ことは

この気持ちもいつか忘れる

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最近の記事

執着

不安を感じたとき、なにをする? 本を読む。大好きなフレーズを心にしみこませるように。 不安を本で溶かす。 不安はじわりじわり、ことばと中和し 一体となる。 そして残るのは強さ。 もうひと踏ん張りする力。 自分の好きなものに対して 知識に貪欲であり、 時間に貪欲であり、 行動に貪欲であるよう。 好きなものに狂気的な愛を。 【今日の好きなことば】 「自分が面白いと思ったものを、相手を殴ってでも面白いと言わせろ」

    • 初めての暑中お見舞

      5日前、人生初めての暑中お見舞をもらった。 送り主は友人。 可愛いポストカードに書かれた「暑中お見舞申し上げます」の文字、そして花柄の手作りマスクが2枚同封されていた。 友人から事前にLINEで連絡されるということもなく、ポストにポンと入っていた。 今の時代、暑中見舞いを送る人はそんなにいない気がする。 ましてや大学生なんて。 でもそんな中であえて送ってくれるのが嬉しい。 古くからのものであるのに新鮮さを感じた。 【今日の好きなことば】 「しっかり生きて」(『おおかみ

      • 常にゴールを意識する

        さあ今日も勉強だ。 机に向かっていると何となく「勉強している感」が出る。 でも実際にやっていることは?大したことないかもしれない。 「勉強しているように見せかけてる自分」に満足しているだけなら思い切って好きな本を読んだ方がいい。 常にゴールを意識する。 自己満足のために勉強しているわけではない。 1日、1日やることを決め、その日の終わりには何ができたかを振り返る。 週の終わりには、ゴールから逆算して間に合うかも確認する。 あとは迷っているよりも行動する。 嫌だな、後回しに

        • いつも、考えだけが一人歩きをする

          今日のカフェでの出来事。 右斜め前にゆっくりと歩くおじいちゃんがいた。 恐らく脚が悪いのだろう。 店内は混んでいて、座面の高い椅子がある席しか空いていなかった。 仕方なく、おじいちゃんはゆっくりと脚を持ち上げてよろよろしながら座面の高い椅子に座った。 座面の低い椅子に座っていた私は、視界の端にその様子を捉えていた。直視せず、おじいちゃんに気づいていないフリをする自分がまず、ずるいと思った。 「席替わりましょうか。」と声をかけようか迷った。 でも、年寄り扱いするなとか言われ

          それぞれのしあわせ

          しあわせを語ることは難しい。しあわせをテーマに友人と語ったら、一日はあっという間に終わるだろう。それほど重みがあって複雑だ。 今日は私が考える「しあわせ」の一部分について書く。 しあわせ これは人によってちがう。 以前、高校の友人から「恋人からいくらぐらいのプレゼントをもらっているか」と聞かれた。大体1万円以内と答えると友人はあまり納得していない様子。どうやら友人の周りでは2万円~3万円が普通らしい。「5万の人もいる。」と聞いたときには住む世界が違うと感じた。 そのよう

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          人生のドン底にいるとき、私のnote欲は爆上がりする

          noteを書いていて思ったことが1つ。 それは精神が不安定なとき、つまり人生のドン底にいると感じているとき無性にnoteを書きたくなることだ。noteに書くネタが浮かばず悶々としているときは特に悩みがなく精神が安定している。 ドン底にいると思うのは、人生でつまずいたとき。 自分を見つめ直し、様々なことを思う。 直近のドン底体験は就職活動で完敗したこと。いくら自分の思いをエントリーシートや面接にぶつけても、結果に繋がらなかった。(今思い返すと拙い自分で恥ずかしくなるけれ

          人生のドン底にいるとき、私のnote欲は爆上がりする

          結局全部知ることはできない

          見渡す限りの本、本、本。 本屋に行くと、 「あぁ、私はこの世の中の一部しか知ることができないんだな。」 本棚にびっしりと詰まった本たちの背表紙を眺めながら思う。そして本の厚みを見て1冊1冊に物語が閉じ込められているのだと考えると、私が生きている間に全ての本を読むことは不可能だと感じる。 私は変なところに完璧主義というかこの場合はコレクター精神(?)のようなものが働き、できれば世に出されているすべての本を読みたいと思っている。 しかし話題の本棚のコーナーを見ても私が読

          結局全部知ることはできない

          久しぶりのnote更新

          更新したいときにしようと思っていたらいつの間にかこんなにも日にちが経ってしまった。「毎日更新」を義務付けた方が良いタイプと悪いタイプの人がいると思うが私は前者だと思う。 最近、読書やゲーム等受け身の生活で自分で考えることをあまりしていない。それだからかnoteに書くネタもない。そのため、今日は自分が見た夢の記録をする。余談だが私が小学生の時、塾の先生が毎日夢の記録をしていると言ったことを覚えている。しかしそれ自体にどのような意味があったのかは覚えていない。 では、夢の話を

