それでいいのだ。

中学2年の時、祖父が死んだ。
毒親育ちの私の唯一の祖父。祖父の死は、安全地帯の崩壊を意味していた。

亡くなってから遺体を焼くまでまで、4日くらいあったと思う。両親が何をしていたのかは覚えていない。昼はずっと祖父に話しかけていた。夜は隣で寝た。
骨になった祖父を家に連れて帰った日、
私の心は壊れた。

祖父がいた頃の幸せな気持ち。守られていた気持ち。自分の性格。それらをすっかり思い出せなくなってしまった。祖父が死ぬ前の私と、今の私は、確実に違う『わたし』であると感じていた。
学校でバカみたいな話を聞かされても以前なら心の底から笑えたはずが、何が面白いのか分からなくなった。学校は大好きだったし友達を笑わせたがる性格は真逆になっていた。面白い事や気の利いた台詞が思い付けなくなってしまった。暗く塞ぎこむ様になった。

既にこれは、私の人生では無くなっていた。
誰かに人生を乗っ取られてしまった様な感覚。
どうにか元の私に戻りたかった。
けれども、出来なかった。

こんな気持ちを抱えながら生きる事は、耐えられそうもなかった。無気力に学校へ通い、進学校だったためあっという間に私は落ちこぼれた。
3年間、なすすべもなく地を這った。
脱け殻となった私から、何人も友人が去った。
そして高校2年生の時、ふと思い付いた様に医師になろうと思った。私の様な目にあう子供を減らせる様に、子供を守れる医師になろう。決意は上から降ってきた。そして今医学を学んでいる。

常に考えるのは、私の心が壊れていなければ私はこの道を選んだのだろうか。という事だ。
小さい頃は宇宙飛行士か女優になりたかった。
でも、今からそれらを目指す事はない。
性格も考え方も変わってしまった私の人生を、今の道で結果を出すことだけが肯定してくれるからだ。
そう思えたということは、私は今の私とそれなりに仲良くやっていくつもりなのだろう。腹を括ったのだろう。壊れる前の心に戻れる事は無いとしても、時に過去の私を懐かしみながら、私は今の私で戦ってゆく。
それでいいのだ。


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