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きみ子と食べる

きみ子は、わたしの母方の祖母。
19年前の2004年に84歳で亡くなっている。

祖母のキャラクターを一言で表すと、粋で豪傑。あ、二言だった。
情に厚く、困っている人を放っておけない性格で、祖母の死後に聞いた話によると、よく友人知人の相談に乗っていて、お金を貸すこともあったそう。

それから、とにかく食道楽。生活拠点である横浜元町はもちろん、本牧、中華街、山下町、伊勢佐木町、渋谷、青山など、あちこちに祖母の行きつけのレストランがあり、わたしももれなく連れて行ってもらった。ド庶民のくせにエンゲル係数はかなり高めだったとおもう。

渋谷のフルーツパーラー西村、山下町のホフブロウ、元町の霧笛楼、中華街の清風楼の並びにあった有名店になるずっと前の山東、本牧でおかまのおじいちゃんが営むカウンターのおでん屋、伊勢佐木町の鶏肉料理屋、青山のベルコモンズ最上階の鮨屋、祖母との思い出の店を挙げるときりがない。とにかくこどもが入店できる範囲でいろいろな業態の飲食店を体験した。

この祖母プレゼンツの体験学習は、わたしにとって大きな財産。小学校低学年の頃にはフランス料理のテーブルマナーがだいたい身につき、早いうちから敷居が高いレストランでも緊張しなくなった。カウンター席で料理人とコミュニケーションをとることを覚え、こどもを見下すことなく大人と同様のサービスを提供するプロフェッショナルの仕事を見ることができたのもありがたい。

これが実は自分が子育てをする上での指針にもなっている。結婚して新しい家族をつくり、息子が生まれて、やっぱりド庶民な我が家のエンゲル係数が高いのは間違いなく祖母の影響。誰と、どこで、何を食べたいか、外食にはたくさんの選択肢がある。しかし、素晴らしいサービスを受けるには、こちらが相応の態度とマナーをもって臨まなくてはならない。態度は鏡。食事を通してわたしが息子に伝えていることのほとんどは祖母から学んだことだ。

わたしの舌の記憶は祖母とともにある。


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