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【映観】虫プロ『クレオパトラ』(1970)

『クレオパトラ』(1970)

原案・構成:手塚治虫 / 監督:手塚治虫、山本暎一
声の出演:中山千夏、ハナ肇、なべおさみ、吉村実子、加藤芳郎 他

もうすぐ2月9日は、マンガの神様・手塚治虫の命日となる。
云うまでもなく僕の人生を揺らした"マンガ"、
ここはやはり漢字で"漫画"ではなく片仮名で"マンガ"としたい。
「手塚治虫漫画全集」400巻をコンプリートするコトが夢、
だけど急いではいない。いつか、でいい。

この映画は、アニメラマ(アニメーション + ドラマ + シネラマ)3部作、
虫プロ全盛期、「千夜一夜物語(1969)」に次ぐ2作目となる。
いわゆる大人向けのエッチ描写、それから実験的、媚びない表現で煙に巻く。
70年初頭、いったいどういった立ち位置だったのか想像するしかないのですが(なにしろ僕もまだ2歳)
実験的とはいえ、ポップな印象、商業路線を狙ってるかのような軽さがある。

時代をみてみよう、前年1969年は、世界はベトナム戦争下、アポロ11号人類初の有人月面着陸、ウッドストック・フェス、「イージー・ライダー」「真夜中のカーボーイ」とアメリカンニューシネマ、
「男はつらいよ」1作目スタート、コント55号がテレビを席巻してる。
1970年は、大阪万博、よど号ハイジャック事件、三島由紀夫の割腹自殺、
世相は混乱と戦争で暗鬱とし、全共闘運動・大学紛争で国内も混乱が生じてる頃。
この映画の妙に素っ頓狂なポップさは、時代の産物だったのだろうか?
この時代考証、ちょっと軽薄なんですが、公開当時の時勢は多分に映画に影を落とすもので、それを少しでも知っておいた方が面白くなる。
 
1961年、手塚治虫設立のアニメ専門プロダクション"虫プロ"発足。
映画「ある街角の物語」、TV「鉄腕アトム』第1話から始まって
「ジャングル大帝」「あしたのジョー」などへと続く。
その裏で、実験アニメと呼ばれる非商業的短編アニメも多数制作され、それだけが原因ではないが、経営悪化し73年に倒産となる。
しかしここで培った先生の作家性重視の雇用が、後に豊田有恒、りんたろう、真崎守、出崎統、さらには富野由悠季、安彦良和、などと日本アニメの礎を築くことになる。

ここでようやく『クレオパトラ』
いきなり実写にアニメづらを被せた未来人から話が始まる。

未来人たち

空を飛ぶクルマ、ロボットが給仕する姿は、この頃夢見た未来の想像図。
いま現在からみるととてもキッチュ、逆にそれが70年代的で可愛い。
その未来人のココロを過去へ飛ばし、紀元前50年エジプトにタイムスリップ、
絶世の美女と謳われたクレオパトラ、侵略者シーザー、アントニウスなどの史実を交え、軽妙に物語は進みます。

カメオ出演キャラ

さて周囲を見渡せば、なんとも華やかなカメオ出演者が目白押しです。
この頃はなんとも牧歌的なのですね。
ローマ凱旋の行進シーンでは、名画のオマージュ溢れ、キュビスムから印象派、ゴッホにピカソ、セザンヌ、モネといった手法で描かれ、セックスシーンは線画だけでそのイメージを表現し、「忠臣蔵」松の廊下の歌舞伎絵でシーザー暗殺をみせるという神様の遊び心。
声役 ハナ肇の"あっと驚くタメゴロー"といった具合に、破茶滅茶に進行していくわけですが、なんとも微笑ましく、軽さでもって史実をぶった斬っていく。
惜しむべくは、その軽さである。
あまりにも軽すぎて、物語に入り込むことは出来ない。
面白いアイデアで溢れんばかりだったのに、見終えた後は空っぽだったような感じ。紙一重である。
公開当時の観客にはどう見えたのだろうか?

僕は、手塚治虫のマンガが大好きです。
先生のアニメーションへの情熱も理解していますが、どうしてだかいつも肩透かしを喰ったような気になってしまう。
ほぼ初期のアニメ・特撮は別にして、どうもうまくいっていないような気がする。
実写版「火の鳥(1978)」は当時映画館で見ました。
マンガが大好きだったので期待を裏切り、もう先生はマンガだけで表現してくれたらいいと感じた。
神様にとって、静止画と動画との相違は、相容れない表裏一体のような関係性だったのかも知れないが、気持ちばかりが先行し過ぎて、せっかくの素晴らしい原作が壊れてしまうかねない。
返せば、先生の描くマンガが、動画をも凌駕し僕らの想像力をかき立たせる素晴らしさがあるということになるのだが。

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