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待つこと

最近、待つことが少なくなってきている。友人や家族とはスマホを使えばリアルタイムに連絡が取れるし、Amazonで注文した本は、田舎の辺鄙な場所だって翌日、もしくは翌々日には手元に届く。一昔前(携帯電話を持っていなかったとき)は家の固定電話に電話をかけていたので、相手がその場所にいなければ捕まらなかったし、ポケベルが鳴ったら近くの公衆電話を探して相手に電話をかける。カタログを見てハガキにマルをつけて注文していた通信販売の商品は、ハガキを投函してから2週間以上はその到着を心待ちにしていた。

もちろん、早く情報や品物を得られるのは便利なことだけど、「待つ」ことの素晴らしさを体験できないのは少し残念にも思う。先日、とある博物館の展示会に関連するワークショップに応募した。それは、家具作りの専門家にスツールの作り方を教えてもらえるという企画だった。ワークショップへの申し込みが多い場合は、抽選になるとのことだった。募集を見つけたのは博物館のホームページでだったが、応募は往復ハガキでとのことだった。往復ハガキ!ここ数年、お目にかかっていなかった。そういえば昔、懸賞など、なにかに応募するときは往復ハガキをよく使っていたように記憶している。

さっそく郵便局に行き、往復ハガキを1枚買ってきた。往信用と返信用を間違わないように、それぞれの住所と宛名を書き記す。ポストに投函するとき、個人情報を書いているから、ハガキが合わさった部分をテープで止めていいのだろうかと、ふと思った。昔はそんなこと、考えもしなかったのに。一応、郵便局で確認してみると、「テープで止めると封書扱いとされる場合もあるので、基本的にはNGです」という回答。「基本的に」という部分が気になったものの(例外もあるのだろうか)、今回はそのまま封をせずに投函した。

それから抽選結果が届くまで、とてもワクワクして過ごした。何かを待つってこんなにも楽しいことだったのか。どんな椅子が作れるんだろう、どんな人たちが参加しているんだろう、博物館の近くに美味しいお店があるか調べておかなくちゃ、などと思いを巡らせた。昨今はオンラインで申し込みをし、即日で結果がわかることも少なくない。待つ時間を持てることが、とても豊かなことに感じた。

ポストにハガキを見つけた日、やっぱりハガキや手紙はいいな、と思った。はやる気持ちを抑え、ハガキの裏面は見ないまま、まずは荷物を置き、麦茶を飲んで一息つく。ソファに座って、エイッとハガキをひっくり返した。しかし、そこには「応募者多数のため抽選となり、誠に残念ながら…」という文字があった。とても落胆したけれど、待つことの素晴らしさを思い出させてくれたきっかけに感謝した。

今年は久しぶりに暑中見舞いが届いた。先日お世話になった方のお墓参りに行ってきたのだが、そのご家族の方から丁寧にお礼の言葉が綴られたハガキが。裏面には、明るいひまわりの絵柄がついていた。私もその方へ返事を書き、思い立って、いつもはLINEで連絡をとっている友人にも数名、暑中見舞いを出した。それぞれが好みそうな絵柄のハガキを選び、手書きで文字を綴った。ハガキや手紙になるとちょっとあらたまった気分になって気恥ずかしいところもあるけれど、それがまた新鮮でいい。

どんどんスピードが速くなっている世の中に逆行するように、あえてゆっくりとした時間を持つようにしている。そうすることで、外側の世界と私の内側のバランスをとっているのだと思う。


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