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見えないものを見るレッスン・後編(短編小説)

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 午後の遅い時間帯、混雑していた店内にも若干の空席が見られるようになる。
 店員にカップを片づけられてしまわないように、一口分だけ残していたラテ。それを飲み干そうとするも、残っていたのはミルクの泡だけで、口の中には何も入っては来なかった。

 バッグから何気なく取り出した履歴書を眺めていると、紙一枚に収まってしまう自分の人生がいかに薄っぺらいものであるかを突きつけられるようだった。しかも、資格や特技、経歴欄の余白の多さが人生の空虚さをより際立たせる。まだ私の人生には書き込む余地がこんなにも残されている! なんてプラス思考には到底なれるはずもなかった。
 今、人生についてのインタビューを受けたとしても、「うーん、そうですね」と、インタビュアーの質問にただ肯くだけの、歯切れの悪いインタビューになるのは明白だった。

 面接のために久しぶりに着た黒いスーツ。その袖口が汚れていることに今頃気づいて指で擦ってみても、シミのような汚れは落ちそうにもなかった。

「黒は女を美しく見せ、白は男を誠実に見せる、か」
 溜息と一緒に、心の声まで口に出てしまう。

「それは誰の言葉なんです?」
 ここぞとばかりに、心の中のインタビュアーは私に尋ねてくる。

「魔女の宅急便のおソノさんと、後半は私」

「あぁ、やっぱり。どこかで聞いたことがあると思いました」

 黒のスーツは無難で欠点もなく、他人からは美しく見えるのかもしれないけど、私自身の気持ちはまったく上がらない。

「せめてこのスーツがコスモス色なら良かったのに……」

「漫才師じゃないですか、それじゃ」

 社内恋愛なんてするもんじゃないとずっと思っていた。いつも夫婦漫才みたいなやりとりを見せてくれる社内恋愛の先輩である同僚からも、愚痴ともノロケとも取れる忠告は受けていた。

「忙しいときにさりげなくフォローしてくれたらそれだけで優しくて頼もしい人に思えるけど、仕事だからやってるだけなんだよねぇ……。なんでそれに気づかなかったんだろ? 普段なんかもう俺様全開だし」

 リーダーシップを発揮して職場の同僚への気配りもそつなくこなせるような人であっても、それがその人本来の人柄を示すわけではない、と同僚は力説していたけど、確かにその通りだと思った。

 ただ、私は彼の仕事ができるとかできないとかはあまり気にしたことがなかった。むしろ仕事以外の部分、仕事の合間のたわいのない会話だとか、誰と話しているときでも接し方が変わらず丁寧で、感情の起伏もなく、穏やかで優しいところに好感が持てた。

 学生の頃みたいに、見た目がカッコいいとか、スポーツで活躍する姿に惹かれてとか、ときめきに導かれるままにすべてを好きになってしまえる単純さを羨むことはあっても、ある年齢を超えてしまえば現実的な要素も考慮せずにはいられない。
 今相手を選ぶ基準といったら、自分にとってちょうどいい人を見つけることに尽きると思うけど、ちょうどいい人なんてそうはいない。

「ちょうどいい関係とは、どんな関係なんでしょう?」
 芸能リポーターのように、格好の話題を見つけたとばかりに心の中で質問が飛んでくる。

「並んで歩いてもちょうどいい位のかっこ良さ?もしくはかっこ悪さかな。もちろん外見だけじゃなくて、金銭感覚とか諸々の要素も含めてだけど」

「夫婦も段々似てくるって言いますよね」

「確かに、同じ景色を見て同じものを食べていれば、自然と似てくるものなのかもしれないけど、でも、やっぱり違う人間だから考え方や感じ方は違うはず。長い間一緒にいると、自分の考えや価値観までを相手と共有しているような気がしてしまうけど、それは誤解なんだと思う。相手には決して見せない一面だってあるだろうし、お互いが違う人間であることを理解して、許し合っていくことで初めて夫婦でもカップルでも似てくるのかなって」

 自分ひとりで生きていく、なんて強がってはいたものの、何かにつかまっていなければ流されてしまいそうな激流の世の中で、やはり自分の支えになるものが何もないという不安は常にあった。
 それがお金でも宗教でも何だっていいんだけど、私にとっては、親友だったり、彼氏だったり、頼りたいときに頼れる人がまったくいないのは明白だった。親や兄弟など、家族に頼れる部分にも限界はある。

