
興味がある方は読んでみてください。

今回の記事はこの「在る」という感覚について書いてみようと思います。
「在る」というのはすなわち存在するという事です。
「在る」と感じられないので、それを感じようとすることが俗に言う「存在を証明する」のようなよく歌詞などで使われそうな言葉になります。

存在を証明したい願望というのはつまり自我が生まれてきた事の現れであり、一般的には思春期において増してきやすい感覚です。
そしてこの年頃というのは自分という存在を証明したいあまりに周りからの目が非常に気になる時期でもあります。
それは同時に他の人の事もよく見ているという事を意味しています。

その人がどう生きるかというポリシー的なものを僕は「在り方」と表現しています。
この時期は一般的な他人の在り方に左右されやすい時期であると言えるのではないでしょうか。
イジメなどが起こるのも大抵は自分の在り方を確立できていない人が他人の在り方にケチをつけて自分の力を誇示しようとする力の働きであると捉えています。

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