見出し画像

宇宙人襲来の日はベランダで君と遊ぶ

小学生の時に、訳もわからず学校が休みになったことがあった。

大抵は学校の創立記念日だったり、振替休日だったりしたが、僕が聞き逃しただけで先生も言ってたよと友だちに言われた。でものほほんとした僕としては、休みの前にそうやって教えてくれる友人たちがありがたかったから、すぐにまた真面目に話を聞くのを忘れてしまった。

しかし社会人になって早数年、散りかけの桜を眺めながら帰路についていた。時刻は午後三時、仕事の定時は午後六時だからまだ三時間ほど早い計算になる。

どうしてなぜこうなったのか。同僚が呆れながら教えてくれた。

「先週から言ってただろ。今日は宇宙人襲来の日だって」

僕が両手をポンと打つと「のんきなやつだなぁ」と笑われてしまった。それからはみんなで一斉に帰り支度をして会社を出た。陽の高いうちに家へ帰るのは、なんだか背徳的な気分になって鼻歌でも歌いたくなる。

最寄駅はスーツ姿の人で埋まり、まるで退勤ラッシュの午後六時のようだった。しかし満員電車に揺られていても、今日はちっとも苦痛じゃない。こんなに早く帰ったら綾子はびっくりするだろうか、いや、去年もこのくらいの時期に宇宙人襲来の日があったから驚かないか。

近道に使っている住宅街には子供達の影が多かった。学校もきっとお昼過ぎには終わったのだろう、色とりどりのランドセルを背負った小さな背中は、どれも希望に満ちている。黄色い帽子の女の子たちが桜の木の下を通ると、まるで春風が通り過ぎたようにぶわっと花びらが舞い踊った。その一つが、細い枝ごと僕の手の中に落ちてくる。これはいいお土産ができた。

たたたっとステップを踏みながら階段を行く。春はどうしてこんなに心踊るのか。

家に帰ると綾子が待ってましたと言わんばかりの顔をして出迎えてくれる。腕の中には愛犬・エルフィーがいて「わん!」と一声鳴いてみせた。

早く早くと手を引かれてリビングに入ると、机の上にはご馳走が用意されている。カラフルなおにぎりに唐揚げ、サンドウィッチ、タコさんウィンナー。

「ね、すごいでしょ」

綾子は机に広げたメニューを自慢げに披露して、嬉しそうに目を細めていた。僕は大好物でいっぱいの皿と綾子の笑顔が嬉しくで、釣られて笑ってしまう。

そうだ、こんなことが確かに昨年もあった。あの日は確か仕事が休みだったから、綾子と二人して朝から「宇宙人襲来の軌跡」という特集番組を流しながら料理に励んだ。僕が卵を茹でて、綾子が焼きそばを作っていた。ソースのいい匂いに鼻をひくつかせていたら、綾子がつまみ食いをさせてくれた。なるほど、あれは美味しかった。

「手洗ったら手伝って。もう少し作ったらお弁当箱に詰めるから」

「お弁当箱? 今日はどこにも出掛けられないよ」

「いいから早く」

僕は言われたとおりに手を洗い、綾子が作ったものを次々に詰め込んでいく。そのうち楽しくなってきて、どうしてお弁当箱に詰めるのかという疑問は忘れてしまった。作業している間中、エルフィーが足に纏わりついておやつをねだってきたせいもある。ちょっと待っててね、と言うと大人しくボールで一人遊びをしていた。

家中のお弁当箱をかき集めて作ったお弁当は、実に色とりどりだった。今度三段重ねの重箱を買おうと綾子と話していると全部が詰め終わっていた。すると彼女は隣の部屋からしばらく使っていなかった小さなテーブルを持ってきた。ベランダに出てホコリを払っていると思ったら、次は椅子を持ってくる。コンクリート造りのベランダに設置された出来合いのセットは、テーブルも椅子もちぐはぐだったけれどなぜか僕をわくわくさせた。

