【鉄日】24/03/26. 朝焼けの仮面ライダーは電気羊の夢を見るか?
今は昔、昭和の朝は、喫茶店のモーニングセットで始まる。
まだ小学生だった頃、たまに親父に連れていってもらった。
(でも父が現れるのは3ヶ月に1回くらいだった)
毎朝行きつけの喫茶店、カランカランと扉についた鐘音が出迎え、淹れたての珈琲の匂い、背伸びして口にする苦い味、
厚切りトーストがバターを溶かし、添えられた茹で卵が自棄に美味しくて、父は煙草の煙と共に新聞紙を広げる。
大人の世界がそこにはあった。
家で食べればいいのに、わざわざ仕事前に一服するために立ち寄り、贅沢に30分ほど滞在する。
自分も大人になったらそうするのかと思ったけど、生憎そんな悠長な職場で雇われるコトなく、バイト生活はギリギリいっぱい遅刻寸前で滑り込むばかりでほとんど朝飯抜きである。
余裕ができた今でも、モーニングはルーティーンには組み込まれず、コンビニの百円コーヒーで満足してる。
しかしあの遠い思ひ出がたまらなくモーニングセットを郷愁し、sinceな年季の入った喫茶店を求め、ことあるごとにカランカランというドアベルを聞くのでした。
名古屋のモーニングセットは、もはや別次元へトンでしまったようで、すき焼きやどて煮が付いてくるだの、もはや珈琲とは無関係に増殖していってる。
そう、はしゃぎ過ぎるなよ、名古屋人の悪い癖だ、普通に美味しい珈琲を出してください。
ちなみに名古屋の喫茶店では、珈琲に必ずと言っていいほど、ピーナッツやおかきなどが添えられてくる。
そうゆう配慮は好きです。
名古屋発祥といえばコメダ珈琲ですね、もはやどこの地方にでもありチェーン化されている。
あそこのアイスコーヒーはブーツ型コップで、小さい頃、足先の出っぱりを上にして飲んだらゴボっと顔に飲料が襲ってきてベチャベチャになってしまった。ストローで飲めばいいものの、コップから飲みたかったお年頃だったのね。
べつにモーニングを寝ないで行ってもいいのです。
早朝までお酒を飲み明かし、7時を過ぎた頃に〆のモーニング、
下北沢時代はお店が捌けた後、常連さん達とよく"喫茶シャノアール"で乾杯した。
ぜんぜんお酒が残っているから、セットにウインナー(80円だったかな?)を一本づつ追加注文して、そのウインナーが指みたいでケチャップかけたら、まるで指ツメたような景観になってナイフも添え、大笑いしたりした。
深めのソファで寛げて高級感も醸し出し、インチキ絵画が壁に飾られてるとこなんて、とっても素敵な昭和喫茶。
そんな下北のシャノアールは、再開発前後で消えてしまった。
今回出かけた大阪市外「喫茶AYA」は、お子の新居からすぐ近く。
お約束の漫画雑誌、全巻ものも棚に並びつつ、そんなに広くないが明るい店内で家庭的な感じだ。
お子はシンプルセット(500円)に、クリームソーダ(+100円)注文、とてもナイスチョイス!
僕は贅沢に700円モーニング、厚切りトーストに目玉焼きベーコン、サラダ爆盛り、フルーツ4種とゴージャス!!
もちろん店主はアヤさんなのだろう、帰り際に少しお話ししてお子がまた来た時はよろしくひとつと。
大阪を経つ前に行ったのは「桜珈琲」
見るからに少しハイクラス、異次元のモーニングという触れ込みを聞いたのであるが、まぁ値段相応な感じだ。
中庭には桜の木があったがまだ咲くには早い、品のいい老夫婦、パソコン片手の企業戦士、役職クラスの土建屋、見回せば小銭を持っていそうな客層、店員の接客も小粋なもんだ。
今日の珈琲+700円セットで、千円超えは庶民のモーニングではない。
そして京都四条大宮「喫茶マーチ」
車を置いた駐車場を失念しフラフラ探し回る早朝、とても懐かしい匂いを感じて入店。カランカラン
薄暗くモノトーン、常連さん(高齢)との会話、テレビに佐野史郎が映ってインタビューを受けてる。
去年に生死を彷徨う大病を患い、それと合わせ死生観を語ってる。そうか、島根の人か。
出てきたモーニング、これが僕の思うパーフェクトな形態である。
そして、350円という昭和へタイムスリップしたかのようなお会計に涙ぐむ。
高田渡が歌った"コーヒーブルース"
三条へいかなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね、あの娘に逢いに、
なに 好きなコーヒーを少しばかり、
てのを少しばかりやりたかったのだが、もはや老舗有名店の珈琲一杯に千円は払えなかった。
最後は、近所「喫茶ブラジル」モーニング。
明るいうちは「珈琲専門店 BRAZIL」夜になれば「居酒屋 おふくろの味 舞楽人瑠」となる。
この辺りの喫茶店もイロイロ巡ったが、最初に来たこの店が一番シンプルで居心地が良かった。
サイフォンで淹れる珈琲、深々と腰を下ろせるソファ、夜に行ったコトはないが居酒屋形態はどんなんやろ?
もう随分高齢になってしまった女将、もう少し気張って欲しい。
だからね、旅先へ出向くと、チェーン店やコンビニの有り難さが分かる。
その一方、そういった大手チェーンや大型店舗に追いやられる個人店も心配になる。
むしろバラエティに富んで楽しく、思いもよらないコトに出くわすのはそんなお店だ。
昭和からやっているお店はそろそろ消灯の頃合いだ。
引き継ぐ人もいないだろうし、新しい形態へ移行していくのも仕方がない。
失ってしまったらそれっきりだ。
知ってる。
続けていくコトの厳しさもわかる。
だから無理は云わない。
せまて今ある純喫茶を味わい記憶に留めておくコトぐらいしかできない。
それで自分がくたばったら、その記憶も跡形もなく消えてなくなってしまうんだろう。