 でも、そんな私に手を差し伸べてくれた、私にとってちょうどいい人はもういない。その手を握るとなんでも出来るような気がしてたのに、あの瞬間は永遠には続かなかった。
 彼のせいではない。彼は私の手をつかんでくれた。放してしまったのは私の方。

 「私たち友達だよね?」とか、「付き合ってるんだよね?」と確認したくなってしまうのは、関係性は何かのきっかけですぐに揺らいでしまうものだから。それは二人だけの問題ではなく、ほんのわずかなきっかけ、出来事でも変わってしまう。
 お互いをどう思っていたのか、それすら確認できないまま私たちは離れてしまった。

 求職中も、会社を辞めるべきではなかったと考えない日はない。しばらく休職して復帰する道だってあったはずなのに、私はまたすべてを投げ捨ててしまった。
 数年おきにクローゼットの古い洋服をごっそり処分してしまうように、人生の重荷に耐えきれなくなると、何もかも処分したくなってしまうときがある。
 そのきっかけとなったのは、私の体に起きた異変だった。

 ある日の電車の中、風邪でも引いたかな、と思えるほど頭部は熱っぽく、体のフラつきも感じていた。
 朝起きたときは特に体の不調は感じていなかった。いつものように混雑した通勤電車に乗って会社へ向かっていて、夏の終わりとはいえ車内は少し汗ばむほどだった。
 なにかおかしいと感じ始めたときにはもう悪寒のような体の震えと気持ち悪さが胸からこみ上げてきていた。このまま倒れてしまうんじゃないか、気持ち悪さに吐いてしまったら、周りの人に迷惑をかけるんじゃないか、不安感はどんどん増してくる。無理に立ち続けず座り込んでしまおうか、周りの人に具合が悪いことを告げて席を譲ってもらうべきだろうか、恐怖と不安でいっぱいになる。悪寒で震えているのか、自分の体がどうなってしまうかわからない恐ろしさに震えているのか、それすらもわからなかった。額にびっしょりの汗を拭いながらもう限界かも、と半ば床にしゃがみ込みそうになる瞬間、電車は駅に到着した。どこの駅に止まったのかも確認せず、外の空気を求めて車外へ飛び出した。

 駅ホームのベンチに腰を掛け、バッグから取り出したペットボトルのお茶を飲みながらゆっくりと深呼吸をしていると、次第に落ち着きを取り戻してきた。電車内の暑さ、密集した人混みのせいだったのだろうか、と大事にはならなかったことに安堵しながらも、心臓の激しい動悸だけはしばらく止まなかった。

 その日をきっかけにして、通勤の電車や人の密集する場所へ行くと、また体調が悪くなるのではないかと恐怖や息苦しさを感じるようになっていた。  
 やがて仕事にも支障を来すようになり、会社を休むことも増えた。
 医者で診てもらっても、体の異常はどこにも見つからなかったが、薄々感づいてはいたので、それが精神的なもの、パニック障害の可能性を告げられてもそれほどショックは受けなかった。漠然とした不安感を感じているよりは、原因がはっきりする安心感の方が大きかった。

 会社へ行けなくなってしまってから、上司と事務的なやりとりをする以外は、同僚からたまに来る連絡に返事をすることはなかった。何も話せることはないし、自分のことを話す気もおきなかった。返事をしないのだから当然だけど、同僚からの連絡は次第に減っていき、携帯電話には何の履歴も残らなくなっていった。
 それが優しさであることはわかっている。それでも社会との繋がりがなくなっていく私には、孤独感だけがくっきりと浮き彫りになっていくようだっだ。

 せっかく近付いた彼との距離は、また遠くなってしまった。出会った頃は、ありのままの自分を好きになってもらわなければしょうがない、と気の利かない自分を開き直っていた部分もあった。
 でも、やっぱり私には自分の弱さ、醜い感情までをありのままに彼にさらけ出す勇気はなかった。
 何度も連絡をしてくれていた彼に、今は会えないとメッセージで送った。

 夕暮れ時のカフェ店内、有線からは女性ボーカルのまっすぐな歌声が聞こえていた。談笑している人の邪魔にならないほどの静かな曲調、静かな音量でも、サビで繰り返される歌詞は時々私の耳にまで届いてくる。