「平介、お弁当持ってきて。今日はここでお花見にしよう」

「お花見?」

僕は首を傾げながらお弁当を抱えてベランダに出る。広めのスペースがあるとは言え、テーブルや椅子を置くとさすがに狭い。体を滑らせるようにして外を見ると、ちょうど目の前の公園がオレンジ色に染まり始めていた。街に人影はないが、少し離れたマンションの窓にはどれも明かりが漏れている。誰もが家の中で穏やかな時間を過ごしているとわかった。「宇宙人襲来の日」はそういう一日なのだ。

宇宙人が何者なのか、僕は知らない。でもそれは僕がのほほんとしているからではなく、たぶん地球上にいる誰も知らないのだ。彼らはちょうどエリンギのような頭をしていて、雲のようにふわふわした不思議な宇宙船に乗って一年に一度だけやってくる。

はじめての襲来は、僕と綾子が結婚してはじめての春だった。地球は混乱、国は騒然、街はお祭り騒ぎ。僕たちもその波に乗ってゆらゆらしていた。テレビの中で専門家がしきりに地球最後の日だと言ってまくしたてるのを、ソファで寛ぎながら聞いていた。

そうしてやってきたXデー、宇宙人襲来の日。国からの要請で外に出る人はおらず、家の中でその時を待った。しばらく外出していなかった僕と綾子は、二人でたくさんのお菓子を作った。いちごタルト、シフォンケーキ、カヌレ。それらを頬張りながら待つ、たぶん、地球最後の日。

次の日、街はいつも通りに戻っていた。いや、みんなしばらく家に閉じこもっていたから、きっといつも通りではなかったけれど、誰もがまた生活をはじめていた。

僕たちだけでなく、大抵の人は地球が終わることよりも”地球が終わらなかったこと”を考えて、過ごしていたということだった。

死ぬことは怖い。綾子と離れることは、何よりも怖い。だけど"生活が終わる"ということに、僕はピンときていなかった。

「花見なら桜がいるよ」

首を傾げて聞く。この辺りには桜の木がないから、お花見をするのには近くの河川敷まで行かないといけなかった。すると綾子は「やっぱり忘れてる」と呆れ顔で説明してくれる。

「ほら、ニュースでも言ってたでしょ。六時から花火が上がるんだよ」

「あ、だからお花見」

そういうこと! と語尾をあげて楽しそうにする。

あれから五年。宇宙人は毎年襲来してくるけれど、何か被害が出たという話は聞いたことがない。ただ地球にやってきて、街を闊歩し、帰るだけ。得体が知れないので外出は基本的に禁止だが、三年目くらいにやけになった政府が歓迎の花火を上げだしてから「宇宙人襲来の日」は国民の楽しみの一つになった。

もちろん、今後も何事もないとは限らない。が、今のところはこうして綾子とお花見を楽しむことができている。楽しげな彼女が桜の花びらのように可愛くて、僕は帰り道に拾ったものを取り出して後ろから綾子の髪につける。

「なぁに?」

彼女は気づいていない。僕は何も言わずにニヤニヤする。

彼らの襲来の目的は、未だにわかっていない。侵略なのか、異種間交流なのか。誰も知らないけれど、僕は勝手に"地球観光"だろうと思っている。そう話したら「いいね、それ」と綾子は満面の笑みをくれながら、今日のために買ってきたというワインを開けている。

ほろ酔い気分で見るささやかなお花見。日が落ちてくるのが待ち遠しい。

「あの時は大変だったね」

綾子は感慨深げに言った。確かに最初の年は大変だったと思うけど、常に綾子と一緒にいたからあまり辛さを感じていなかった僕は曖昧に返事をする。

「でも直前まで料理したり掃除したり、家の中ではあんまり変わりなかったね」

「地球も終わらなかったしね」

本当だね、と呟いて綾子はふにゃりと笑う。

「たとえ地球最後の日でも、平介といたら朗らかになっちゃうよ」

僕と綾子がいる限り生活は続いていくのだ、永遠に。いや、生活を続けるために、僕と綾子がいるのかもしれない。





こちらの短編はnote文芸部のアカウントでも公開していただいております*


作品を閲覧していただき、ありがとうございました! サポートしていただいた分は活動費、もしくはチョコレート買います。