          久しぶりのnote更新

          どうぶつの森に出てくるキャラクターの口ぐせと受け手が抱く印象について考えてみたい。

          どうぶつの森に出てくるキャラクターの口ぐせと受け手が抱く印象について考えてみたい。

          小さな行動の積み重ねが、自分を作る

          最近、自分の情報収集力のなさを痛感している。 一昨日行った図書館は、入館許可を取らなければいけないことを知らず、入ることができなかった。昨日した研究室訪問では、調査不足で研究室先の教授に不快な思いをさせてしまった。 自分の能力不足のせいで失敗続きである。 今まで、分からないことは人に聞くのが一番だと思って生きてきた。それが早いし、楽だから。 もちろん人に聞く方法がいけないとは思っていない。分からないことを素直に聞けるのは、むしろ良いことであると思っている。 しかし、何

          小さな行動の積み重ねが、自分を作る

          努力に目を向ける?

          努力は大事。 だが努力をしたって報われないときもある。 私は今まで努力にばかり執着してきた。目標に向かってがむしゃらに頑張ってきた。 しかしこのやり方では、だめなことが最近分かった。 がむしゃらに努力する私に足りないのは、目標と現段階の自分との差の認識。これがヘタクソだ。だから私の人生で目標が達成されたことは一度もない。 こだわりを持ってやり通すことも大切だが、時にはこだわりを捨てることも必要だと分かった。 がむしゃらに頑張っていた自分から、少し大人になった今、自

          努力に目を向ける?

          ただドライブしたいよねって話

          昨晩友人とテレビ電話をしていたら、ただ何も考えずにドライブに行きたいという話になった。 できれば一週間ぐらい。 そこから具体的にどんなドライブ?という展開になり、 友人が提案したのが、めちゃくちゃ暑い日に暑くないと感じる場所まで行くドライブ。 何じゃそりゃ笑 突発性、無計画性◎ 最高にバカらしくて、最高に楽しいだろう。 この夏、やるぞ。

          ただドライブしたいよねって話

          【生】『千と千尋の神隠し』

          映画館で『千と千尋の神隠し』をみた。 小さい頃から大好きで、何十回と見てきたが映画館で見るのは初めて。 ずっと好きだったアーティストのライブに初めて行く感覚を覚えた。 冒頭「ミミミ ミレミラ ミーレレー」の音を聴いていると泣けてきた。あの『千と千尋の神隠し』がまさか映画館で見れるとは思ってなかったから。生きてりゃいいことある。 ガヤの声もはっきり聞こえ、重低音の響きは美しく、水の音は澄んでいた。 私は日常生活で苦しいと感じると、ジブリ映画をみる習性がある。 そのせい

          【生】『千と千尋の神隠し』

          それを私は「トカトントン現象」とよぶ

          『トカトントン』 これは太宰治の小説。 主人公は、どんなに素晴らしいと思っていたものでも「トカトントン」という音を聞けばたちまち、馬鹿らしく感じてしまう。 これと似たような体験を私もする。 「トカトントン」と聞くわけではないが、様々なものに形を変えてトカトントンは現れる。 例えば企画を立てるとき。これは面白い!と思って企画書を書く。 しかし次の日、書いたものを読み返すと 「なんだこれ?つまらない。」 そしてそれを繰り返す。 ここでのトカトントンは1日経過した

          それを私は「トカトントン現象」とよぶ

          【市松人形Vtuberから学ぶ】発信することの大切さ

          市松人形Vtuber市松寿ゞ謡(いちまつすずか)さんという方がいる。 彼女は、楽曲制作、歌唱、ゲーム制作を手掛け、その動画をYouTubeにアップしているマルチクリエイターだ。 魅力① 市松人形をVtuberにしようという発想。 魅力② 自分で曲を作り、それを自らが歌い、楽曲動画の背景までも描くところ。また、その能力を総動員しゲーム制作までしてしまうところ。 つまり、才能の塊である(と私は信じている)。 ここまでは能力の話。 そして私が最も尊敬するところは、 魅

          【市松人形Vtuberから学ぶ】発信することの大切さ

          まっとうな人生

          まっとうな人生とは何だろうか。 時期が来たら企業に就職して、結婚して、子どもを産んで、 それら全てを、クリアーすればまっとうに生きたと褒められるのだろうか。 自分のやりたいことに寄り道をすることは、まっとうな生き方とは言えないのだろうか? 階段を、踏み外さないよう慎重に下りる時 「自分の生き方みたいだな」と思う。 それが嫌で仕方がない。

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