「きっと私たちは大丈夫」
 透明感のある歌声で何度も繰り返されるその歌詞は、決して大丈夫とはいえない私の心を優しく慰めてくれるようだった。

 誰かの一言に支えられることもあれば、誰かに言われた一言が人を一生苦しめることもある。

「苦労なんてしたことないくせに」
 仕事中、山下さんに唐突に言われた言葉を今もどこか引きずっているところがある。
 私に対して直接言われた言葉ではなかったし、どういう意図を持った言葉なのかもわからなかったけれど、投げつけられたボールを抱えてしまったのは私で、その言葉はずっと私の手元に残ったままだった。

 自分なりに苦労をしてきたと思う部分はあるし、それは違うと反論したい気持ちもある。でも、私よりも苦労をしている人は数え切れないほどいるのは確かだし、つい楽をしてしまいたくなる自分も常にいる。
 何か手を抜きそうになるとき、嫌なことから逃げ出そうとするとき、いつでも山下さんのその言葉が追いかけてくる。

「苦労なんてしたことないくせに」

 いや、私だって苦労の一つや二つしてますよ。その言葉を言われたときに、冗談めかしてでもいいからそう言ってしまうべきだったんだと思う。そのときボールを受け取らず、投げ返してしまうべきだったと。
 でも、私に言ったのかどうかもわからない山下さんの独り言に、どんなボールを投げ返したところで拾ってもらえるはずもなかった。
 言葉を放った人間はおそらくそんなことなど忘れてしまい、言われた人間にとっては一生忘れられないものになる。

 空席が目立ち始める店内。席を立ち、家に帰るであろう他のお客さんにはみんな家族がいて、子供がいて、幸せな家庭を築いているような気がしてしまう。
 私はひとりなんだな、と改めて感じてしまう。

 店を後にして外へ出ると、すでに陽は傾いて通行人の影が長く伸びる。街から色も光も失われていくように感じるのは、陽が落ちたせいだけではないのかもしれない。前方を歩く人たちの影に私は覆われる。

 君のいない街。一人で見上げる空。
 歌の歌詞みたいだなと思っても、こんな気分では頭の中に音楽が鳴りだしたりはしない。

 重い足取りで駅へと向かう。横断歩道を渡ろうとしたとき、通りの向こうに見知った顔を見つけてドキッとする。
 過去の思い出に逃げ込んでばかりいるせいで幻覚でも見ているのかと思ったが、そうではなかった。  
 本当に彼がこちらへ歩いてくる。
 彼の方も私に気づいて、一瞬驚いたような表情を見せる。

 どんな風に言葉をかけたら良いのか、もしくは声をかけないものなのか、あらゆる可能性が想像できて、どうしていいかわからず私は立ち尽くす。
 彼は歩みを止めることなく私の方へ向かって来る。多くの通行人が行き交う中、彼だけがスローモーションのように目に映る。そばに来て欲しいのに、来るのが怖い。

 そこで、彼から他人行儀なよそよそしい言葉が投げかけられていたら、その後世界はずっと色を失ったままだったかもしれない。誰から何を聞かれても、無表情のまま「そうですね」としか答えられなくなっていたかもしれない。

 でも、彼の口が動き始める前からわかっていた。
 彼の表情、彼のまなざしがすべてを物語っていた。
 これまで何度もそうしてきたように、私は彼の見えない心を想像する。



「人と人との出会いにはどんな意味があるんでしょうか?」
 インタビュアーは私に問いかける。

「どんな意味があるのか、はっきりとしたことはわからないけれど──」
 私は迷うことなく言葉をつなぐ。

「たぶん、自分と他人を隔てる壁がなくなる瞬間を体験するための、いわば愛の実験なんじゃないかって、そう思うんです」


 人の気持ちは見えないものだから、ときに不安になってしまう。その見えないものに心を乱されて、他人の気持ちを優先するあまり自分を見失ってしまうこともある。でも、ときにはその見えない何かに力をもらい、励まされ、背中を押されてきたことだってあるだろう。

 人生がうまく前に進まずに後戻りしているようにしか感じられなくても、自分の人生を誰かに委ねてしまわない限り、常にどこかに向かって進んでいける。
 他人の感情ではなく、自分の感情に素直になること、好きな人に好きと言う、そんな当たり前のことが私の人生を前に進めていくのだと、今やっと気づいた。


 私たちを祝福するかのように、音楽が頭の中で鳴り始める。サビの歌詞は、どこまでもまっすぐ伸びやかな歌声で響いていた。

 そう、きっと私たちは大丈夫。


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