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ちいさな八百屋の店主です。

八百屋をはじめた理由

こんにちは。
一期家一笑(いちごやいちえ)の杉浦大西洋(すぎうらひろし)と言います。

愛知県の豊橋市というところで、八百屋を営んでいます。


ぼくで三代目でして、おじいちゃんが小さな八百屋を、親父が当時としては大きなスーパーマーケットにお店を大きくして、三代目のぼくが、ふたたび八百屋としてちいさくして現在に至ります。

ぼくが生まれたときには、おじいちゃんはもうこの世にいなかったので、親父の時代の話しをさせていただきます。

おじいちゃんから引き継いだ八百屋だったのですが、今から35年ほど前、ぼくが小学一年生の時に、八百屋兼自宅が全焼してしまいます。

親父はかなりのショックで廃業も考えたそうですが、周囲の励ましもあり、火事の前よりも大きな土地を買い、その当時では、地域でも大きなスーパーマーケットとして再出発することになりました。

売り上げは順調に伸びていき、競合のお店もあちこちにできましたが、なんとか生き残ることができていました。

そんなお店にぼくが入社したのが、今から20年ほど前。

親父と周りのスタッフの方で切り盛りしているお店は、時代遅れのローカルスーパーと、ぼくの目には映っていました。

それから、いろんなスーパーに視察に行き、それこそ、北は北海道、南は沖縄まで、いろんなお店を見に行かせていただきました。

勉強会にも積極的に参加し、アメリカのスーパーにも視察に行ったり、各地の経営者の方にお話しを聞きに行かせていただいたりもしました。

そうこうしているうちに、業界紙やテレビなどでも取り上げていただける機会が増えて、衰退するローカルスーパー業界の希望のように持ち上げられたりもしました。

当時、じぶんたちが、そんなすごいお店はないことは、じぶんたちがいちばんよく分かっていたので、最初はうれしくて舞い上がっていたメディアの露出も、次第に後ろめたいものになっていきました。

そうして、お店もだんだんとお客様の足は遠のいていき、どんどんと売り上げも下がり続け、遂にはお店を続けることが困難になってしまいました。


八百屋として再出発することに

スーパーマーケットとしてはお店も小さく、品ぞろえもイマイチ。価格も他のお店に比べて安くもなく、鮮度管理も行き届いていない。

そりゃぁ、お客様も離れるってもんです。

わるいことは重なるもので、お客様が離れると共に、当時のスタッフとぼくの仲が険悪なものになり、お店の空気は最悪でした。

そんななかで、親父はお店を閉めることを決め、
「次のことはお前が決めろ。」
とバトンを渡されました。

それまで、やりたくてもできなかったことだらけだったので、二つ返事で引き受けて、お店を改装して再出発することにしました。

今までのような、なんでも揃うスーパーマーケットではなく、じぶんたちの得意なことに特化した、八百屋というスタイルで行こうとおもいました。

ここから、苦難の道がスタートするのですが、当時のぼくはそんなことはつゆ知らず、楽観的な未来を思い描いていました。




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