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縛られず、囚われず、新しい一手をよろこぶ~しなやかに生きるひと④~

こんにちは。明日美です。

風が強い日に、ふと地球が回っていることを思い浮かべます。
気圧の高低差が風を生む。空気を動かしていく。水を循環させる。
その風が植物を生育させ、次の命を運ぶ。
目も開けられないほどの風を背に、そんな浪漫を想いながら足を踏ん張る今日この頃です。

さてさて、前回に続きまして、『しなやかに生きるひと』と題して、これまで出逢ったしなやかに生きる人たちのことについて書いてみたいと思います。

私が初めてそのしなやかさに出逢ったのは、茶の湯の師匠。しなやかな生き様から私が何を感じて、何を学んだのか。そして何を実践してきたか。
どんな展開になるのかわかりませんが、安心して、自分の人生を歩んでいきたかった過去の自分へのメッセージと、未来への備忘録になるのかもしれません。

それでは、はじまりはじまり。

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突然ですが、
日常生活の中で、自分は掃除がうまくないな、
整理整頓がうまくないな、料理が苦手だなとか
そういう風に感じる瞬間はないだろうか?

私は、そういうことがものすごく多い人間だった。

それが最近、あることに気づいたのだ。

雑誌に出てくる部屋のように美しくは整えられないけれど
お掃除をするのは好き。

こんまりさんや
クィア・アイシリーズのように
身の回りをおしゃれに整えることはできないけれど
それなりにお掃除、片付けは好き。
料理上手の人のように、
レシピを観ずに、あるものでササッと作るようなことは
まるでできないけれど、料理をして美味しく食べることは好きなのだ。

この
「雑誌に出てくる部屋のように」
「こんまりさんやクィア・アイシリーズのように」
「料理上手の人のように」
が曲者だったのだ。

掃除も洗濯もそれなりに好きだし、
料理も好きなのに
なぜか、いつも苦しくて楽しめなかった理由。
何かをするということは、
上昇したり、上達したり、
プロになったり、誰かに褒められるレベルを目指さなくてはいけないと
「なぜか」思っていた。
なんたる縛り、不便な無意識よ・・・

そんな自分がある時、衝撃を受ける出来事がやってきた。
茶の湯の師匠のお宅で、お昼ご飯を頂いたとき。

出されたのは、梅干しを入れて炊かれた玄米と、お味噌汁とお漬物。
このシンプルな食事が度肝を抜かれるほど美味しかった。

お味噌汁に至っては、
お味噌ととろろ昆布とお豆腐だけが入っているお椀に
お湯を注いで、味噌をとく。
これだけで、こんなに美味しいのか!!美味しすぎる!!

家に帰ってきて、翌日から、師匠流のお味噌汁生活を始めた。
最初は、真似をして。
慣れてきたら、お鍋でお湯を沸かす時に、
乾燥野菜を一緒に入れておいたり、
お椀にワカメなどの海藻を加えてみたり。
そしてご飯とお漬物。

そのうち、一人の時には、包丁も使わず、
手で野菜をちぎってお鍋に投入するようになった。
包丁とまな板洗うのが面倒な時はこれに限る。
これがね、私にとっては外食に行ったり、
出前を取るよりもはるかに心と身体を満たしてくれたのだ。

こうやって、私に新しい風穴が開いてから、
逆に、丁寧に昆布や煮干しでダシを取って
作る味噌汁の至福が何倍にもなって味わえるようになった。
どちらもいい。最高である。

料理に「正解」は無い。
そんな当然のことに気がつき、
ワクワクするようになった。

「料理、楽しいかも・・・」

そして、夫の一言が極めつけだった。

「夕飯大変なら、お味噌汁とご飯だけでもいいんだよ?」

(「え?!そうなの??」ただただ驚く私の心中)

夕飯を作ることが、億劫だったり、大変だったりする時はあるもので、
そんな時も、ついつい何品も作らねばモードになることがあった。
ある時、お言葉に甘えて、味噌汁とご飯を用意し、
今日はこれだけ!と言ったら、夫は嬉しそうに帰ってきた。
(最初は、そんな顔を見て複雑な想いもあったけれど)

手には、買い物袋。
袋を開けると
納豆や、昆布としいたけの佃煮、柴漬け、明太子、たらこ、卵。
唐揚げやカツetc…
その時に食べたいご飯のお供たちを嬉しそうに買ってくるのだった。

おかずを作らないからこその楽しみがそこにあった。

なぜか、おかずを作らねばと思い込み、
おかずの無いご飯を手抜きだと、罪悪感に捉われる。
そう、「料理」「食事」というものを
私自身が、勝手に縛り付けていた。

そして、身体にもリズムがあり、
あまり食べたくない時というのは、
自然と料理もあんまりしたくないものだということにも気がつくようになった。
食事を三食採らずに適度に抜いたり、
軽く済ませたいときはお味噌汁とおにぎりを作ったり。

そうすると、身体が少し軽いというか
心地よくなるのだなぁということも気づくようになった。
「消化」自体が、身体に過負荷になる時もあるから。
自分自身の身体は、自分の心地よくなる選択肢を一番よく知っている。

自分の縛りや囚われに気づくと、
そこに思いっきり新しい風が吹き込む。
そうやって新しい歓びを運んできてくれる。

そして、自分も相手も
もっともっと心地よく過ごせるような瞬間がやってくるのだ。

ついつい知識先行の頭でっかちになりがちだからこそ、
そんな自分を緩めることで、
新しいものを受け取ることで
見える景色、楽しい時間があることを知った。

自分のやりやすいように、心地よいように、
正直に組んでいったらいいのだなぁと思った。

それに、料理の音って、とっても癒されるのですよね。
トントンとか、サクサクとか、
コトコトとか、パチパチとか耳に優しい音がする。
音だけでなく、薫りや手触りを味わっているとどんどん身も心も静かになっていく。

これからもしも苦しくなるほどに、
縛られたり、囚われたりしたならば
新しい一手に出逢う歓びを
思い出せるようにありたいなと思う。
世界は、開く風穴を待ってくれている気がする。

今日も読んでくださってありがとう。
素敵な一日を🌈🌈

明日美





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