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見えないものを見るレッスン・前編(短編小説)

「『恋とは、思いを抱く相手と共に過ごす時間のことではなく、会えない相手を思う時間のことである』という言葉がありますよね?」

「すみません、存じ上げないんですが、どなたの言葉なんですか?」

「っていうか、私が言ってるだけなんですけどね。愛と恋の違いもそうですけど、愛って無償の愛なんてよく言いますけど、愛自体が無償の行為って感じしますよね。でも、恋はどこか傲慢で一方通行な感じもして、心の奥底では見返りを欲しがっているような気もするんです」

 原色を派手に使った看板を掲げたカフェの店内は次第に混雑を始めていた。コーヒー豆の独自のブレンドだとか、手作りのケーキが美味しいとか、そんなこととは全く無縁で、駅から近いというだけが売りのよくあるチェーン店。
 私は店内の奥まったスペースの小さなテーブル席に一人座り、インタビューを受けている。一人、というのは文字通りの一人のことで、インタビュアーの姿はない。

 それがいつから始まったことなのか覚えてはいない。物心がつく以前からやっていたのだと思うけど、私にはインタビュー癖のようなものがあった。心の中にインタビュアーを飼い慣らしているといってもいいのかもしれない。
 ぼーっと物思いに耽るとき、学校の授業中や帰宅時の帰り道、ふとした瞬間に心の中でインタビュアーは私に質問を投げかけてくる。そこで私はテレビや雑誌の取材を受ける女優やアーティストであるかのように、誇らしげに自分の考えを語るのが常だった。

 小さい頃はこれが私だけの特有のものではなく、皆誰もが心にインタビュアーを抱えているものだと思っていた。けれどもどうやらそうではないことにやがて気づくようになる。
 誰も脳内のインタビューのことを話す様子がなかったからだ。でも、「脳内でインタビューって受けます?」と公然と人に聞くわけにもいかないし、聞いたとしても、この人大丈夫かな、と思われるであろうから、なんとなく私だけがそうなんだろうと自分を納得させていた。自分だけが大丈夫ではないのかもしれない、という恐れも抱きながら。

「恋って、元本が保証されない投資みたいなものだと思うんです」
 私の勝手な想像にも心の中のインタビュアーは柔軟に対応し、いつも私に気持ちよく喋らせてくれる。

「なんですかそれ」
雑誌なら“(笑)”と表記されるような、和気あいあいとした雰囲気作りも怠らない。

「つぎ込んだ愛情が必ずしも返ってくるとは限らないってこと。投資した分は取り返したいと思ってしまうのが恋の厄介な所だけど」

「なるほど。恋は投機的──というか、そうなるともうギャンブルに近いですよね」

 恋にリスクは付き物で、当然自己責任で失ったものは誰も補償などしてくれない。ハマってしまえば抜け出せないギャンブルのような依存性もある。それに、恋を失うのが失恋とはいっても、相手からの気持ちが返ってこないだけで、自分の気持ちが急になくなるわけではない。行くあてもなくくすぶり続ける思いや、悲しさや虚しさなどの負の感情はいつ消えてくれるかわからない。だからといってそのまま放置していれば、それらの感情はやがて腐敗し、みじめさだけが心の奥底に蓄積することになる。

 結婚も視野に入れていた20代最後の年に手痛い失恋を経験した私の中にも、そのときのみじめな気持ちはいまだに残っている。
 当時の私は、もう二度と恋などしない、誰にも頼らず一人で生きていくのだと心に誓い、静かに心を閉ざしたのだった。

 何をする気も起きず、人付き合いの一切が面倒くさくなり、職場でも、力関係を見定めて、この人と仲良くしておいた方が得、というような損得勘定ありきでの付き合いとは距離を置き、昼食もグループでお弁当を食べたりせずに一人で外で済ませるようになった。
 どうせ一人で生きて一人で死んでいくのだから、もう誰から嫌われたって別にいいやと完全に開き直っていた。

 しかし不思議なことに、他人との関わり、他人への期待というものを捨ててしまってから、以前よりも人は私に本心を打ち明けてくるようになった。職場の他の人には絶対言えないような愚痴を聞く機会も増えた。
 たぶんどこにも属さない永世中立国のような存在の私は、会社内の誰にも秘密を漏らす恐れもなく、話しやすかったのだろう。

 そして、愚痴の多くは大先輩の──お局様と呼ぶのはためらわれるので、皆そう呼んでいる──山下さんについてのことだった。
 山下さんについて語るとき、人は必ず「悪い人じゃないんだけど……」と言葉を濁す。じゃあ何なんだ? とも思うけど、誰もがはっきりと悪く言うことを避けていた。
 フォローするわけではないけど、山下さんはめちゃめちゃ優しい人である。後輩の面倒見も良い。私は仕事のほとんどを山下さんから教えてもらったのだけど、わからない所をそのたび聞きに行っても嫌な顔ひとつせず、何度でも丁寧に説明してくれた。

「知ってて当たり前のことほど聞きづらいだろうけど、わからなかったら何度でも教えてもらうこと。理解させるように教えない方が悪いんだから」

 会社に入ってすぐに言われた言葉はよく覚えている。その言葉かあったから、自分もどんなに忙しいときでもきちんと説明しようと心掛けるようになった。

 そんなやさしさを持った山下さんを皆が恐れるのには理由があった。
 山下さんは、心の声が割と大きめに口に出てしまうのだ。
 「バカやろう」とか、「死ね」というような暴言はさすがに吐かないけれど、誰もが思っていても言わないような、至極真っ当な正論の声が聞こえてきてしまう。

 たとえば、事務所の入り口付近に紙屑が落ちていて、それに気づいていても誰も拾おうとしないとき、山下さんは颯爽と席を立ちゴミを拾う。
 「普通気づいたら拾うだろ!」と、低音のドスの利いた声で言いながら。
 それは誰か特定の人に向かって言うのではなく、まっすぐ前を見据えて本当に独り言のように言葉を発する。そして何事もなかったかのように席に戻る。
 普段は優しくて面倒見のいい山下さんだけに、そのギャップに周りの人はどんな反応をしたら良いのかわからなくなる。

 本人がどんな気持ちで言っているのかはわからない。もしかしたら、口に出すつもりはなく無意識のうちに漏れ出てしまっているのかもしれない。
 職場の皆はなぜか私に何とかできないかとやんわり促してきたが、永世中立国である私は当然他国への干渉には及び腰で──というか、さすがに本人に問いただせるだけの度胸はなかった。

 ただ、山下さんを見ていて感じるのは、やさしさや思いやり、人の善意というのはそれ相応の代償を伴うものなのかもしれない、ということだった。山下さんの中では本音と建て前、善と悪との葛藤を常に抱えていて、心が引き裂かれるような思いの中、普段はなんとか悪の声を封じ込めながらやさしさを振り絞っているような、そんな風に思えてしまう。

 誰もが自分のことで本当はいっぱいいっぱいなんだと思う。予定にはなかった大変な仕事を急に押し付けられても、他の人に迷惑をかけないために快く応じたり、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫です」なんて作り笑いをしながら心の中で泣いていたり、そんなことを繰り返していればいつか私の心も引き裂かれ、心の叫びは表に出てしまうのかもしれない。
 せめてその声が心の中のインタビュー上であればまだ良いけど、紙面には決して掲載できないような暴言だらけのインタビューになってしまうだろう。

「怒りや悲しみ、みじめさの感情だったり、自分を正当化するための差別意識だったり、人の心は知らず知らずのうちに何かに支配されてしまう。でも、それって──」

「その感情はどこから来るんでしょう?」

「どこからだろう……テレビや雑誌、周りの人の言葉だったり、誰かに影響されてなのかもしれないけど、でも、その感情は気づいたときにはもう自分の一部のようになっていて……」

 これまで私の中にそんなものがあるとは思ってもいなかった。
 ある日、気づいたときには自然と彼の姿を目で追っていた。胸が締めつけられるような思いを抱えたまま。
 転職してうちの会社にやってきた彼を一目見て気にはなっていたものの、ずっと遠ざけていた感情を直視する勇気もなく、何ら期待もしていなかった。
 しかし、毎日職場で顔を合わせ、言葉を交わし、打ち解けあっていくうちに、私の中に次第に嫉妬心のようなものが芽生えていくことに気づいた。

 彼が私には見せないような表情で誰かと話をしているのを見かけだけで、こんなにも胸が苦しくなるものだとは思いもしなかった。
 それも、異性と話をしているからというわけではなかった。同性同士で話をしたり、冗談を言い合ったりしているのを見かけるときであっても、彼は私には決して見せない一面があって、その表情を私に見せてくれることはないのだ、と思うとなぜかとても寂しく感じてしまう。

「これって恋……?」
 私の心はずっとブレーキを踏んでいたはずなのに、どんどん加速をしてしまう暴走車のようで、その感情をもはや抑えることはできなかった。

「そうでしょうね。独占欲みたいなものだと思います」

 長い間凍り付いていた永久凍土のような私の心。
 そんな私の心のコートを脱がせたのは、太陽の暑さでも北風の寒さでもなかった。彼の寄り添う時間の長さが、私の硬く凍り付いた心を少しずつ溶かしていったのだった。


後編へ続く

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